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荼毘に伏したら怒りは消えるか?

 私は怒りの人です。

 各種SNSでもときおり何かに怒っているのですが、最近はちょっと多いかなと思っているところです。

 それでも怒りとか悲しみってのはコンテンツとして消化しやすいので、今日も怒った話です。


 理不尽なもので、人は死にます。

 誰かが死んだときには悲しみや喪失感を覚えたりするものでしょうが、私は怒りが再燃しました。

 具体的な話は避けますが、かつてその相手に怒りを覚えたのを思い出しました。

 相手は私に比べるとずいぶん年上だったのでそのときの私は何も言えなかったのですが、あわよくばいつか刃を突き立てられるなら…と5年引きずるくらいには憤っていました。

 きっかけは些細なことですが、いま思い出すだけでも腹立たしいです。

 そんな相手の訃報を聞いて、薄れていた怒りがまたふつふつとわいてきました。

 これじゃあ勝ち逃げじゃないか、と。

 別に謝ってほしいわけでもないですし、また会いたいわけでもないですし、ましてや現実に傷つけてしまおうなんてことも考えてはいません。

 だけど、だけど許せない気持ちが強くありました。

 本当なら赦すことがあれば赦したいですよ。

 だけどもう二度と会いたくないし、会うこともできません。

 そんな私にできることは、あの人が灰になっても怒りを忘れないことです。

 死んだから許すなんてそんな特別待遇はできません。

 そんなことを認めてしまったら、いま私が両腕に抱えている怒りの対象が安易な逃げを打ってしまうかもしれません。

 すると私は相手の死を代償にして徳政令を発布する羽目になります。

 そんなのってないでしょう。

 怒りは私だけのものなのですから、外部から持ち込まれた怒りの火種が外部の勝手な行動で抑制されるなんてそんなことがあっていいはずがありません。

 死んでほしいとは思いませんが、できるのであれば怒りの対象には可能な限り苦しんでほしいと願っています。

 そんな性格なので相手が死んでいようがどうでもいいです。

 私は私の怒りを撫でまわしてこれからも生きていきます。


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