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15期 くーりっしゅ

17期の肩に手をおいて円陣した時、夢とか想いとか縁を紡いでいた20下駄っぱーずの円陣を思い出して時の流れの早さに驚きました。
(以下、自分の書くまで人の読まないようにしてた&レポート書いた後に書いたからなんか文が固い🥲なので適当に読み飛ばしながら読んでね)
2年半本当にあっという間でした。ゆるゆるなのが大学生の特権かもしれないけど、こんなにも2年半が一瞬に感じられるほど毎日が忙しくて充実していて楽しかったのは本当に下駄っぱーずのおかげです。
入ってすぐの頃、zoomでfestivo を覚えたり、夜とやぱに行ったりするのが面倒くさくなって、festivo を水天宮でお披露目したあたりで満足して、そろそろ引退でちょうどいいやって思ってました。なのに、それから2年半、思ってた以上に沢山の演舞に出て、想像以上に学館に通って、ずっとみんなと深い関係になって、下駄をやっていない大学生活が想像できないくらい、いつの間にか夢中になってて。恥ずかしくて普段あんまり言わないけど、やっぱり下駄っぱーずが本当に大好きで、まだ引退したくないし、もっとみんなといたいし、もっと踊りたいって心から思ってます。そんな素敵な団体で過ごすことが出来てすごく幸せです。

①「だから、私は下駄にいる」からの色々

私は22単独公演が大好きなのですが、その公演のテーマは「だから、私は下駄にいる」でした。なぜあなたは下駄にいますかって担当さんに沢山問いかけられて、その時は「下駄での時間が楽しいから」と「踊りたいから」しか浮かばなくて、めっちゃ難しいテーマだなと思いました。でも、引退までの長い時間、日々色々なことを考えながら活動を続けるうちに、「楽しい」だけじゃない答えを見つけたので書いてみます。

今思えば、1番やり切れた気がする22単独公演。その頃から、下駄以外でも本気で頑張りたいことと向き合わないといけなくなって、ただ楽しいだけでやってこれたそれまでとは違って、やりたいこととやるべきことの葛藤に悩むことがありました。下駄で同期がどんどん上手くなって行く中で自分の踊り方が変わらないことに焦って、極める時間がないまま通しで踊って自信を失って、ゼミに行ったらすごい人ばっかりなのに自分は周りみたいに勉強に夢中になれてないのが悔しくて、なんか全部が中途半端でした。人と比べないって頭では分かってたけど、沢山自主練してる同期を見てはもっと練習しなきゃって焦ってタイムリーに名前書きまくって、資格に向けてずっと勉強してる学部の友達を見てはもっと勉強しようと急にやる気を出して参考書や問題集をいっぱい買い込んで、本当に中途半端でした。無理してでも両方全力で頑張ろうっていう熱い気持ちも湧かなかったし、どっちかやめるしかないと思いました。ちょうど22単独の頃は決断しないといけない時期だったから、下駄でコミットするのをやめるか、資格を目指すのをやめるかですごく悩みました。
でも結局、下駄も将来の夢も続けています。というか、今思えば、下駄のおかげで下駄以外の目標も目指し続けることが出来たんだと思います。あんまり器用じゃなくて一つのことしか頑張れない私にとっては下駄を今まで通りフルコミットで続けながら資格の勉強や鬼ゼミを続けることは割と大変で、心が折れることも多かったけど、みんながひたむきに踊りと向き合い続けて、それでどんどん上手くなって、ステージの上で輝いてて、そんな姿を見る度に元気とやる気をもらい、なんかすごく前向きな気持ちになりました。それに、下駄民ってやることを途中で投げ出す人が少ないと思います。担当とかどんなに大変でもみんなそれぞれの形で絶対にやり切るし、部署制作にも責任感が強い人が多いです。睡眠を削って会議して、めっちゃ眠くても正規練の時は元気にレスポンスしたりして盛り上げて、それって本当に大人で、意識が高くて、めっちゃすごいことだと思うんです。
コロナ禍での活動期間が長かったからこそ、思うように活動出来ない時期も多かったけど、それでも全然勢いを止めることがなくて。おの恋前にコロナの影響で練習が全部オンラインになっちゃった時も、担当さんと三役を筆頭に何とか前向きな方に持ってこうとする下駄の強さに頼もしさに励まされて、やっぱりこの団体好きだって思ったし、自分も頑張ろうって前を向けました。みんなの踊りに対する強い想いとか、一つのことに向き合い続ける姿とか、下駄のきらきらした空間に、日々元気とやる気をもらって、自分が弱気になってる時も沢山背中を押された気がします。
また、演舞の担当さんの話やDの話など、下駄では誰かの話を聞く場面が多いです。多いからこそ、本気で頑張ってる人が何かを伝えようとして前で話してくれる話も、たまにぼーっとして聞き流しちゃったり、こんな時間があるなら踊った方が上手くなるじゃんと思ったりしたこともありました。でも、今思えば結構前向きな影響を受けていたなと思います。疲れてても担当さんの話を聞いて練習モチベが上がったり、下駄以外でも何か迷ってる時に誰かの言葉を思い出してはっとさせられたりすることが意外とありました。大学生になって誰かの強い想いとかめっちゃ真面目に考えたこととかを聞く機会って少ないと思うので、メインは踊ることだけど、下駄民の話を聞く時間も思ってる以上に大切だったなと今になって実感しています。もし読んでくれた16、17期がいたら、今後忙しい時こそ下駄民の話をいつもよりも集中して聞いてみて欲しいです。誰かの言葉がきっかけで何か変わることも沢山あると思います。
そうやって、コンテンツの面も含めて、下駄の前向きさとバイタリティに支えられながら、自分の中にあった葛藤とかネガティブな気持ちと向き合い続けて、自分自身がすごく前向きで強い考え方が出来るようになった気がします。
言葉にすると軽いけど、本当に、下駄に行くことによって色々なことを頑張ろうって思えて、日々のやりたくないことを楽しくこなすことが出来るようになりました。
そして、今までなかったけど、こういう人でいたいなっていうのを見つけられた気がします。引退してもきっと忘れません。これが、下駄から「与えてもらった」という面での、「だから、私は下駄にいる」というテーマへの答えです。

