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ぼくは蚊を愛しています。

この世の生きとし生けるものには、必ず終わりがある。もちろん昆虫にも。

今回は我が家の子どもたちとのできごとから、大人がなくしてしまった純粋な子どもの気持ちを記録します。


夏も終わり、秋のはじめのある朝。
それは天気がよく、保育園では「青空おしたく」の日に起きた。
「青空おしたく」は、すぐに園児が外遊びに出られるよう、子どもたちがカバンから荷物を出す作業を簡易的にテラスですること。

テラス前で靴を脱いだ娘は、すぐ側のコオロギの死体に気付いた。コオロギは誰かに踏まれたらしく、遠目に見ても白い中身がはみ出ていて死んでいることがわかった。

娘も、
「コオロギが死んでる…」
とご丁寧にも私に教えてくれた。

娘はアリがコオロギを運ぼうとしていることを見つけると、近くに落ちていたおままごとのスプーンをコオロギに被せた。

「コオロギかわいそう」
そして
「アリひどい」
とも。

虫の死骸なんて保育園へ行く道にあちこちにある。栗林や神社に続く道など、田舎だから虫やら何やら沢山いるのだ。
広い道ではないものの、保育園への送迎でそれなりに車も通るので、大抵虫の死骸はぺちゃんこになっている。

以前、我が家の近くでカエルが死んでいたことがあった。
鶏のたまご位の大きさはあっただろうか。
保育園に歩いて登園する娘は、当然ながら見つけた。

「かわいそう」

すでにアリが運び始めていた。
彼女に伝えたのは、

・もうカエルは死んでしまっていて元には戻らない。

・死んでしまったカエルはアリにとっては食料になり、アリも食料がないと困ってしまう。

頭では
(へー、そうなんだ)
と思っていても気持ちが納得しないからか、娘は通るたびに見て
「かわいそう」
と呟いた。

気温も上がり、干からびていくカエルの死骸を見て娘は何を思うのか。
そのうち何も言わなくなった。
存在自体を忘れたのかもしれない。

しかし、だ。
コオロギの死体について
「かわいそう」
ときた。

カエル同様、
コオロギは生き返らない、
アリの餌になる、
と説明したところで娘は泣き出してしまった。

そんな娘を担任が
「お墓作ろうね」
と引き取ってくれた。

まあ、小さい人に理屈を言っても仕方ないのも理解はしている。
私は保育園をあとにし、自宅へ向かいながらふと、息子の日記を思い出した。


現在小学4年生の息子は、小学1年生と2年生の2年間日記をつける宿題があった。

ある時、息子が悩んで私に聞いた。
「おかあさん、ぼく、生き物にやさしくしたことってあるかな?」

日記のタイトルは
『生き物にやさしくしたよ』

我が家はペットを飼ったことがない。
私自身のペットロスの経験によるものもあるし、昆虫などを旦那も好まない。
この頃は私も外で仕事をしていたから、そんな余裕もなかった。

質問をした息子に私は提案した。
息子が以前私に教えてくれたことを思い出したのだ。
「蚊にやさしくしたんじゃないの?」

息子は蚊に元気な赤ちゃん(卵)を産んでほしいから、と蚊に血を吸わせると言っていた。
そこから書いた日記がこちら。

「生きものにやさしくしたよ」

ぼくが生きものにやさしくした生きものは、かです。
 なんでかというと、血をすわせてあげて、元気な赤ちゃんをうませてあげたいからです。
 
血をかにすわせるのがちょっといやだけど、がんばって、がまんしています。
 
 かはボウフラといわれるのはよう虫だけです。
 オニボウフラはさなぎです。
 さなぎから、うかしたものがかです。
 
 ぼくは、かのことをあいしてます。

(間違いはそのまま載せます。
読みやすくするため改行は変更あり。)




マジですか。
息子よ、蚊を愛してるんですか。

刺されるのは実はちょっとイヤでも吸わせるとは。


親である私には理解しきれないものの、愛していると書いたり、死んでしまってかわいそうと泣いたりする気持ちが存在する。
子どもの純粋さって大人の想像の範疇を超えている。

そのうち、たとえ今日泣いたコオロギの死骸であっても、見たところでなんとも思わなくなる日がくる。
蚊を愛してるなんて書いたことも、もちろん忘れるだろう。

でも、母は忘れないよ。
大人にはない、素直な気持ちを文字に残して。

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