2024/04/07 16年ぶりの邂逅

昨日と今日とたらふく飲んだ。もちろん酒だ。
駒込、上野、新宿、代々木、阿佐ヶ谷、高円寺。
なんでそんなに飲むのって、飲みたいから飲むのでは無い。
会って話したい人がいるから飲むのだ。(基本的には。)
今日行った飲み屋の大将が良いことを言っていた。
しかし既に言葉の端々から散り散りになっていっている。
昨日話した言葉はまだ思い出ではなく形になりかけている。
そうして形骸化した形だけが良い心地や悪しき心根となって残っていくのだろう。
齢30も過ぎればそんなもんだ。

さて、正直心の底から会いたいと思う人なんて両の手指だけで事足りたい。
それくらいを願う人生であればいいなんて、しみったれた考えも持つようになった。
その中には老若男女問わず色々いる。
かと思えばふとした瞬間にあぁあの人もいたな、
なんて淡い思いを抱いた人や才能や芸に嫉妬した人なんかもいる。
しかし普通に生きてる業が多い自分にとってはそれだけでは飽き足らない。
思い出は人だけでは構成されないからだ。
様々な色や曲や映像なんかも一緒くたになっている。
今回はその中の一つのお話を酔っぱらった勢いでしたいなと思う。
なに、言いたいことは至極単純なので、この駄文を時間つぶしに読みたいと思ったら
飲んべえが自分語りを始めたと思うか、あなたの酒の肴にでもいかようにでもしてくれたらこれ幸い。

言いたいことをまず初めに言えばこの駄文から解放される人もいると思うので先に言う。
『わっち、かわいすぎやせんか?』

わからない人はバックしていただいてい結構。

『狼と香辛料』がリメイクされましたね。
リメイクされたので、「そういえば俺、ちゃんと過去作見て無いなぁ…」と思ったので、
ここ2日で過去の1作2作を見た。
原作は数巻買って読んではいたけれどもあの時は読んでいる自分自身自体のオタク気質に酔っていた部分がある。
なんともまぁオタクの風上にも置けないオタクだったかと冷めざめする。
今はオタクを自称することすら恥ずかしく思っているので過去の過ちの一つに過ぎない。
ここで自分なりのオタク文化について費やそうとすると時間がかかりそうなのでやめておく。
まぁそんななので内容なんて1、2巻分程度しか入っていなかった。
そして今や旧作となったアニメを見て改めて思った。
ちゃんと、アニメ化するならちゃんとしてほしいな、って。

狼と香辛料は商業人の主人公と化神である相棒のやりとりに愛しさを覚え、
商業人としての二人の行く末を見届ける物語だと、
簡単に言うならそういうことなのかなと思う。
まぁこんな3行で「じゃあアニメ見てみようか!」なんて気になる人もいないと思うから、
ここからはかなり平たいことを書いていこうと思…ったんだけど
無駄に情報が入りすぎたので新作アニメのことを書くのは憚る。

ここで話はちょっと変わるが俺は最近落語をよく聞く。
寄席にこそ行ったことはないが、近々定席にいくつもりでいる。
最近のお気に入りは小三治師匠。
知ってから亡くなられているのを知るのは本当に残念だ。
その他様々な人の落語も講談もを聞くが、存命の真打で聞きたいと思うのは
それこそ片手に収まる程度のまだまだ自分の知識が浅いものだ。
で、その落語のなかで廓噺というものがある。
アニメで近いものを上げるなら、一昨年?やってた鬼滅の刃の吉原編と言えば
アニメやその辺に聡い人なら、あぁ吉原ね。となると思う。
吉原と言えば男の遊びの場。落語では色恋沙汰の話がメインだ。
その吉原だったり、品川だったりの芸者が使っていた言葉に廓詞というのがある。
狼と香辛料でヒロインがメインに使っているのがその廓詞というのが今回の話のミソ。

ヒロインは自分のことを「わっち」、言葉尻には「ありんす。」などなど
主人公の男を試すような時に主に廓詞を使う。
16年前の自分は「古ぼけた言葉を使う奇をてらった言い方をするなんて、読者を引きつけたがる道具を使うとは、作者はなんて浅知恵。」
なーんて気軽に思っていたし、その年齢としては世の中全体を穿った目で見まわし、
知らないことがあれば世の中を憂いて、嫌なことがあれば何に世を儚むのか知れない
所謂中二病がいつまでも抜けないようなクソガキだった。