逆に、下駄に「与えた」という点で、自分に何が出来たのかなって考えると、なかなか難しいです。でも、下駄のために自分が出来ることをしたいっていう気持ちは常にあって、やらない後悔よりはやる後悔で、迷ったら目立つ仕事でもやるようにしていました。大人数いると、人任せな性格のせいで何もやらなくなっちゃうのが自分の嫌いなところで、100人くらいいたテニス部に所属してた時も、目立つ仕事は全部人に任せて団体の中で都合よく埋もれて、ただ呑気に楽しんでただけでした。与えられてばっかりいる自分が嫌で、下駄では何か周りのために出来ることをしたくて、早稲田祭の担当とか曲リーダーとか振り師とか、やってみたいと思ったことは人任せにしないで自分で挑戦するようにしました。前で話したり盛り上げたりするのは得意じゃないし、上手く出来ないこともあって沢山悩んだけど、その分支えてくれる人の優しさに気づけて、下駄や下駄民のいつも気付かない姿が見えて、知らなかった下駄の常識とか感覚を沢山知って、普段から周りに感謝が出来るようになりました。一個一個、物事の捉え方も変わった気がします。色々なことに挑戦して良かったなと思いました。
部署制作以外でもやりたいことはいくらでも出来るし、どんな人でもなんでも挑戦出来るよってことを伝えられていたら嬉しいです。一生懸命やればやるほど思い通りにいかないことに出会うし、悔しい思いをすると思うけど、一度やろうか迷ったことは、やってよかったって思うことが大半な気がします。20早稲田祭の頃は、担当さんがきらきらしていて、すごく遠い存在に思えて、自分がわせたんをやることは絶対にないだろうなって思ってました。だけど、今となっては、21早稲田祭でわせたんをやらなかった自分が全く想像出来ません。下駄で挑戦してきたことをやらなかった過去が全くイメージできないくらいに、やってきたことが下駄人生において不可欠で、あたりまえのように思えます。全く似合わないように思えたこともやってみればなんだかんだ出来ちゃうし、後から思えばしっくりくるから、誰でも何でも出来るよってことです。これは、16、17期に伝えたいなと思います。

それと、本当に人数が多いけど、沢山の人と仲良く出来て嬉しかったです。去年さきちゃんが周りに明るい影響与えられるように心がけていたって引退ブログに書いていたのが印象に残ってて、そこから色々な人と仲良くなりたいなって思うようになりました。みんなと沢山お話しできて、私も周りに明るい影響を与えられてたら嬉しいです。少しずれてしまったかもだけど、下駄に「与えた」という点での「だから私は、下駄にいる」というテーマに対する想いでした。

②踊るの楽しい

(この辺りで何人かの引退ブログ読んだら割とフランクで読みやすくてあせあせ、私も書き方変える、、、。しかもこんな長い文ここまで読む人少ないだろうということでこっからは眠くなってきたし推敲などせず思いついたままに書くね🥱)

