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『哀れなるものたち』

先日、映画『哀れなるものたち』を見てきたので、感想を書きます。なお、原作は読んでいません。そのうち読みたいです。

理性的な女たちと感情的な男たち

 ベラは、最初こそ幼児の知能で感情に任せて暴れることが多いものの、さまざまな経験をして成長していく過程で、(正確には覚えていませんが)「残酷な気持ちになる」「イライラする」と自分の感情を言語化して伝えたり、怒り散らすダンカンに「話が堂々巡りだ」と指摘したりと、言語的に、論理的にコミュニケーションを取ろうとしています。
 ベラが船で出会ったマーサは、本作における理性・知性の象徴のように感じます。ベラに性的快感よりも長期間持続する知的好奇心・知的快感の種を与えました。性的快感に誘おうとするダンカンがベラから本を取り上げて投げ捨てても、すぐに別の本をベラに渡します。知性とは他人が奪えるものではなく、知識は他者と共有できるという示唆のようにも思いました。
 もう一人、娼館の同僚トワネットは社会主義者で、ベラを社会主義者の集会に連れて行きます。時代的には19世後半かなと思っていますが、その時代といえば、第1インターナショナル、第2インターナショナルと社会主義が盛り上がる時代です。特に後者はパリで結成されました。時代の潮流を感じ取り、政治、経済、社会のことに強く関心を持つ女性です。

 翻って男性陣。ゴドウィン・バクスターは、科学者であるからには感情に流されてはいけないと自分を律しようとしますが、そう思っている時点ですでに感情に流されているのです。この場合は子供のような存在だったベラが手元にいない寂しさという、比較的理解しやすい感情のように思いますが、理性に対して非合理的なほどに固執する彼はその感情を受け入れられず、フェリシティという第2の実験台の誕生につながってしまいました。
 2人目はすでに「怒り散らす」と書いたダンカンです。前述の本を取り上げるシーンでは、マーサが知性の象徴であるのに対して、彼は性的衝動・性的快感の象徴であるように思います。加えて、何か気に入らないことがあると物に当たり、ベラを力づくで押さえつけます。ベラが娼館に入ったあと、「許すから一緒に行こう」という全く的外れな発言をして、ベラにバッサリと切り捨てられる場面もありました。話が通じず、他責思考で、収監までされていましたね。
 最後はベラの前世(とでも言うべきでしょうか)の夫、アルフィーです。当然の如く他責思考で、彼は気に入らないことがあるとすぐに銃を抜いて脅します。あまりに簡単に抜くので、おもちゃなのでは?と思っていましたが、最後ちゃんと発砲していたので本物でしたね。彼との会話は全くできません。感情と暴力が直結しています。

 以上のように、見事なまでの対比です。バクスター家のメイドも、ベラに対して好意を抱いてはいなさそうでしたが、外科手術に淡々と参加し、基本的には声を荒げることもなく職務を遂行する人でした。娼館の女主人スワイニーも、生きること、お金を稼ぐこと、世界を知ることを教えてくれました(耳は噛むけど)。

 そしてもう一つ、次の項目にも繋がりますが、理性的な女性たちは年齢もエスニックバックグランドも社会層も多様なのに対し、感情的な男性たちは皆、一定の社会的地位を持つ白人男性です。この対比は強烈であるように思います。

非白人男性の役割

 非白人男性とは、白人か男性のどちらか、あるいは両方に当てはまらない属性の人のことです。前の項目でも少し触れましたが、本作では非白人男性が重要な役割を果たします。ベラが出会った順で書いていきます。

 まずはベラの行動を記録するようバクスターに依頼された医学生マックス・マッキャンドルスです。彼はアラブ系で、他の医学生から下に見られていました。しかし彼の根気強い対応でベラも彼に心を開き始め、彼女自身「結婚に相応しい」のは彼だと考えます。ベラが大冒険から戻ってきて、娼婦として働いていたことを知っても、相手の男たちに嫉妬こそすれ、「君の身体は君のものだから」と干渉しません。所有欲を爆発させたダンカンとの違いが明確です。最初から最後までベラを理解し、受け止めてくれる存在と言えます。
 船上で、知性を与えてくれたマーサと共にいた黒人の青年ハリーは、ベラに現実の厳しさを見せました。ハリーはベラを傷つけたかったと言いましたが、これはマーサが与えたくれた知識と相互補完関係にある「経験」の獲得だと私は思いました。知識だけを得ても頭でっかちになるばかりで、経験だけでは対応に限界が来ます。社会の最底辺の人々を見た初めての経験と、本で得た知識が結びついた結果、ベラは船員に大金を渡すという行動に出たのでしょう。しかしもっと知識があれば、あそこまでの状態になった彼らに現金を渡すより、もっと効果的に彼らを救う方法があることに思い至るだろうし、経験があれば、船員が大金を自分のものにしてしまうだろうことも予想できたはずです。貧しい人々を思って大金を船員に渡すという一見愚かな行為は、ベラが知識と経験の両輪を得て、初めて回した瞬間だったのかもしれません。
 こうして知識・知性・知恵と経験の両輪を回し始め、ベラは娼館で次々にくる客と、少しでもお互いにとっていい時間にするためのルールを作ります。そしてそのかたわら、トワネットと一緒に社会主義者の集まりに行きます。19世紀後半の社会主義は、世界を知性(生産力と生産関係の法則化)と経験(歴史)でとらえ、現在、そして未来への世界規模での対応(革命)を志向していました。船上では一人で抱え込んで、おぼつかない様子で車輪を回しましたが、今度は、ヨーロッパ規模に広がるネットワークのなかに自分を位置付けようと試みています。バクスター邸に閉じ込められ、ダンカンに束縛されていたベラが、外の世界へと広く大きく踏み出していくのがわかります。加えて、ベラとトワネットは性的関係を持ちます。ベラはこれまでダンカンや、リスボンでたまたま出会った男、娼館の客など、男性とのみ性的接触を持ってきましたが、ここでヘテロセクシュアルな枠組みからも外れることになります。