しかし今になって改めて見てみたら主人公とヒロインのその駆け引き、
特にヒロインが主人公を試すような言葉にグッとくる。
その廓詞と演技に「もし自分だったら…主人公。よく耐えられるな…」
なんて思うこと幾数多。
そうだよな、これだよな、世の男も試されてなんぼ、
それを扱う女もまたそれ相応でなければ引き立たない。

先から書いている通り、俺は酒が好きだ。
最近は機会飲酒に限定しているが、酒の席での男女の駆け引きは
自分でしていても楽しいし、他人の様を見ていても楽しい。
自分自身、店に立った経験もあるし、その数倍客としていることの方が勿論多い。
正面から事の成り行きを見て楽しむ場面もあれば、
男女ともに懇意にしている客を雑に扱われないように
持て成すこともしてきたつもりだ。
で、最近は機会飲酒に限定しているからか、やはり生での男女のやりとりを見る機会はぐんと減っている。
コロナがあってからは飲みの場を出会いとして利用する人も減った傾向に見える。
正直、若者の酒離れ、何離れと言われて久しいが、
人間の生のドラマを垣間見れないというのは非常に寂しい。
その場にいれば、自分がそのドラマの登場人物にもなり得る。
勿論、ただの傍観者として酒の味を嗜みながら傍らでほくそ笑むこともできる。
人生の楽しみを失いかけているが、酒の場で人格を保ちながらいかに
駆け引きをするのか?それも色恋だったり貸し借りだったり
情報も、人情とはなんぞや?という自分語りをすることもできる。
傍観者として得られることもあれば、その場に立ち降りて場をシラケさせることもできる。
そのライブに必要なのは数千円の金と余暇であまりある。
もちろん何もない場もある。
よっぽどの若造にかける言葉なんて、「その場を楽しみな。」程度の言葉で良い。
釣り針にかかった魚を釣りもできるしリリースすることもある。
酒に溺れた人間を何人も見てきたがお互い溺れて流れていくもよし。
勢いにまかせて頬をはたかれた男と語らうもよし。
泣いてる女を引っかけるもよし。
自分は一線を引いた身だから、だったら老人と茶でもすすりながら昔話を聞いていた方がよっぽど健康にもいいし面白い。
だが改めて思う。やはり酒の席は面白い。
酒は人を少しだけ狂わせるからだ。

そこで今回見た狼と香辛料はヒロインの方が勝気で主人公はどうにも童貞臭い。
ま、そこは読者視聴者層と価値観を合わせようとしていようと思うのだが、
しかし何故か会話劇が面白い。
そして主人公とヒロインはとにかくよく酒を飲む!そして語らいあう。
その楽しさの中には現代語では味わえない廓詞の艶があるからだな、と単純に感じた。
廓詩って何?わっち?~じゃ?ありんす?はぁ?のじゃろりババァじゃね?となるのが大体相場と見る。
でもそうじゃないんだよなーって思えるのは自分自身がジジイ化してるからで、落語を聞いているからに他ならない。
また今の自分の価値観では。 落語は老人の嗜み という感覚がどうも離れない。
しかし、「落語を聞いている俺って乙ゥ!」なんとことは微塵も思わない。
でもリアリティと物語との差異はぶっちゃけ感じてしまう。
だからこそ、自分自身が寄席に足を運び、その場の空気感を感じることはしておくことに越したことはないと感じる一端でもある。
昨日駒込で見た太神楽もその一つだ。
目で見、耳で聞き、体で受け止めることの大事さ。
とある人が言っていたように、
この風、この肌触りこそ云々ってやつ。
わからなかったら調べて、そして見て。

アニメが子供のものなんて言っていたのはいつの時代か。
サブカルなんて言われていた時代がもはやいつの日か。
それも寂しいが、やはり今作られているアニメの95%程度は
一時一瞬の快楽でしかないのが残念だ。
そういう意味では博打脳と一緒だと思う。
かわいい女の子があられもない姿で出現し、
主人公に自分を重ねて都合のいい物語が流れては消えていき、
また現れては消えていく。
オンタイムで処理しきれているのであれば金がかからないのが唯一の救いか。
またそして出来が悪いものがあるのも運否天賦のところもある。
要は脳ミソの快楽物質を操られているに過ぎない。
しかしそれがどういうカラクリで自分がどう反応しているかを知るのは容易い。
酔ったおっさんが寝るまでの酔い覚ましに戯言を連ねてきたが、
改めて、「わっちはかわいい」。
推して言うのであれば、小清水さんのわっちはかわいい。
それにこたえる福山さんのロレンスの成長は楽しい。
新作のOP、EDについて言及したいところだが、そうすると夜が明けてしまう。
さて、新作がどう転がるのか、楽しみじゃのう。

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