「あの展開、すぐわかったよ」と言うけれど
映画を見ている時に、あるいは映画の感想を言い合っている時に耳にすることがあります。
あの映画の展開、すぐわかったよ
本当に? 本当にわかったの?
私は常々疑問に思っています。
ミステリで犯人がわかった。
そりゃ分かることもあるでしょう。
じゃあトリックは? トリックも全部分かったんですか?
凶器は? 手口は? 動機は?
全部わかった?
この後の展開がわかった。
あの人が裏切るんだ。
わかるでしょうね。だってそれがいちばん意外性があって面白いからね。
じゃあそこに至るまでのその人のバックボーンは? 映画の中での細々した伏線は? 本当に全部わかったの?
問い質したい。
絶対わかってないでしょ。
犯人を当てたのはそうかもしれないけど、それはただ飛んでいる答えに飛びついただけでプロセスなんかひとつもない、当てずっぽうでしかないんですから。
創作物ってそうじゃないでしょう?
結果だけみて面白い面白くないを断ずるならあらすじだけさっと読んでたらいいんですよ。
その方がお金も時間も節約できますから。
それでも2時間かけて映画を観るのは。
数百時間かけてゲームをするのは。
3ヶ月もアニメやドラマを追いかけているのは。
そこにあらすじだけでは分からない経験があるからでしょう。
創作物を楽しむってのは結果だけじゃない、最後に至るまでの過程を楽しむってもんでしょう。
ミステリ作品は特にその傾向が顕著で、トリックやギミックにばかり目が行っていて、自分で頭を働かせて謎を解こうとする人が少ないと思うんです。
映画は時間が限られているのでそうも言っていられませんが、小説や漫画であれば謎は解いてこそでしょう。
それを当て推量で雑に消費して、わかった気になるなんて愚かすぎるとおもいませんか。
私のかつての知り合いにもいました、そういう人。
彼は何においても「自分は勘がいい、頭がいい」と思っている人間でした。
分からないことがあったら聞いてねって場面でも何も聞かず、勝手に推測して、的はずれなことをして、リカバリーに時間を割いていました。
それでいて映画を観た感想を話すと「あの展開は読めてたよ」なんて嘯くのです。
敢えて指摘することはありませんでしたが、なんでも分かってますみたいな態度でいて、創作も適当で面倒なことが嫌いだった彼は本当の意味でのクリエイティブには向いていなかったのだと思います。
結局ゲーム実況の中でもなんの工夫もない作業垂れ流し配信に堕ちてしまったみたいだったのでもう私から彼へは何も言うことはありません。
彼なりに工夫しているのかもしれませんが、私の目からはオモロが少ないと感じました。
昔はもう少し創作意欲に溢れていた人だったんですけどね。私の見る目がなかったということで。
……過去の知り合いの話をするとつい話題が横っ飛びしてしまいます。
それくらい私の人生に余計な影響を与えてくれているわけで、今はnoteのネタに出来ているわけで。その点では感謝しています。
感想を話すとき、本当の意味で「わかった」と言えていますか?
安易な答えに飛びつく大学一年生のレポートみたいになっていませんか?
もし口癖になっている人がいたら、気をつけてみてください。
コンテンツのフォアグラにはなるんじゃねえぞ!
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