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急遽卒業式を挙行した話

まず始めに、今回の新型コロナウイルス感染症に係る卒業証書授与式の中止が各地の公立学校で相次ぎました。その影響で、参列できなかった児童・生徒・保護者のみなさま・来賓のみなさま・すべての関係のみなさまのご心中お察し申し上げます。

私が勤務する高等学校では、政府の報道があった翌日、2月28日(金)に急遽卒業式を挙行することになりました。この先二度とこのようなことが起こらないだろうと思い、感じたことを書き残してみます。

1.いきなり卒業式なんてできるのか?

2月27日(木)の夕方、政府の報道により、来週3月2日(月)から休校になることが決定した。ちなみに予定通りであれば、その日に卒業式がある。だからこのままの予定だと、卒業式は中止になる。

しかし、翌日2月28日、予定では予行練習だったが、卒業式に急遽変更。

2月28日(金) 卒業式予行 → 卒業式本番
3月2日(月) 卒業式本番 → 臨時休校(3月3日以降も休校)

いきなり卒業式なんてできるのか?生徒はもちろん職員もみなそう思っていた。幸い本日予行の予定だったため、会場は既に完成していた。卒業アルバムや記念品など最後に渡すものも、なんとすべて揃っている。

卒業生を送り出せるのは、もう今日しかない。

2.異様な光景だった

それは卒業式と呼ぶには、少し華やかさに欠ける式典だったかもしれない。

感染対策のため、卒業式に参加できたのは卒業生と職員だけ。在校生は校舎で授業。もちろん急に決まったのだから、保護者、来賓が出席されない。そのため、体育館はガラガラ。壇上花もない。当然朝の朝礼まで知らされていない先生もいるもんだから、ジャージ姿で参加する体育教師もいる。参加した一同は全員マスク着用。

異様な光景だった。

ただ、不思議なもので、この異常を誰一人疑うことなく、皆受け入れて卒業式は進行した。こうする他、卒業式の実施は不可能であったのだ。

式次第も大幅に省略した。
卒業生入場、卒業証書授与、学校長式辞、送辞、答辞、卒業生退場。以上。
90分の予定が、50分程度で卒業式は終了した。

3.涙を流している卒業生がいた

卒業生が退場するまでは、申し訳ないが、正直気の毒という気持ちしかなかった。

私たち教員は、毎年卒業式を見てきている。卒業式は晴れ舞台。今回は異例だから、心の準備もなく、縮小バージョンで急遽当日挙行されて、気持ちの整理がつかないまま卒業を余儀なくされる。あまりにも残酷な現実に、主役は一体どんな気持ちなんだろう。

まもなく卒業生が退場する。花道を歩く。

そのとき私は、意外な光景に驚いた。目に涙を浮かべ退場する生徒が何人かいた。

涙の理由はわからない。

こんな形の卒業式になってしまったことが残念だったのか。

お母さんにこの姿を見てもらいたかったのか。

後輩に会いたかったのか。

しかし、マスクを着けていたから表情が若干わかりにくかったものの、どうやらそんな感じではない。私は、決して悪い印象は受けなかった。

「今日が、高校最後の一日…。」

きっとそんなことを感じていたのかな、と思う。

そのとき気がついた。そうだ。それはいつも通りの卒業式だ。

急遽とか縮小とか関係なかったのかもしれない。卒業生にとっては、用意してもらったこの日、この式典が「卒業式」になるのだ。もしその子たちにとって、今日で終わってしまうと思っていたのであれば、それは私たち教員にとって、この上ない喜びであり、やりがいである。

終わってしまうということは、高校生活が楽しかったからこそ感じることだ。3年間くだらなかったと思っていれば、涙なんて当然出ない。感動して号泣してくれた卒業生がいたことは本当に嬉しい。

もし本当に彼らがそう感じていたのだったら、急遽卒業式を挙行してよかった、と心から思えた。

4.卒業式は晴れ舞台である

教員という仕事は日々やりがいに満ちているが、特に卒業式は、やりがいを感じられる場面のひとつである。

思い返せば、3年前。中学を卒業したばかりで、あどけなさが残る未熟な少年少女が、いつのまにか大人になっていた。容姿だけではない。学力はもちろん、言葉遣いや態度などの社会性が身に付き、生きる力が大きく伸びた。

そして最後には、まだ少し高校に残っていたいという本音が溢れ、何事にも代えがたい感動として私たちに届けてくれた。

結果的に、今回は校長がファインプレーを魅せ、卒業式を挙行した。卒業する生徒たちを見届けることは、私たち教員の使命である。

卒業おめでとう。二度とない卒業式に参列できたことを、誇りに思います。

卒業式は、二度とない晴れ舞台である。

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