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北欧2018 共生の条件<6>忘れ得ぬ人びと

旅の途中の9月15日(2018年)に上杉文代さんが、帰国した22日に安藤房治さんが逝った。大事な旅の仲間だった。

   ◆◇◆

上杉さんは94歳、1924年和歌山生まれ。
ろう学校教員で全障研和歌山支部長など障害者運動を牽引された。
また、障害のある玉野ふいさんの参政権保障をと最高裁まで闘った。

不調と聞いて7月15日に和歌山のご自宅を訪ねた。
たくさんの想い出を語り合うことができた。

手紙もたくさんいただいた。
わたしの発信メールには90歳をこえても必ず返信してくれた。
いただいた最後のメール。昨年の旅の報告への感想だった。

2017年10月3日 03:05
枕の下で ケタタマシい音。 ニルスからだ。
涙がまずコボレた。
柔らかい 暖かい ものに包まれた。
私は寝ながら 旅をした。
みんなと 一緒に 旅をした。
兎に角ご無事でお帰り お愛でとう 上杉文代
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もう一通はわたしの退職のときのメール

2017年3月23日
名古屋城の 見える 処からの 想い届きました。
繰り返し 共感、大きな 歌を 詠いました。
全障研は 家族ですね、北欧に自慢出来る 家族ですね。
私も「これほど 大切な出会いは無い」と身に沁みて感謝しています。
此からも ずーっと宜しくね。
今日はデイケアの日 風は未だ冷たい。お元気でね。 上杉文代


◆上杉文代「人生の旅」
第1回 カルチャーショックの旅(1993年)
 http://www.nginet.or.jp/kinbe/SAS/fu/usg_1.html
第2回 北欧の民主主義(1998年)
 http://www.nginet.or.jp/kinbe/SAS/fu/usg_2.html
第3回 星の旅(2004年)
 http://www.nginet.or.jp/kinbe/SAS/fu/usg_3.html
第4回 鬼になって行った旅(2007年)
 http://www.nginet.or.jp/kinbe/SAS/fu/usg_4.html
感動の「小説・ヘルシンキ」、「文華」27号(PDF)
 http://www.nginet.or.jp/kinbe/SAS/fu/uesugi_Helsinki07.pdf

◆上杉文代さん87歳のメッセージ(動画) 2011年夏
 https://www.youtube.com/watch?v=o8L9Q5Qghwo

    ◆◇◆

安藤房治さんは弘前大学名誉教授で全障研青森支部長、70歳だった。
青森大会後の闘病の様子は「みんなのねがい」巻頭言を参照してほしい。

奥さまの安藤晴美さんの「一緒に歩めて幸せでした」心から伝えます(写真集参照)にこころを打たれた。

    ◆◇◆

少なくない旅の仲間が逝っている。
○小野隆二さん(1993年旅)埼玉・あかつき園園長、全障研埼玉支部長など
『施設にくらしをきずく』など珠玉のエッセイだ。

○上杉一男さん(1993年旅)群馬出身、難病をかかえながら大阪でろう学校教師。「孤高の詩人」とはパートナーの文代さん談。随想『平成徒然草』

○高井博之さん(1993年旅)大阪の期待された障害者運動のリーダーだった。「私たち自身が願っている内容とこの国で行われている内容には
なんら代わりはないこと。このことに私は自信と確信をもって、これからの仕事や障害者運動にいかしたい」(「報告集」)

○加藤直樹さん(1993年旅団長)重症心身障害児のびわこ学園職員から立命館大学教授、全障研や人間発達研究所、きょうされん滋賀などの役員。個人的にはカミサンとの出会いの秘密を握り、カラオケの師匠。
国会前の訴え(2012年)
https://www.youtube.com/watch?v=KPKwy7Quhok

○高村瑛子さん(1998年旅)
近江学園からの保育士。糸賀一雄さんを直接知り『ヨーロッパ便り』(1960年)をわたしに教えてくれる。「何がいちばん必要かということをさきに決めることが、一番大事なのだ」。群馬・桐生市出身。

○小川政亮さん(1998年旅団長)日本社会事業大学、金沢大学法学部教授など。社会保障法の大御所。学部違いのわたしをいつも気遣ってくれた。北欧ツアーのコーディネーター・深井聰夫さんとの出会いをつくってくれた。
「百聞したからこそ、一見が価値を持つ」は98年旅の名言。

○山崎厚子さん(1993年、1998年、2004年旅)山崎さんたちへの追悼のおもいを『北欧=幸せのものさし』で綴った。

東京の葛飾区に、知的障害のある若者たちの〝たまり場”「ぽむぽむ」がある。リーダーの山崎厚子さんが「緩和ケア」を利用していると聞いていた。
「いまコペンハーゲンです。山崎さんたちといっしょした初めての旅から20年。北欧もどんどん変わりますが、変わらないものを見つめて」と旅の途中でメールした。
「わあ、いいな! あそこからはじまったのよ、ぽむぽむも。疲れすぎないようにがんばってくださいね」と返信があった。

帰国した翌日。「今日の3時頃おみやげ持ってあそびに行こうと思うけど、いいですか?」とメールした。返信はなく、しばらくしてケータイが鳴った。

「娘です。母は今朝亡くなりました。昨日まで数日自宅で過ごしていましたが、昨晩呼吸が苦しいというので、病院に戻りましたが、今朝」

山崎さんには、ぽむぽむの実践報告を『障害者問題研究』誌にお願いしていた。通夜で、論文を共同執筆した娘さんから、「病室にいることを忘れてしまうような、まるで大学のゼミの課題を仕上げているような雰囲気でした。そんな中で印象的だったのは、母が〝この論文をとおして、また新しい発見があった”〝失敗やまちがいをおかしても、やりなおせる場所がぽむぽむだ。あなたたちにも覚えておいて欲しい”と言っていたことです」と聞いた。

帰宅するといっしょに参列していた妻が、「よかったわね。原稿をお願いして」と言った。洗面所で涙がとまらなくなった。

前著『北欧 考える旅』をまとめた2009年以降、親父や義母を看取り、恩師や親友、先輩たちの死に直面して、生きているいのちの重みを感じている。

倶会一処(くえいっしょ)「倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」は、義母が生きた北陸の教えだが、人間の身体は消えていくけれど、
その志は、それを受けつぐ者たちのなかでつながっていく。


○北欧2018 共生の条件<7>忘れ得ぬ人びと(追悼動画3分)
https://www.youtube.com/watch?v=PfQ5cfW67zw


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