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発達障害などではなく高IQだった

X(旧Twitter)の画面に、タイトルの文言が飛び込んできた。案の定というか、“発達界隈”の人たちから大きな反響があり、軽く炎上していた。子どもの発達検査を受けたお母さんが、心理士に言われたことをそのまま記していて、これから我が子に合うサポートをしていけたらといった内容だったと思うが、“発達界隈”の人たちからしたら「いやそれ、立派な発達障害だから。認めなよ」的なことだったのだろう。

息子の発達障害の疑い(結果は違った)をきっかけに、夫婦の中でわたし自身の発達障害の疑いが浮上した。子どもの頃から人と適切なコミュニケーションをとることが苦手で、その場の空気が読めず、気づけば嫌われたり悪口を言われたり無視されることが多々あった。遅刻や忘れ物が多く、整理整頓ができない。成績だけはよかったので、先生に「バカにしているのか」とか「勉強だけができたって頭は空っぽ」などと言われた。空気が読めず、テストの点数や順位を自慢してまわるわたしを、同級生はどう見ていたのだろう。
10〜20代の恋愛は散々で、18〜22歳、23〜28歳と2人の人と付き合い(〜28歳の方は結婚して1年で離婚した)、2人ともから定期的に暴力をふるわれた。なのにどっちも4年以上付き合ってる!バカ!
あらゆる場面で相手を怒らせてしまい「人を怒らせる天才か」と、教えてもいないのに同じフレーズを言われた。「わからなかった」と、「だってできないんだもん」の連続だったが、幸い、勉強と同じように仕事ではそれなりに成果を出すことができたため、なんとか自己肯定感を保つことができた。当時の恋人は、余計にわたしのことがおもしろくなかったのかもしれない。「バカなのに運だけはいい」と言われていた。

30歳をすぎる頃には離婚を経験し、あらゆることに開き直っていた。”普通の人みたいになりたい”とも思わなくなっていたし、”自分をバカにするような人間とは関わらない”という、至極当然の学びを得ていた。30歳で今の夫と付き合い出した頃にも、わたしのできなさについてあれやこれやと指摘はされたのだが、「私はもう変わることはできないので、今の私が気に入らないなら別れた方がいい」と盛大な逆ギレをかまし、結果、寛容な夫にすべてを受け入れてもらうような形で現在に至る。

長々と書き連ねてきたが、冒頭の件に戻る。“発達障害ではなく高IQ”の子どもがたどる人生はこれではないだろうか。
”発達界隈”の人からすれば、なぜ大人になるまで発達障害を疑わなかったのかと疑問に思うかもしれないが、その答えは超簡単。近くにいる兄がもっと変だったから。これに尽きると思う。軽度の知的障害がある兄と比べたら、わたしは”普通”に近かったし、わざわざ発達障害を疑うことなんてなかった。

現在わたしは組織に属さず、個人で働いている。それなりに経験も積んできたので、仕事の面では怒られることはほぼゼロである。料理以外の家事は“寛容な夫”がすべて担ってくれており、ここでも怒られることは少ない。6歳になる息子がおり、子育ての多くは私が担っているのだが、ここに問題が多発しているのだ。保育園への忘れもの、遅刻である。子供の頃からずっと苦手な分野だ。
自分の失敗は、多すぎるのであまり気にしないメンタルとある程度の対応力を身につけてきたのだが、子どものこととなるとそうはいかない。毎日の遅刻や忘れ物は言うまでもない。運動会の集合時間を1時間間違えてしまい開会式が終わりすでに競技がはじまっていたり、事前購入したバザーのお食事券を忘れてしまい楽しみにしていたカレーにありつけなかったり、お楽しみ会で必要な抽選券を忘れてしまい、息子だけ参加できないこともあった。「ママのせいでごめんね」というと、息子は泣きもせず怒りもせず、でもにこりともせず「大丈夫だよ」と言った。
感情的に泣いたり怒ったりしてくれたらまだ救いはあるのだが、母の失敗が多過ぎて、彼はオトナな対応ができるようになっていた。お楽しみ会での出来事が大きなきっかけとなり、わたしはいよいよ大人の発達検査を受ける覚悟を決めた。


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