見出し画像

小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』岩波書店、2023年、A5判、120ページ、902円(税込)。

第1刷は瞬く間に書店から消え、第2刷はネット注文に充てるために書店にはほとんど出回らず、学術系の本としては異例の売り上げで何刷も重ねている話題の本です。私は奇跡的に幻の第1刷を手に入れていましたが、体調を崩したりバタバタしたりで先月初めにようやく読み終わり、今感想を書いています。時差。

本書の概要

本書は前半で、ナチ党についての基本事項と、ナチ党とヒトラーが権力を握っていく過程まとめます。具体的には、「ナチズム」の邦訳の問題点と、そのイデオロギー的な背景を指摘します。続いて、2章分をかけて、「ナチ党は民主主義に基づく選挙で政権を握った」という、よく耳にする言説を丁寧な手順で否定します。
後半では、「ナチスは良いこともした」と主張する人たちがよく引き合いに出す政策を一つ一つ取り上げ、「良い」とされる点、その政策の背景や起源、その政策の結果という3つの点から検証します。
結論から言えば、どの政策も、当時ドイツに住んでいた多くの人々を排除した形での「民族共同体」の繁栄のために、排除した人々やドイツ外の人々から財産や労働力や土地を奪うことを前提としていました。ごく一部の人々のための「良いこと」は、多くの人々からの簒奪、掠奪、搾取なしには成り立たないものでした。つまり、戦争ありきの政策だったのです。そのうえ、結局どれも期待されたような結果には繋がらず、多少の成果が認められたものは、ナチが台頭する前の時代からの政策の効果でした。
それぞれの政策のある一面は特定の層にとって「良いこと」だっとしても、その政策の目的や背景、結果などの文脈を考えると、「良い」とはとても言えないことと表裏一体なのです。

また、本書の「はじめに」と「おわりに」は、「ナチスは良いこともした」と主張する理由に踏み込んでいます。「はじめに」は岩波のホームページで全文無料で試し読みができます。

「はじめに」では、「ナチスは良いこともした」という主張を取り巻く、歴史に対する様々な姿勢と、歴史学研究の手法とを対比しています。著者は、歴史学研究には<事実><解釈><意見>という3つの層があると言います。<解釈>の層は先行研究を指します。これまで積み重ねられてきた膨大な先行研究の大きな流れのなかで、個々の先人の議論や主張は乗り越えられて更新されつつも、一定のコンセンサスがとれているものはあります。ある<事実>が基づいている文脈を様々な角度から分析し考察したうえで、「これは言える/言えない」という全体での合意はあるわけです。それに基づいて、自分の議論である<意見>を展開していきます。
この手順に対して、「ナチスは良いこともした」論は、<事実>から、<解釈>の層を飛ばして、自分の<意見>にひとっとびに飛んでいると著者は述べます。これは、一昨年出た『歴史修正主義』でも同じようなことが書いてありました。ぜひ併せて読んでみてください。

さらに「おわりに」ではもう一歩踏み込み、「ナチスは良いこともした」という<意見>を彼らが主張するのは、教科書的正しさやポリコレへの反発からであると著者は述べます。もちろん権威や定説に疑問を持つこと自体は否定されるべきものではないとしつつも、「ナチスは良いことをした」と主張する人々の権威への抵抗は、いわゆる「中二病」的な反抗の域を出ないと批判します。
また、彼らの目的はこうした反抗そのものなので、彼らを説得して、考えを変えさせることは無理だと著者は認めています。しかし、本書のような媒体を通して、反抗に染まっていない第三者が知識と考え方を身につければ、「ナチスは良いこともした」論への対抗になるだろうと希望も示しています。

本書の感想

この時代のドイツについては高校世界史程度の知識しかなかったため、とても勉強になったというのが最大の感想です。そのうえで、普段歴史学を研究している学生として本書の凄さを感じたところを1つと、本書を理解するために重要な文脈を1つ、そして本書の社会的な位置付けについて思ったことを1つ書きます。

情報の網羅性と読みやすさ

まず、率直によくできた本だと思いました。こんなに薄い本に、これだけの量の情報が、あってほしいところに配置され、わかりやすい文章で書かれていることに感動しました。研究を論文や本にするとき、いかにデータや補足を取捨選択してそぎ落とし、それでいてオーディエンスにとって必要十分な情報を、適切な形で提示するかが肝になります。博士課程1年目のひよっこの私が今一番ぶつかっているところです。

X(旧Twitter)の文脈と学術書の読み方

本書を理解する上で、X(旧Twitter)の動きはかなり重要です(以下ではTwitterと言います)。
本書の「はじめに」はあるツイートの話から始まっているように、もともと、著者は2人とも活発にTwitterで発信し、その度にナチ肯定派の人々から攻撃を受けていました。今回「良い」政策として取り上げられたものは、著者らがTwitterで活動するなかで、ナチ肯定派から持ち出された例が多いのではないかと思います。また、政策を検討する3つの視点のうち、その政策の起源という2番目の視点は、ナチ肯定派が「良いこと」と「オリジナルであること」を同義で使っている節が見受けられるために、検証の視点として入れたと本書でも書いてありました。

