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プレイリスト

ある日、記念日だったので、私にしては珍しいことに、仕事終わり、予め配色とかこだわって予約していた花束を持って帰りました。置いてあるだけでもいいかなと。
小さい頃誕生日に書いた手紙の封はいつまでも開けられていなかったし、楽器を始めてソロコンテストで県の代表になったり大学生になって多少人に聴かせられるくらいの演奏ができるようになった私の本番は全然来ないのに、1年留学から帰ってきた時は空港まで迎えに来ました。アメリカで吹き倒したサックスを背負い、大小2つのキャリーケースを両腕で転がして空港の帰国口に向かう私のことを、ガラスドア越しに見ていたシルエットを覚えています。そういえば日本から出る日の早朝はいつも家からアパートへ戻る日の朝と同じ口調で「じゃあな、気をつけて行ってこいよ」と上の方から布団越しに声が聞こえました。


私達は帰宅電車に乗る前に、コンビニでハイボールとビールとナッツ系のおつまみを買って隣同士座りました。私は留学帰国直前、どうしても会いたい人がいて、連絡を取り合っていたのですが、結局何やかんや会えなくて、この先一生会えないんだろうなとホテルで絶望していました。これを私は過去の笑い話のように「帰る前最後に会いたい人がいたけど会えなかったんだよね〜」と軽く話したら「かわいそう」と言われました。まあフェイスブックでつながってるから!とビールをひとすすりしながら横で眼鏡の奥をふと見ると涙を浮かべていました。私が辛い話をするときに笑いながら話すのを知っていたようでした。
かつて二人で話をたくさんすることはありませんでしたが、大人になってからする一つ一つの会話では毎回どういうわけか深いところまで辿り着き、二人で同じページにいることが多かったです。

何が起きても結局は前に進むしかないようで、一週間もたたないうちに私はもともと依頼されていた撮影に向かいました。灼熱の一時に陰のない屋外で撮影。震災で家族を失った人が「冬でも温水を使えないんですよね、あの人が今も冷たい水の中にいると思うと私だけ申し訳なくて」と言っていたのを思い出していました。
このころから急に撮影の機会、イラスト依頼が増えました。導かれているのか、私が取りに行ったのかは忘れましたが、私のインスタは次々と更新されました。私はインスタを毎日チェックしますが、スクロールして無意識にあの頃の世界の空気がまだ写る投稿を眺めています。そして、写真として今を過去にすることへの恐怖と、過去になるから残したいという両方の気持ちがより強く同居するようになりました。やはり私はカメラを離せないでいます。

インスタにはストーリーを誰がみたかを確認できる機能がありますが、私は誰が自分のストーリーを見たかなどまったくどうでもよかったので、チェックする癖はありませんでした。家に帰るといつも私の絵や写真について話してくれていたので、私は恥ずかしいのでやめてと言っていました。恥ずかしいのは今も変わりませんが、後悔するとすれば、いつくらいまで私のインスタを見ていたのか、ストーリーの足跡を見ておけばよかったと思います。
というわけで、こういったことを吐露するのは大切な日より、なんでもない日にポンとこぼしたいため、今夜このような投稿にいたりました。
では、

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