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新型コロナウィルスを知って以来、わたしは何を体験してきたか?


これを書いているのは5/7(木)。「あれ?なんで毎日家にいるんだっけ?」というくらい気持ち的に日常に戻ってしまった。これがいわゆる「自粛疲れ」「コロナ疲れ」というものだろうか。緊張感はなくなり、死への恐怖も薄まってしまった。

だからといって出歩いているわけではないけれど、3月や4月の「免疫力を落とさないようにしよう!」という気迫がもう自分の中に見当たらない。私はアレルギー持ちで普段から食生活は気をつけているのだが、コロナ対策でより徹底して、白砂糖、小麦を控えるようにした。

というのもこれらを食べると肌が悪化し、体調も悪くなるからだ。万全の体調を維持し、感染リスクを下げるという狙いでこの2ヶ月頑張ってきた。私だけではなく、夫とも「いまは食べもので無茶しないようにしよう」と合い言葉のように声を掛け合ってきた。

しかし、GWに入り、ピザ、桜餅、餃子を食べた。夫にいたっては、好きなパン屋さんでメロンパンやらカレーパンやら買い込んで、小麦三昧の生活を送った。私は途端に肌が悪化し、手があかぎれだらけになった。夫は顔に大きなニキビが三つできた。

自分事の感覚を維持するのは難しい。有事も毎日になると日常になる。その中でも一貫して変わらないものもある。

変化に対する期待だ。

今、いろいろなことがあぶり出されているのを感じる。優秀なリーダーシップを発揮したニュージーランド、韓国、台湾は早々にコロナ収束にこぎつけた。活躍したのは日本では決断の場からはじき出される女性や性的マイノリティ、そしてITを駆使した若い技術者たちだ。

これらのニュースに触れたときは、嬉しかったし、こういう社会が実現できることをリアルに感じ、希望を持った。

一方、日本は戦後の高度成長期に築き上げた我々は世界で一番という幻想にいまもしがみついている。テレビをつければ「日本はすごい」「日本は優秀だ」という日本礼賛(らいさん)の番組であふれている。

ワイドショーでは不安をあおるばかりで、うまくいっている国を紹介したり、分析したりすることはしない。韓国や台湾の成功事例を、どれだけの日本国民が知っているだろうか。日本というのは、女性や若者、マイノリティが活躍できない“おじさんの国”なのだとつくづく思った。

友達(60代の女性)が教えてくれたエピソードがある。彼女が毎日のように散歩に出かけ、TUTAYAにDVDを借りにいっていることを聞きつけた70代男性が「警告」と題し、

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君のような人はいま「コロナ」じゃなくて「コロス」というんだ。君の行為は人を殺す行為だ。自粛すべき。

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というメールをわざわざ送ってきたそうだ。彼女は「私のところにも自粛警察が来たわよ」と苦笑していた。

コロナ以前も突然切れる男性老人が話題になっていたが、そういう人が今鼻息荒く自粛警察をやっているのではないか。大企業を勤め上げた社会的に立派とされてきた人たちのなれの果ては自粛警察なのか。それは空しい。

長年の社会経験が人から尊敬される方向ではなく、忌み嫌われる形で発露してしまうのは、これまでの男性中心の競争社会のひずみを象徴しているように思う。

日本の現状を思うと本当に幻滅するし、そんな国に住んでいることを悲しく思う。


しかし、日本の政治家の無能さや、男性社会が作り上げた意思決定システムの限界があぶり出されているのはいいことだとも思う。それをコロナが短期間でやってのけた。社会もオンライン化し、10年後の未来が急激に実現している。そこにうまく波乗りし、自分の生活の基盤を作っていきたいと思っている。



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