正解を取り除くことから見えてくるもの
今日、受講したオンライン習慣形成トレーニング(上級編)にて、講師のナニメンさんこと吉井雅之さんに言われたことです。
私が今まで目指してきたもの。それは、正解なんです。
ここではこうふるまえば正解 とか。
なんにしても、正解を気にして、周りを気にして、これぐらいやっておいたら平均かな~とか自分で自分を制限している。
でも、それが行き過ぎると、生きづらくなってしまう。
枠からはみ出さないように必死に生きようとしたけど、それができなかったら、自分でそれはダメだよってまた、ジャッジしています。
昨日、参加したイベントで、グループでのワーク的なゲームがありました。話し合ったことを発表することになり、私のグループにも順番が回ってきました。グループでは、時間切れで話が最後までできていなくて、どうしようと思っていたら、ちょうど、私の前にマイクが回ってきてしまったのです。仕方なく、私は自分ならこうかなと思うことを自信なさげに早口で答えてしまいました。まさにあわあわした状態です。
自信がないのは正解を目指したけど、それが分からなかったから。
このことを、講座で話したとき、講師の吉井さんが言われたことは、「もしも、恥をかいたときは、私がみんなの前で恥をかいてあげたんだ。人助けをしたと思えばいい。」
そのくらいの、強気でいいんですね。
正解を目指そうとするから、固まってしまう。人前で間違うと恥ずかしいと思ってしまう。だけど、それはよくいう「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」と一緒。
そして、私ってだめなのかな~と思ったら、そのあとに必ず、今度はこうしようとプラスの言葉で締めくくる。そうすると、プラスの記憶で残っていくのだそうです。逆にそうしないと、マイナスの感情で記憶に残ってしまいますよね。同じようなことが起こったときに、その感情が呼び起され、上手くいかなくなるという悪循環になってしまいます。
「誰からも、どんなことからも学ぶことができる。何か起こったら、これはお試しだと思うことにする。正解を取り除いて、全力でやる。そして、自分の人生を面白がってください。」とのこと。
いつでも、どこでも、私らしくいられるように。今はまだまだだけど、こうありたいという理想は常に持っていたいなと思ったのでした。
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