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知識と常識の間

こんばんは🌇に近い
こんにちは
今日は会社に行くための秋服がないので、有楽町にいます。

無事終了して、ドトールにいます。

学生時代は良くここにいきました。

教師はこちら側には来ないので、モスやマックに行って、勉強したのも懐かしい思い出の一つ。

やはり

働くことを選んで、マナーを学んでいくうちに

わたしは基本的な躾を受けていないことがわかりました。

躾をうけていなければ、企業にはいることができない。社会にいることすら、またままならない。

母は確かにエリート主義教育の学校に行きました

何か私はない、おかしいと思っていたのは、根本的な躾をうけていないからだと知ることになります。

根本的な躾を受けていないのであれば、会社にはいられないどころか、居場所すら、与えられないのだ。

祖母は母のことが少しおかしい(子育てのしにくさ)と思っており、どんなに頑張っても、この子はできない。知能はないわけではないから、名門に入ったものの、名門校を受験するにあたり、合格が近くなると間違えた感情である全能感を母は身につけてしまった。

これのおかげでわたしは何もしなくても許されるという勘違いなことをするようになる。

家事も子育てもしなくても、わたしは○○に行って、勉強しているんだから、やらなくてもいいでしょ?というものである。

これは厄介なんですわ〜

この感情のまま社会にでたら、爪弾きにあう。

見事にあい、結婚は寂しさからして、うまくいかず、育ての母である亡くなった伯母がした。

伯母と暮らしているわけじゃない。

だから伯母の目の見えないところはぐちゃぐちゃだった。ジャングルと変わらない部屋、ダイニングテーブルをふきこと、冷蔵庫はカビだらけで、洗濯もいつになっても、なくならない状態にわたしはいた。

学校で初めは普通の躾を受けて

あっ

学だけじゃ

ダメなんだ。

それよりきちんとした

マナーの方が大切なんだ。

母はどこでも人間関係でうまくいった、ためしがない。

わたしはあまりかな?

多少少なかれ

誰しもがあるしね。

いちいち気にするよりも

全身、実践で力をつけ

企業で人材として、認めてくれるようになるための努力や話し方、聞き方を学んで、自分の身の丈に合う仕事をして、まわりから、信頼していただけることだけをすればいいのだ!

に変わったら、

生きるのが

楽になった。

そんな感じで生きていますが、体力面では流石に辛い日も正直あります。そのために使うのがお金。たまのエステかな…

それ以外は資格取得を考えたり、学生時代に学んだことをしんどい日にやって、ノスタルジーになる時間やストレッチして寝ます。

これがわたしの得たこと。

わたしはこれでなんとかなってる。

これくらい肩を抜きましょう。

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