ベラの成長や自立に影響を与えたのは、以上のように、非白人男性の登場人物ばかりです。前項目とあわせて、本作は、多少揺らいでいるとはいえ依然として強固な白人男性至上主義的な人種差別、ヘテロセクシュアル至上主義、男尊女卑がもつ観念を大きく組み替えているように思います。

人間としての喜びとは

 本作はフェミニズム映画と形容されることが多いと思います。もちろんその要素もありつつ、そして後述しますがそこから大きく逸れる描写も含む、本質的には人間としての喜びについて、少々ブラックなコメディをまといながら語っている映画だと思いました。
 フェミニズム要素があるのは、
・(白人)男性の支配から脱する女性の成長と自立
・本を読んで一人称が「ベラ」から「私」に変わり語彙も増えた結果、ダンカンに愛らしい話し方が失われたと言われる場面
・試行錯誤しながら娼婦の仕事をして、自分の身体について自己決定をするベラの姿
・女性に対する所有欲を否定し、「君の身体は君のもの」というマックスの発言
が挙げられます。

 他方、劣位に置かれた性的存在としての女性でなくとも当てはまる、自己決定や人間としての喜びも随所で描かれています。
 最初にベラが目覚めたのは性的快感でした。自慰行為をベラは「幸せになる」行為と表現していました。ベラがダンカンとセックスを重ねたのは、単純にその快感を求めたからであり、子孫を残すという目的のためではありません。その意味で、動物ではなく人間的な喜びと言えるかもしれません。また、ベラはダンカン、娼館の客、トワネットとの性行為に愛情を持っているわけではありません。愛情のコミュニケーションとしてではなく、趣味や仕事としてのセックスが描かれているように思いました。このような表現は、前述のヘテロセクシュアル至上主義への異議と同時に、愛情とセックスを結びつけることへの異議でもあるのではないでしょうか。
 次にベラが目覚めたのは食の楽しみと自己表現の楽しみです。バクスター邸では楽しく美味しい食事シーンは一度もなかったように思いますが、リスボンで食べたカップケーキ(だった記憶)が美味しく、ベラはたくさん食べたいと思います。ボウルルームでのダンスに参加したときは、自分なりの踊りをして自己表現の楽しみを見出します。めちゃくちゃな動きをするベラを、ダンカンが最初はなんとか普通のダンスの型に収めようとしますが、最後にはベラの動きに合わせざるをえなくなりました。
 次は、すでに詳述した、マーサとの出会いで芽生えた知的喜びです。知的快感に目覚めたあとは、ダンカンからの「熱烈ジャンプ」の誘いを断るなど、知的快感が性的快感を上回る場面があります。娼館で働くときには、セックスが好きで、お金を稼ぎたくて、勉強する時間も取りたいと言っていました。性的喜びと知的喜びを自分でそれぞれに制御し、バランスをとるようになっています。
 他者と関わり、コミュニティに属する重要性もあります。ベラはバクスター邸から抜け出し、ダンカンによる束縛からすり抜け、まずはマーサとハリー、ついで娼館の同僚たち、そして社会主義者コミュニティと繋がります。人間は社会的な動物であり、多様な他者との関わりが自己形成や視野の拡大には欠かせません。

 以上のようなさまざまな喜びは、フェミニズムが想定する男尊女卑の構造に置かれた女性だけが制限されたり、獲得に意味を持ったりするものではありません。全ての人間が成長していくなかで共通して求める喜びだと思います。このような点で、本作はフェミニズム的側面はもちろん、より広く人間の喜びを語っていると思いました。
 その意味では、性的快感と知的快感が中心に描かれていましたが、食べたり踊ったり歌ったりするシーンをもっと見たかったような気もします。2時間の映画に収めるためにはポイントを絞る必要があるので仕方ないのかなとは思いますが。

