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生まれ変わったら泥になりたい
Twitterの知り合いがスペースで楽しそうな話題で盛り上がっていた。
「死んだらどんな水になりたい?」というトピックだ。
雨、雪、流水などが多いと思う。誰だって死後は綺麗な存在になりたい。
けれど私が考えたのは泥だった。
私は早めに死にたいと思っている。
楽しいことがないわけではないが、苦しいことが世界には多すぎる、ように思う。
先行きの見えない霧の中でも生きなければならない、生きることを強要される。
それでいて失敗すると再生の手段は限られており、先を行く者たちは嘲り笑って土をかけてくる。
死後になにか楽しいことがあるから死にたい、のではなく単に次の環境に身を置きたいだけ。
引っ越したい、という感覚に近い。
引っ越すにはお金も時間もかかる。それに引っ越した先でまた生きなければならない。ならば……。
私は死に対して暗いイメージはそれほどない。明るいとも思っていないが。
やや話が逸れたが、私は死後に綺麗な水にはなりたくない。いや、なれないだろうと思っている。
生きている今の状態から綺麗な水になろうだなんて都合が良すぎる。
それほどの徳を積んで生きているとは思えないので、死後は贖罪のために苦しむべきだとさえ考えている。
ただ、それでも希望をかなえられるのなら泥がいい。
できれば腐臭を放ち、こすっても洗っても落ちない泥。
死してなお私は誰かに構ってもらいたい。いつまでも嫌っていてほしい。
さらさらと流れる水では誰の目にも止まらない。瞬間に通り過ぎてしまうような水ではいけない。
踏みつけられ、あなたの足の形に凹み、泥の飛沫をあなたの足に残したい。
好きの反対は無関心とよく言うが、まさにその通り。私は許されるのであれば忌み嫌われる存在になりたい。疎まれているその瞬間だけは認識されている。それを私は嬉しいと思う。
どうぞ私を嫌ってください。あわよくば蹴り飛ばしてください。お家に帰ったら汚らしい言葉を吐きながら洗い流してください。
存在を無視されるより百万倍、良い。
(そ)
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