なんか最近踊ることがすごく楽しくて。でも忙しい時こそ踊りの楽しさを忘れちゃう人も多いんじゃないかなって思ってて、少なくとも私はそうです。忙しいと隊列覚えたりするのに追われて、なんか隊列確認したり振りを覚えたりポイント練習するのに必死になって、課題みたいな感じで負担に感じちゃう、、。そうするとなんか踊ることも練習することも全然楽しくないし、シンプルだるいってなっちゃう、、。だけど、かなり多くの時間を費やしてるのに、きゃぱきゃぱしてきつい時間の方が長くて踊りを楽しめないのはめちゃめちゃもったいないと思うんです。演舞が多い時期とかは特にあせあせしてて通しでも考えながら踊ってて、真剣というか深刻な顔してたと思うし、そういう人が多かったような気がします。踊りを楽しむ前に踊ることに追われてた時期があったのは下駄での数少ない後悔です。もちろん踊ることを楽しんできた自信はあるけど、もっと多くの時間そうでいたかったなと思います。でもその反動もあってか、最近はめっちゃ踊るのが楽しい!ちゃんと踊ることを楽しもうと思って踊れてる!だから、パフォサーに入った締めくくりに、踊ることが楽しいと思うこの気持ちを忘れないように、そしてまだこれから踊る後輩に伝えたくてここに書いてみます!

踊るのってシンプル楽しいですよね。スタメンとかないからみんなで踊れるし。普段話す回数少ない人でも目合わせてめっちゃ笑顔で見つめ合うと世界一仲良いような気になるし、苦手な人でも近くで踊ってるとめっちゃ一体感を感じるし踊ってる時に真剣に踊ってる顔を見ると愛着が湧きます。
ダンスは昔からやってたけど、やっぱり一回どこかで一緒に踊った人は久しぶりに会っても一度は同じステージに立ったっていう愛?があってなんか特別な存在に感じる。だから下駄とかコラボで一緒に踊ることが出来た人は、本番は一瞬だけど一緒にステージで踊った時間とか思い出は永遠で、ずっと特別な存在なんだと思います。1限とかから集まって夜まで練習して、すごい時間をかけるのに本番は本当に一瞬でパフォサーって儚すぎるってよく言うけど、その一瞬がずっと残る特別な時間って思うとめっちゃ練習に時間を費やす甲斐があるなと思います。

よくテーマとかで周りを感じながら踊ろうってあるけど、それって抽象的で周りの感じ方は個人の問題だとも思うけど、それぞれのやり方で本当に周りを感じながら踊ることが出来たらすごく楽しいと思うんです。実際周りと一緒に踊ってるなと思いながら踊った演舞はめちゃめちゃ楽しかったし今でもその時の景色が鮮明に思い出せる。だからやっぱりみんなと踊るのは本当に楽しいです。

あと、練習してる時、かっこいいこだわりとか好きな踊り方を見つけるのが楽しいです。上手い人に憧れてそうなりたいって思って練習して、それに近い踊り方ができるようになるのすごく嬉しいし、それぞれのジャンルで好きな踊り方をする同期とか先輩とか後輩とかいて、そんな風に踊りたいなって思いながら最近は練習してて、それに近づけるように研究するのがすごく楽しいなって思います。
本当に目標というか憧れというか好きな踊りをする人を見つけてからどんどん楽しさが増して、もっと踊りたいってなりました。やっぱり同期でも踊りが好きなんだなって思う人は誰かしら憧れの人がいる印象です。踊ることって球技とかと違って勝ち負けがなくて、見せる(魅せる?)ものでしかないから、自分の中に強い憧れのイメージがあってそれを表現しようとしてこそ本当に楽しめるのかなって思いました。

そんな上手くもないのになに踊ることを語ってるんだって感じかもだけど、パフォサーに多くの時間を費やしながら踊ること自体を楽しめなかった時期もあって、モチベが低かったときにどうしたら楽しめるのかめっちゃ考えたのでその時に考えたこととか今楽しいって思ってることを書いておきたくて語ってしまいました笑
下駄は踊る以外の面でもいろんな活動があるけど、全員が踊ることを心から楽しめていたら素敵だなと思います。

③ありがとう

下駄っぱーずに入って関わってくれた人みんなに感謝してて、これからもずっと大好きです。
16、17期はしっかりしてる子が多くて本当に頼もしいし、安心して引退できます。これからお客さんとして16、17期の演舞を見に行くのがすごく楽しみです。ずっと応援してます。13、14期は本当にずっと憧れで、引退して結構経つ今でも大切な存在です。沢山相談に乗ってもらって本当に頼もしくてかっこいい先輩ばっかりです。15期は、同期がみんなじゃなかったら絶対にだめでした。1番長い時間を一緒に過ごせて本当に嬉しかった。引退しても仲良くしてね。

くー@下駄民最後の日どんぴか図星で迷ういやセブンかな

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