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免許皆伝。引き続き頑張りマセン!

先日大人の発達障害の検査を受けた。
まず医師の診察を受けるまでに、電話で2度、症状かもと思ったエピソードなどを伝える。やりとりをした連携室と医師の調整があったのち、「たぶんそうですね」ということで、医師の診察へ。その後心理士との面談を経て、最初の電話から2ヶ月後、ついに検査だ。

わたしが受けたのは成人用の知能検査「WAIS-Ⅲ」および、ADHDの症状をチェックするための心理検査「CAARS」というもので、その結果を書く。先に結論を言うと「お察しの通り、あなたが感じた不具合はADHDによるものでしょう」とのことだった。

知能検査の方では「言語理解力」と「作動記憶」が高く優秀、「処理速度」は平均程度である一方、「知覚統合」が平均を下回る低さを指摘された。
「知覚統合」が低いということは、一般的に「見てわかる」ことがわからないらしい。法則を見つけたり、応用したり、客観的に全体を見たりする能力だ。これが極端に低いことにより、コミュニケーションにおいてイメージや想像力を使うことが苦手なこと。思考回路が「言葉」ではなく「記号」であり、ロジックに基づく問題解決指向であること。「AIのような脳のつくり」で、“インプット”という意味での学習能力は高いが、いわゆる”察する”という能力が低いと説明された。
心理検査の方ではADHDの傾向が強いこと、しかしそれに伴う二次障害は見受けられないと太鼓判をおされた。

あらゆる不具合を、学習能力だけで克服してきた人生だったのではないかと推測された。「もう大丈夫、じゅんぶんですから、頑張らなくてもいいですよ、頑張ってADHDの症状を抑えたとして、次は心を壊しますから。」とやさしく言われた。はぁ〜もう頑張ったふりもしなくていいんだぁと思うと、心底ほっとして涙があふれた。

心が壊れかけながらもがき続けた20代までのわたしと、心を守ることを最優先にすごした30代。
いまは、人との関わりを最小限に絞り、自分の得意なことだけを仕事としている。本当にこのまま、みんなのように努力しなくていいのかと迷う日々だが、私はもう頑張らないで生きるゾ。と心に誓った。
いまのわたしには、頑張らないで生きるために伴走してくれているかけがえのない夫の存在がある。「AIのような脳のつくり」という言葉に、わたしの特徴が集約されていたようで、夫は「そう、それだ、それ!」と笑って納得していた。

夫以外にひとりだけ、行きつけの本屋の主人に検査を受ける話をしていたのだが、結果を伝えると「免許皆伝って感じっすね」とニヤリと言われた。
そうか。これからはADHDの先人たちの道をならって進めばいいのだと思うと、なんだか妙に安心した。

わたしが発達検査を受けることを決めたきっかけのひとつに、発達障害者の〈擬態〉について書かれたこちらの本の存在があった。

当初、発達障害の疑いとされた息子のことを知るために何気なく手にとったのだが、「え、これ私のこと?」と思えるエピソードであふれていた。「そうそう、わたしもそんなことあった!」と思う内容に付箋を貼っていくと、「どれだけ勉強熱心かよ」と思われそうな。いや、むしろ付箋が多すぎて、もはや大事なところがわからないような一冊ができた。本を見た夫に「それがもう症状のひとつにも見える」と笑われた。

診断の助けになればと思い、これまでの人生を振り返る。「あれは症状のひとつかもしれない」と思えるエピソードをWordに何十ページも書き、初診の際に、付箋だらけの本とノートパソコンを持って行った。と思ったら、本を持って行くのを忘れ、持ち込んだノートパソコンのどこを探しても、データがなかった。先生との初めましてで、自己紹介のようなエピソードを実演してしまったのだ。
このようなエピソードにおいて、この道38年のプロである。多すぎる失敗ごとに自己否定することにも飽きて、ただ、日々をゆるゆると生きている。

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