エレガントに親孝行
「お誕生日おめでとう。そっちからかけ直してもらえる?」
母へ電話するときは未だに電話料金を母に出させる私です。
(母も当然のように掛け直してくれるのでここはwin-winということで。デヘヘ)
80代後半になり年相応の衰えはあるものの喜怒哀楽があること、滑舌、声の張り具合は私を安心させてくれました。
会話はたいてい同じです。
「血圧が高くなった、同じフロアの人の態度にモヤモヤする、いよいよ自分はボケてきた、、、」
と、挨拶がわりのジャブ連打。
私も負けじと毎回同じ返事。
「血圧高くたってもういいじゃない。ボケたっていいじゃない。集団生活なんだから色んな人がいるんだよ」
そして母は納得して安心して次の話題へと移るのがパターンです。
(といってもこれまた同じ話題なんだけどね〜)
サービス付き高齢者向け住宅に入居している母。
施設内での出来事や人間ウォッチングの話の中で私が唯一好きな話題があります。
「90代のおじいさんが母へお花やお菓子を持ってきてくれる」
というお話です。
施設の庭に咲いてるコスモスなどを摘んで持ってきてくれるそうです。
おじいさんは耳も遠い上に九州訛り?のようなものがあってお互いに言葉は噛み合っていないとのこと。
「真心」だけの交流をしていることがとても温かくて好きなのです。
足がお悪いようで手押し車にお裾分けのお菓子を乗せて母の部屋まで届けてくれるそう。
空のいちごパックに団子1本とイチゴ少しとか、アイスクリームなど、本当に「1人分」の量を持ってくるのが可愛い。
そして絶対に母の部屋には足を(手押し車を??)踏み入れないジェントルマンです。
母もまたお返しに少しのお菓子などを差し上げると、そのまたお礼にアイスを1本持ってくるとのこと。
この夏はそのおじいさんのおかげでアイスに事欠かなかったと言っていました。
母の話ぶりやそのおじいさんのことを聞いていると男女間のトキメキとは異なる純粋な
「与える喜び」
「交流する喜び」
を感じるので私も幸せな気分になるのです。
(お願い、おじーさんまだまだ長生きしてくれ〜母のために。いや、私のためにだな。←唯一心温まる話題だから)
母と私は死生観が似ているので普段から死んだ時のことなどを話せるのがありがたいです。
今日もお互いの意思の確認。
「お母さんが死んだ時に私に用事が入っていたら用事優先にするね」
と私。
「もうそれが一番いい、来なくても良いから」と母。
「もし死化粧見たい時には棺桶覗きに行ってあとは帰るからね」
「あははは。来なくていいよ」
調子づいたので私も口が滑らかになりました。
「万が一私の方が先でも悲しまなくていいからね。私は今家族と離れて1番幸せなんだから」
ますます口は滑ります。
「私に何かあっても兄には連絡が行かないように警察には届けてあるからね〜もう肉親とか家族とか関係ないからね!」
「うんうん、それでいい。わはは〜」
母は私の調子こいた口調につられてしまったのか笑い飛ばしていました。
あーよかった。
勢いやノリだけで言いたいことを言って笑って会話を締めることが出来ました。
(歳を取るとその場のノリだけで過ごせるのかもなぁ。いいことだ)
↑
珍味が好きな母。
兄に知られると怒られるから内緒でコンビニでちょこちょこ買っているそうです。
色んな考えがありますが、ある程度年齢がいったら私は好きなものを食べて「美味しい」って思う瞬間をたくさん感じて欲しいと思っています。
80代になって好きなものを我慢したり、まして隠れて買いに行くなんてナンセンスという考えです。
母自身は長生きしたいと思ってはいないし、血圧が高くなると
「数値」
に不安になるだけ。
("季節の変わり目にはそうなる人が多い"と言われると、とたんに安心する)
それに亡き夫に個性を抑えられて生きてきました。
(外に友達が出来ないように家から出してもらえなかった)
こんな珍味やら塩分やら添加物で幸せになるんだから我慢なんてしなくてもいいじゃないの、と思います。
それに!
高額の珍味をバンバン買うのは気持ちよかった〜。
普段こんなこと出来ませんもの。
しかも元々は母からもらったお金なので罪悪感もまったくなく買えました。
あらら。
大福2個も食べたのにまたお菓子が食べたくなってきました。
なんか「魔の時間」みたいなものがあって夜になると急に甘いものが食べたくなることがあります。
今はとっても砂糖の味が恋しい感じです。
お茶を飲んでとりあえず様子を見ようかな。
自制心が足りないのか、体が必要としているサインなのか、こればかりはなかなか判断ができません。
お菓子って本当にすごい魅力ですよね。
私は今日もエレガント。
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