辻仁成さん文章教室で洗礼を受けた生徒との間に流れる昭和のMood

学校が嫌いだった。社会生活もできたけど苦手だ。集団生活がものすごく嫌いなんだ。

そして、毎日同じ人と同じ時間に同じ場所で会うのが耐えられない。家族は別。たまたま自分が好きな人たちが家族だったから楽しく過ごせた。特に子供時代。そして大人になったら自分で自分が気に入った人と結婚することができるので、それも満足している。

自分が住む場所は大きな村社会だと思っている。もっと言うと、日本に住んでいる時点で、日本が大きな村社会だと思う。
日本に住むのは今のところありがたいなと思う。

住む場所は、地域性によって、住んでいる人の人格が左右される。だから嫌だったら引っ越せばいいと思う。状況によりますが。

学ぶ事は大好きなので、社会人になってからも講座やセミナーに出た。できるだけ単発のものを選んだ。長時間同じ人たちと毎回会うなんて耐えられないからだ。
コスパ的にも短時間で高額じゃなくて、内容が濃いものを選んだ。自分の時間とお金を無駄にしたくないからだった。

今は、オンラインサロンやセミナーが主流なので、ほんとにありがたいと思う。自宅にいながら人と対面せずに、短時間で必要なことだけを学べる。セミナー後にみんなとお酒を飲んだり、お茶をしたり、それも楽しかったけど、今はそんなところに時間、エネルギーを使いたくない。

ほんとにいい時代に生まれてきて幸せだ。

だけど、そんな私なのに、オンラインセミナーでさえ、嫌になることがある。自分でも信じられなかった。人と対面していないのに??もちろん講師の顔は見える。

なんでこんなに嫌なんだろう。自分なりに分析してみた。人と距離がある分、相手の人となりが浮き彫りになってくるのではないか? 1ヵ月ぐらいは尊敬したり好きだった。講師の人も、上部と本音の使い分けが丸出しににじみ出ていて、むしろ、本音のどす黒い部分の方が強くて気持ち悪くなってくる。
好きだったのに、大嫌いになってセミナーを辞めることが多い。そんなに強く、相手に期待していたわけではないのに、大嫌いになってしまう。セミナーやサロンに長く滞在すればするほど、その人が大嫌いになる。嫌いになっていることを自分で強く認識するのが嫌だから、自分を解放するために退会するのだ。

期待していないのに嫌いになると言う事は、セミナーの講師がいかにビジネスとして、一般大衆に気に入られるように上部の顔を計算して、演技して取り繕っている部分が大きいかによると思う。

いかに尊敬されるか、人当たりの良さを演じている部分が強ければ強いほど、本当のその人を知るとギャップが大きくなり、そしてその本当の部分が大嫌いな、性格であることが多いんだろう。

学校や教室などの空間が大嫌いな理由

は、講師だけではなく、生徒の振る舞いに違和感を感じてしまうから。

とにかく群れるのが嫌いだ。子供の頃からそうだったから、理由はあまりない。生理的なものだ。ほんとにそうなのかな?

生徒たちの振る舞いで、嫌いなところは、昭和に作られた映画やドラマ、漫画本のように、根性でなんとかしようとする姿勢が苦手で、ドン引きしてしまうのだ。

ど根性でなんとかしようとしている人たちは潜在的にも、意識的にも、心からの欲求でやってるわけではなくて、必ず第三者の(特に先生)目線を気にして行動しているところがドン引きするのだ。

例えば、文章教室で、自分の文章が上達になることが目的だったはずなのに、講師に認められることが目的になってしまうことが多い。本当にその講師に認められたいのか?
もちろんその人に認められれば、何らかの形で見返りがあると思ってている人の下心があるからやっているのかもしれない。


辻さんの文章教室で、こんな人がいた。去年の11月に懸賞付きの講座があったのだが、テーマは文章の推敲であった。そのため、100つの作品の中から選ばれた問題作品(いけにえ)を選び、辻さんが、一文字一文字をつつくように文章の推敲方法を教えてくださった。

生贄として選ばれた素人の作家さんは、公開処刑される前に、作品を何度もぶん殴られて、ボコボコにされた。
書いた人は多分女性だ。文章がいかにも女性と言う感じだった。

昭和の何くそ精神と下心

その後、その人は、自分でリライトして(書き直して)、編集部にその作品を送り直したそうだ。それを聞いたときどう受け取るかがその人の真髄だと思う。
私はひねくれているかもしれないが、リライトした作品を提出したと聞いたとき「うわーそれやったかー」と思った。
別に、昭和のスポ根漫画みたいに、師匠にくらいついて、しつこく自分の根性を見せるのはいいと思うけど、そういう話を聞くと、どうしても私はドン引きしてしまうのだ。

リライトした人の気持ち


事細かく構成されたときに、元悔しくて怒りが湧いてきたと思う。その次に自分の実力のなさに涙が出たのだろう。
そして、その人の作品をもとに、辻さん自身がプロの文章力でリライトしたものを読み、涙が出てきたとちょっとコメントに流れていた。多分その作者だと思う。
プロと素人の圧倒的な文章力を見せつけられて、悔しがっていた自分が粉々に砕けちったのだろう。
それから、2ヶ月ほど経って、おそらく女性の、その生徒さんは自分なりに書き直して編集部に送ってきたそうだ。

ただ書き直すなら、自分で書いて読み直せばいいと思う。だけど、それをわざわざ辻さんの編集部に送ってきたと言う事は、辻さんに読んで欲しかったんだと思う。
そして彼女なりに自信が持てる作品に仕上がったのだろう。つまり、なにくそ、根性で書き直して、どうだ、これならと言う作品を送りつけて見返したかったのかもしれない。
そして弟子入りする人の心の奥底に隠しているつもりの、野心故の厚かましさが見え隠れしているように私は感じた。

自分の熱心な姿勢を見せることで、63から64歳の昭和の根性論世代の辻さんが心を打たれると予測したのではないでしょうか?

そして、彼女と辻さんの精神論が共鳴した結果、もちろん、彼女の作品も上達していたからだと思うが、特別に今回は辻さんのフランスのインターネットサイトに、その記事を掲載してもらうことになったようだ。

彼女の思惑通りになったので、ほんとによかったねと思った。

だけど、熱血漢の根性路線で何かを推し進める事は、どうも、私は苦手だ。自分が飽きっぽい性格であり、常に冷静な視点で、その人の行動や考えを推察してしまうため、熱血でイノシシのように一直線に走ることができない。
1つのことに夢中であるかのように、自分を騙して演技する事は可能だが、必ず第三者の自分が自分を見下ろしているので、真実や行動のアラに目がいってしまうのだ。
また、そのことに気がついていても、無視する厚かましさと野心も持ち合わせていない。
厚かましさと野心に、自分自身で気がついた時点で、ものすごく冷めてしまうのだ。

だから、今回の話を聞いて、昭和にありがちな生徒と先生の熱血根性論者の精神と、野心家のスピリットが共鳴したのだなと思った。

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