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食卓にかかる橋


ちっちゃい頃、好きだったぽこぽこ

社会人になり、一人暮らしを始めてから実家に帰ると、どういう訳か、いつも高野豆腐の卵とじが食卓に。不思議に思って母に聞くと、「あんたが好きやからやん」と。一度も好きだと言った覚えがないその料理を見ながら、母は続けます。

「ちっちゃい頃、高野豆腐って言われへんかったから、ぽこぽこ、って呼んでたんやで。ぽこぽこ作って〜て。」

「そうや、そうや。ぽこぽこや。」と嬉しそうに乗っかる父。そんな2人に、わたしはもういい大人なんやから、うるさいわ。別に好きちゃうし。と、子供扱いされた事への苛立ちもありながら答えてしまうのでした。
 

ママの好きな料理はなに?

子ども達から、「ママの好きな料理はなに?」と聞かれると、そうやなぁ…と頭を悩ませてしまいます。卵料理とか、和食とか、カテゴリーでは答えられるけれど、一品料理だと思いつかないのです。そういう時、頭に思い浮かぶのは、「別に好きちゃうし。」と答えていたはずの『ぽこぽこ』。両親の思い出話や、帰省するといつも出てくる料理から、いつしか好きともまた違う別の感情があるのを感じていました。
 

突然やってきた伯母のぽこぽこ

母が他界して、1年と少し、実家に帰省していたある日。近所に住んでいる母の姉が、お惣菜を作って届けてくれたことがありました。ハンバーグ、つくしの佃煮に並んでいた「高野豆腐の卵とじ」に目が釘付けになります。
 
そして一口。
わたしよりも先に、子ども達の声が出ました。
 
「ばぁばの高野豆腐だ!」
 
子ども達が産まれてからも、帰省すると必ず並ぶ母のぽこぽこの味を、子ども達もよく覚えていました。その母のぽこぽこが、再び食卓に並ぶ日がまた訪れるなんてね。込み上げてきた想いは涙に変わりました。
 

時間も空間も越えて食卓にかかる橋

見た目も味わいも母のと変わらぬ『ぽこぽこ』を食べて思ったのは、”母のぽこぽこ”というだけではなく、かつての”祖母のぽこぽこ”でもあり、現在の”伯母のぽこぽこ”でもあるということ。世代を超えて、家庭を越えて、食卓は繋がっているということ。
 
そういえば、わたしの大根葉のふりかけは、三重の友達のおばちゃんから教えてもらったものだし、黒豆煮は親戚のおばちゃんのレシピ。そういう、誰々さんから教えてもらった料理がたくさんあります。同じ料理を作る・頂くということは、食卓に見えない橋をかけることなのかもしれませんね。

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