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愛嬌で乗り切ることー理屈なんてないってこと
この前、仕事の帰宅途中、あるおばあちゃんがしゃがみ込んで(足に力が入らないようで)動けなくなり大人の人が二人ほど駆けつけている場に遭遇。おばあちゃんは少し意識が朦朧としていた。
助けに加わって、一旦持っていた柔らかいカバン等を枕にし横になってもらっており、その時に後ろから、カバンから落ちそうな頭を支えたりしていた。
救急車を呼んでもらい待っている間、もちろん詳しいことはわからないけれど、低血糖か貧血か、外傷はないようで少し寝転がっていたら意識がはっきりし始め、
「もう大丈夫よ」「いやよ救急車なんて〜」「立てるわよー」
等々を言うのだが、素人判断はできない。
なので、なんだかんだやりとりした後、私が何かいろいろ言えるわけではもちろんないため、
「だ〜め♡ 待ってようね♡」
みたいな感じであざとい声で喋ってみるのである。
とりあえず、救急車が来る前に捕まりながら立ち上がれたおばあちゃんは「ありがとうね」と言ってくれ、そして目を合わせてくれた時に満面の笑みをしたら少し向こうも嬉しそうにしてくれたのは、気のせいではないと思いたい。
愛嬌っていうのは、そこに理由なんてないんだよってより伝わる手段なのかなって。
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