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エレガントに昭和歌謡


唐突に動画から始まりました。

(途中とか最後に貼り付けできないのよね)

このサムネイルをご覧になってピーンとお分かりになるあなた様。

素晴らしい!

結構なお年ですね〜。
むふふ。

私はというと知りませんでした。

(いや、この時には生まれてはいます)

そう。

35年前のあの日までは。

場所は田舎のキャバレー。

キャバクラではなく本当の

「キャバレー」

です。

若いぴちぴちの私はバンドでキーボードを弾いていました。

化粧もしない、ほっぺは真っ赤っか、ジャージを履いての演奏です。

(上半身はバンドの派手なジャケットを着せられる)

そのアルバイトをしたくて強引に親元から離れて1人暮らしをしました。

厳しい父親でしたので1人暮らしなんてもってのほか、ましてや夜の仕事なんてバレただけでも恐ろしい。

でももう止まらなかったのです。

最終的には父親も折れて何も言わず私の1人暮らしを認めてくれました。
(もちろんバイトは言わない)

私の中ではいつもこれを「脱北」と呼んでいます。

独裁者の支配下で幸せなのか不幸なのかさえも判断できない暮らし。

でもある日気がつくのです。

(なんか窮屈だなぁ。ん?、、、あれあれ?、、、私ここから逃げられるんじゃないの?)

そのキッカケがキャバレーのバンドキーボード募集の張り紙でした。

楽器店の掲示板に手書きで貼ってありました。

「コードが弾ければOK」

わーい!

私にピッタリです。

難しい譜面は読めないけれどコードならバッチリ弾けます。

ちゃっちゃと「脱北」準備をし、さっさとバイトが決まりました。

当時会社勤めをしていたので昼間はOL、夜はミュージシャンと、2足のワラジでウキウキ新生活でした。

いつもと違うスタバ店舗。
クリスマスエスプレッソを
プレスで飲む

そしてそのキャバレー。

(すみません。やっと本題です)

年に2回ザワつきます。

『平浩二オンステージ』

大きな看板や予告の張り紙がかなり前から店内外に掲げられます。

その様子からして、どうやらすごい人が来るらしいと理解しました。

YouTubeなんてない時代ですから『平浩二』さんや『バスストップ』なんて調べようもありません。

そのキャバレーでは毎週土曜日に代わる代わる演歌歌手のショーがあったので私にとってはその延長だろうという感覚でした。

ただ、田舎者なのでミーハー魂だけは一丁前です。

有名人なんて見たことがないため楽しみにその日を待っていました。

そして当日。

バンドのオジサンたちもどことなくソワソワ嬉しそう。気合いも入っています。

打ち合わせが始まりました。

キャバレー内の小さな事務室にぎゅうぎゅう詰めにて平浩二さん、マネージャーさん、バンドメンバーが丸くなります。

マネージャーさんが風呂敷から楽譜を取り出して各楽器担当者へ配ります。

(楽譜は楽器ごとに異なっている)

平浩二さんご本人がショーの流れを説明します。

まず目力がすごい!

声はよく通っていて活力に満ちていました。

それまで色んな歌手さんと打ち合わせを繰り返していましたが、平浩二さんのようにハキハキとそして分かりやすく説明できる方はいませんでした。

「自分がこんな感じで登場しますからバンドさんはこのオープニングを鳴らしてください」

「今回はこの曲はフルコーラスではなくこの部分はカットしてください」

サクサクと5分でショーのイメージを私たちに伝えてくれました。

10分後には本番がスタートです。

バンドはその10分で譜面をガン見してポイントを把握していきます。

リハーサルなんてありません。

司会者のアナウンスとともにバンドがステージへ上がり、ドラムのバンマスがカウントを鳴らします。

華々しいオープニングのファンファーレ的な音楽が流れたら、ものすごいパッションとともに平浩二さんが颯爽と登場してきました。

黒いスパンコールのキラキラしたジャケット、笑顔と目力、バンドに対するリスペクトがハンパじゃありません。

歌が始まって、、、

どひゃー!!

