恋愛小説 ④

彼女がこの学校に転校して3年が経過した頃、いろいろなことがありながらも、僕らは小学6年生に進級することができた。クラス替えが発表される始業式、僕は毎年のルーティンを難なくこなしながらも、心のどこかでは彼女とまた一緒のクラスになりたい。と密かに思っていた。
「ちょっと待ってよ。」
特に待ち合わせ等の用事もなく、ゆっくりと登校していた僕だったが、突然後ろから声を掛けられた。
そして、僕は後ろから勢いよく激突された。
「ちょ、なんだよ。」
誰の仕業なのか、正直見るからもなくわかってはいたが、やはり彼女だった。
「おはよう。」
「おはよう。ってか、玉城さん、流石にそれは危ないよ。」
イタズラっぽく笑う彼女。
実年齢に合わない大人っぽさとまだ残るあどけなさが混ざったこの笑顔が、たまらなくかわいかった。
「ごめんごめん。それよりもさ、ずっと前から思ってたんだけどさ、なんで私のこと苗字で呼ぶの?」
「いやぁ、そんな、特に、理由は…」
あまりに突然すぎる突拍子のない質問に、僕は思わず返答に困ってしまった。
「特に理由ないんだ。」
「まぁ、そうね。」
正直、考えたことすらなかった。
「ならさ、今日から約束があるんだけど。」
なんだか嫌な予感がする。
「私のこと、下の名前で呼んでくれない?」
「下の名前で呼ぶ?」僕は最初、理解できなかった。いや、理解できないふりをしていた。
「ちょっと聞いてる?」
ちょっとだけ彼女に睨まれた。
「ごめん。だけど、なんだよ急に。」
「急にって、もうずっと前から友達なのに、未だに苗字呼びなのが違和感なんだけど。」
彼女から絶妙なパンチを入れられた。
「なんか、嫌なんだよね。距離感を感じちゃって。」
「まぁ、そうだね。うん。」
「ならさ、練習してみようか。」
「れ、練習?」正直、意味がわからなかった。
いくら仲が良くても、一応、異性である。
「めっちゃ簡単なことじゃん。」
からかいなのか煽りなのか。良くわからないことを言う彼女。
大人になった今振り返れば、こんなこと馬鹿みたいに簡単なことではあるが、小学6年生で、当時思春期というものに直面したばかりの自分にとっては、性別という壁はとてつもなく高いものに見えた。
「呼んでくれないんだ。」
彼女が悲しそうに下を向いた。
「下の名前で呼ぶのはすごく恥ずかしい。だけど、それよりも彼女に嫌われたくない。」どこから湧き出たか良くわからないこの感情が、当時の僕を突き動かした。
「れ、麗奈さん。」
「さんつけなければもっといいんだけどな。」
「呼ぶだけでも感謝しろよ。」さらに高いハードルを要求され、心の中で思う僕。
「れ、やっぱ無理だわ。ごめん。」
「うわ。」
驚いたような声を出す彼女。
「だってなんか、彼女、みたいだからさ。」
「ふーん。」
必死に笑いを堪える彼女。
「彼女って、さん付けたほうが逆に先生みたいなんだけど。」
「嘘でしょ。」
「なら苗字呼び捨ては?」
「嫌じゃないけど、そっちなら名前の方がいい。」
「なら、同じクラスだったら呼んであげる。」
「えっ、ほんとに?」
僕は逃げた。とりあえず逃げた。
さっきとは真逆の感情に全てを賭けて。
「言ったからね。約束ね。」
「うん。ってか、ちょ、ちょっと。」
彼女は、僕の制止に聞く耳すら持たず、学校まで全力で走って消えてしまった。

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