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ラブソング

ラブソングを歌う

ってのミュージシャンの定義でいいと思う。

昔からミュージシャンがやってることは何も変わらない。

愛を探して、歌ってるんだ。

理論的にはツッコミ放題だけど、でもそれでいいと思う。

新幹線の喫煙スペースでタバコを吸いながら考えている。

ここまで多くの愛についての思想を曲にしてきた。
古くからのリスナーの皆さんは分かるように
自分は愛を主観的に歌ったことはない。
君を愛しているよー!みたいなやつだ。
全てその質について角度を変えて、分析し、身体性に変換して考察してきた。ここ数年の作品をあげると

2018年 リリース
『人間、人を輝かせてくれよ』

・詩人の愚痴(愛が言葉では語れないこと、語れば語るほど本質が抜け落ちること)
・2月29日の作曲(愛は理性でコントロールできない、意思の力でコントロールを追求)
・数えるべきもの(愛は過去として認識され常に存在すること)
・OMOIDE IN MY LIVE (愛は記憶として再考されるなかで、本質を失わずにいれるのか)
・人間 (愛は様々なものに形を変えるが、愛のイデア(哲学用語)を分有している)

同年リリース
『realist 』
・愛の対象は偶発的なものであり、またその結果も偶発的である。故に、人はそばにいることでその偶発性を補おうとする

2017年
『Good-bye Good-music 』
・北投へ(愛が視覚、味覚、聴覚に与える影響)

2016年
『2月28日の即興曲』
愛と無常観の関係性、変わることは誰もが逃れられない。

2016年の『2月28日の即興曲』のリリースを機に愛を前提から問い直す作業を始めた。
すなわち、人間が愛という言葉を使う以上、その愛を媒介する“人間とは何か”という問いを考えなければならない。それが分からなければ、愛の正体にたどり着けない。

2019年 次回のリリースで、その奥まで決定的に踏み込んだ一曲を仕上げることができそうだ。あとは、どれだけ難しいか言葉を使わずに曲に変換するかに委ねられる。

もう品川らしい、タバコはまだ吸いたいけど
降りるとするか。

おいしかったなぁ。

よっしゃやるぜ。

#エッセイ
#音楽

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