こんなに上手いの?!

こんなに声量があるんだ!

後ろで演奏をしていて気持ちいいのなんのって、、、!

しかも時折バンドのほうを見て引き立ててくださいます。

私たちはモチベーション爆上がり。

(この人のために良い演奏をしたい!)

と、情熱を引き出してくれるパワーがありました。

やはり、ヒット曲を出したアーティストさんというのは何もかもが破格のパワーを持っているんだ、と強烈なインパクトを残してくれました。

それなのにこんな田舎のサビれたキャバレーを回って全身全霊で歌っておられる。

私は人気があるないとかメディアに登場するしないという判断が未だに理解できません。

年に2回ある平浩二さんのショーと同様、私もなぜか未だに年に2回ほどふと思い出してYouTubeで『バスストップ』を観てしまいます。

どの時代の動画でも変わることなく女心を繊細に歌いあげ、美しい立ち振る舞いです。

70代の現在もなんと同じキーで歌われていました。

長くその道を続けておられる方々って本当に素敵で美しくて心から尊敬します。

とても感じの良い店員さんとおしゃべり。
その方が描いたそう。超感動!


キャバレーでは平日はバンド演奏のみ4回のステージがありました。

オープニング曲は

『♪波路はるかに/ビリーヴォーン楽団』

ビンゴゲームBGMは

『♪クワイ河マーチ/ミッチミラー合唱団』

その他はバンマスがその都度曲を決めて、みんな慌てて楽譜を開いて演奏する

「初見演奏」でした。

映画音楽で有名な

『ヘンリーマンシーニ』

の美しいメロディの数々。

(♪ムーンリバーとか♪ひまわりとかね)

これらはすべて私が小さい頃に父親の趣味で聴いていたものばかりです。

車酔いが激しい私は車内で流れる音楽に逃げることで気を紛らわしていました。

音楽を聴いていると頭痛と吐き気が緩和されるため、ものすごい集中力で耳を傾けていました。

ですからその曲たちは私の味方としてずっと良い記憶のままに体に染み込んでいきました。

こんな美しい色彩の葉っぱがあるなんて!
周りの植物とのバランスもステキ


私は常に年寄りくさい音楽の趣味だったので友達には恥ずかしくて言ったことはありません。

カッコつけて

「ジャズとかフュージョンを聴いてる」

と表向きには言っていました。

I Love ジミースミス!
(写真はネットより)


でも。

戦後の歌も昭和歌謡も大好き。

ラテン音楽の

『ペレスプラート楽団』や、

あぁぁ〜〜っっウっ!!
(写真はネットより)

『タンゴ』とか

『オールディーズ』も好きです。

キャバレーでは

『軍歌』も覚えたし、

『♪目ん無い千鳥』

『加山雄三』

なんて、しょっちゅう弾きました。

クリスマス時期は

「もう勘弁してください」

というくらいにクリスマス音楽を演奏し、

演歌にいたっては拒絶反応が出るほどに弾きました。

(それが原因でキャバレーは辞めた)

ここで培った音楽は後々のホスピスボランティアに大いに役立ちました。

特に『♪青い山脈』なんて数え切れないほどに弾いては歌いました。

(この曲はとにかく盛り上がるの)

新旧入り混じる花の色。
なんて風情があるんだろう

さぁ、ご存知の音楽はありましたか?

おそらくアナタ様のご両親やおじいさんおばあさんの時代のものばかりかもしれませんね。

いつの時代も音楽は美しいメロディと美しい(時には哀しい)思い出と共にありますね。

私は今日もエレガント。

最近レンコン切らしたことないかも
ポテトフライに見えるのは大根のマヨ醤油和え
わぉ!またまた2255!
みんなで豊かな大転機楽しみにしよー!

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