本書の出版後、彼らによる大きな反発が田野先生のアカウントには寄せられていました(小野寺先生はすでにTwitterをやめています)。『歴史修正主義』でも書かれているように、彼らにとって「ナチスは良いこともした」と主張することは、もはや彼らのアイデンティティであり、信仰だからです。それはそれは凄まじい反発で、それを田野先生も打ち返していくので、他の研究者からは「千本ノック」「モグラ叩き」と言われていました。
これらの人のほとんどは中身はもちろん、無料公開されている「はじめに」すらも読まず、タイトルだけで勝手に妄想を繰り広げ、こんなことが書いてあるに違いないと踏んで体当たりをしていたようです。しかし、逆張り信仰に基づいたまま、本書の内容も踏まえない彼らの体当たりの批判は、すでにこれまで著者らが受けてきていたものから更新されていません。そのため、批判への応答は本に書いてありますから読んでくださいね、という答えにしかならないのです。しかし彼らは読まないと堂々と宣言していました。読んでしまったら、信仰が崩壊してしまうと実は自分でもわかっているのかもしれません。

以上のような、読んでもいない体当たり批判は論外ですが、なかには、読んだうえで、「こういうことが書かれていない」「もしナチスが勝っていたら政策は成功していたから、ここに書いてあることは全部結果論」「中国共産党は、ソ連はどうなる」という感想もありました。歴史に「if」はないとか、whataboutism (「じゃあ〇〇はどうなの?」というすり替え論法で、本書でも言及があります)は議論の方法として不適切ということはあるにしても、学術書が何を提供するものかについて、共通の理解が得られていないのではないかとも思いました。

学術書は、そのテーマに関して全てを提供するものではありません。最初に本書で何をどこまでどのようにして明らかにするかを定め、その目標に向けて議論を展開していきます。最初に設定した範囲以外のことは提供しません。本書は、タイトルになっている壮大で抽象的なな問いを、非常に効果的に、具体的に検証ができる形に落とし込み、3つの検証視点を設定し、なぜその方法か有用であるのかを説明しています。そして、この検証方法に対して、1つ目の感想で述べたとおり、全ての情報が過不足なく、必要な形で提示されていると思います。
したがって、本書で「if」も扱いますとか、ソ連と比較しますとか、そもそも示されていないのに、「書かれていない」と批判するのは、学術書がどのようなものかを理解していないか、揚げ足を取ろうとしているかになります。第三者を味方につけていくにしても、このような学術書のルールを広く伝えていく必要があるのではないかと感じました。そのための大学だとは思うのですが……。

歴史修正(否定)主義に対して

途中に紹介した『歴史修正主義』が出たときも、とても話題になりました。修正主義というと、実際にあった学問潮流と同じ名称になるので、先行研究を無視して、飛躍した論理で現在の定説や合意されている理解を否定する場合には、英語では歴史否定論者といいます。

名称はなんであれ、このような人々の存在はずっと危惧しています。ホロコースト否定論者や、日本史を歪んだ形で理解している人々はよく見ますし、ここ数年で「歴史戦」という言葉も聞くようになりました。プーチン大統領の歴史理解も問題視されています。どれも先行研究の積み重ねを無視し、ほとんど無意識のうちに、自分のアイデンティティや国の政策に都合のいいように、歴史を役立てようとしているのです。

よく文系は短期的に金銭的な利益が出ないという意味で役に立たないと言われますが、役に立つときは危険な状態だと思っています。本来必要な手続きをすっ飛ばして、欲しい結論に飛びついているだけの状態になっている可能性が高いからです。最近は本屋でもトンデモ本と言われる類の本がよく売っています。需要があるのでしょう。

こちらができる対抗手段は、本書にもあったとおり、先行研究を押さえた研究者が入門書など一般向けの本を書くことだと思います。研究者の間では、専門書>新書や一般書という序列があり、業績としての重さも異なるため、一般向けの本を書くのは忌避される傾向にありました。しかしその間に、眉唾なトンデモ本が大量に出回ってしまったわけです。今からでも新書や一般書も業績にカウントし、こちらからもプロの本を大量に供給する必要があります。本書は、そのような対抗策の第一弾の一つだと思います。ナチという多くの人を惹きつけるテーマの第一線の研究者が、ネット空間での言説も踏まえて本書を出し、両極端なものを含む大反響を得たのは、今後の良い指標になるはずです。

私自身はまだまだひよっこで、まずは博士号を取るところからですが、このような本が出たり、「初めて新書を書いた」と先生から聞いたりすると、自分が進んでいこうとする先に希望が持てます。私自身も、自分の研究スタイルや手法、視点などを定期的に振り返り、見直しながら、地道に着実に研究を進めていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?