インモラルと映像美と哀れなる人々

 2時間に収めるために削ったのかしら、と思う1番大きなポイントは、インモラルの不問です。
 まずはバクスターの父による、科学を盾にした息子への虐待です。バクスター自身はクソ野郎だったと言っていますが、科学的重要性や父の冷酷さを一面では評価すらしています。そしてその評価をもとに、自分がおこなってきた手術も正当化しています。
 次に、セックスと妊娠または避妊が完全に切り離されていることです。最後にマックスは性病の心配はしていましたが、ベラや相手の男性たちが妊娠を心配したり、避妊したりしていた様子は一度もありませんでした。ベラは妊娠中に自殺したことを考えると、妊娠がない世界だとか、妊娠の重要性が低い世界だとはあまり考えられません。上記と関連して、セックスワーカーの構造的な問題も、ベラの「セックス好きだから」という理由で片付けられているような感じがします。
 最後に、あらゆる手術の是非がそこまで問われていないのも印象的です。バクスター自身の正当化に加えて、ベラが真実を知ったあと、思っていたよりあっさり受け入れていたのも驚きました。アレクサンドリアで打ち捨てられている子供には心底同情し、胎児の脳を移植する行為は「モンスター」だと罵り、第二の自分であるフェリシティを作ったことも非難していたので、そこの葛藤に時間をかけるのかと思っていましたが、意外と早く飲み込んでいました。最後はフェリシティの成長を肯定的に描き、最悪な人間性とはいえ足を怪我しただけのアルフィーにヤギの脳を移植しています。確かにスカッとはするかもしれないけど、モラル的にどうなんだとは思いました。

 以上のようなインモラルの不問が全体を覆う本作ですが、実在の地名で映し出される、現実とはかけ離れた建物や空の色、19世紀後半が想定舞台で馬車が走る一方ロープウェーも動いているなど、非現実的かつ美しい映像が、これは現実の世界ではないと伝えてきます。現実的なモラルの話ではなく、人間が喜びを得て成長し自立していく過程がメインテーマであると私は受け取りました。

 そして、そのようにしてインモラルが脇に置かれた結果、登場人物たちが受けた被害やモラルの欠陥は救われないものになります。バクスターの父からの虐待は前述のとおりです。判断能力がつかない幼い知能のうちにベラが受けた性的搾取とも呼べるダンカンとの性的関係は指摘されません。そのダンカンは遊びのつもりがベラに真剣になって所有欲を爆発させ、最後まで他責しながら精神を病みます。トワネットは、娼館の男性優位のシステムの中で嗜虐趣味の客の被害に遭った示唆があり、マックスは自由と冒険を謳歌するベラを常に受け入れています。アルフィーは、感情と暴力が直結し、おそらく本作に登場した誰よりも認知に問題がありますが、人としてそれが正されることはもう2度とありません。誰も適切にケアされない、とても哀れな人々です。

映画界における女性の性的搾取と本作

 本作はセックスシーンが多く、主演のエマ・ストーンの裸もよく映ります。また、前述のダンカンとの関係もあり、男性による都合の良い性的搾取ではないかとの声が上がっているそうです。それに対してエマ・ストーンは、自分もプロデューサーの一人であるのに、そのように言われるのは変な感じがすると言っていました。
 確かに本作のセックスシーンは脚本上必要な物で人間としての営みや喜びを描く時に性的なことを全く排除する方が不自然だと思います。主演のエマ本人の意向がプロデューサーという強い立場から反映されている点も、男性による搾取とは異なることを示していると言えます。インティマシー・コーディネーターが入っていて、全て合意の上で振り付けを決め、安心した撮影環境が作られ、エマも守られていると感じたとコメントしています。これらの点においては、ここ数年明るみに出ている映画界の性的搾取問題の多くがクリアされている作品だと私は思いました。

 他方で、前述のとおりインモラルの不問の結果、現実的にはケアを要するはずのダンカンとの初期の関係が特に指摘されず、セックスと妊娠が完全に切り離されているなど、男性にとって都合がいいと指摘され得る点もあると思います。本記事の序盤でフェミニズムから逸れる描写もあると書きましたが、このような点を念頭に置いていました。

おわりに

 全体的に、グロテスクなシーンもありつつ映像は美しく、モノクロからカラーに変わった時の色彩の鮮やかさが印象的でした。ベラとマックスの結婚式の時、これで終わったらつまらないなと思っていましたが、もうひとくだりあったので良かったです。最後はみんな仲良く暮らしました、だったのは、そこまでの映画のテイストとやや異なる感じを受けました。ラストは原作とかなり違うそうなので、原作も読んでみたいと思います。

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