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コロナとTwitterと人體セミナーの話

コロナ騒動が始まってそろそろ2年が経つ。齢52を数えるがこの2年ほど濃厚な時間はなかった。これまでの価値観が大きく崩れ、自分にとって大切にすべき物が何なのかをゆっくり反芻することができた。

家族、両親、仲間たち…

これまでも大切にしてきたつもりだったが、さらに真正面から向き合う事になった。2020年2月の終わりに妻の誕生日でハワイへ旅行した。当時ハワイは感染症対策の氣配もなく、街ではアジア人の僕ら家族を見つけると冗談混じりに「Virus!(笑)」と言って僕らを指差して揶揄する余裕があった。楽しい旅行から帰ってきて1ヶ月もすると日本の様相も俄に慌ただしくなる。恐怖の感染症が蔓延しつつあるというニュース報道が始まったのだ。

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この世の仕組みには表と裏がある事は薄々氣づいてはいたが、世界規模の壮大な詐欺が横行するなどとは微塵も思っていなかった僕は、2週間ほど感染症対策に奔走した。20数名の施術家を抱える整体院経営者としては、まず施術家たちの安全の確保が最優先となる。家族や仲間たちの生活を担保するための売上確保と、仲間の命を守るための休業。二律背反する選択肢を迫られる中、時短営業と感染症対策を徹底するよう指示を出した。ただ、この時すでに市場からマスクの姿は消えており、これから否応がなく突きつけられる日本の右に倣えの習性を垣間見た瞬間だった。

2020年4月7日、家族を疎開させるために、コロナに怯えていなかった妻を説得し車で北陸にある妻の実家に向かった。が、この時、なぜか不思議な胸騒ぎがあり9年ぶりにTwitterを開いた。そう、あの東日本大地震の時以来の違和感だった。Twitterでコロナを調べると5Gのツイートがやけに目立ったのを覚えている。「5G?」電磁波と感染症に何の関係があるのか?最初はピンとこなかったが、少し調べるとまんざらトンデモ学説とも思えないいくつかの仮説が見つかった。シュタイナー哲科学を唱えるトーマス・コーワン博士の動画は衝撃的だったが、民間療法の真の力を世界に広めるために整体院経営に熱が入っていた自分には十分すぎるプレゼントだった。早速、友人で医師のナカムラクリニック中村篤史院長へ連絡を取った。彼は、この時すでにコロナの嘘に氣づいていた。西洋医学の闇に苦悩し、自ら立った正義感の強い栄養療法の医師。「何か変ですよね(笑)まだ確信はもっていないですが海外の情報を調べると怪しげな裏がありそうです」人體の本質に近づいている人たちはコロナを全く恐れていなかったのだ。

4月10日、珍しく政府が手際良く手配した特別融資が始まったので日本政策金融公庫の面談のために飛行機で一人東京に戻った。4月、5月の売上が激減するのは目に見えていたので、無担保無利子で受けれる融資は片っ端から当たった。政策金融公庫は面談を待つ中小零細の経営者でごった返ししていた。予想通り政策金融公庫と三井住友銀行から融資を受ける事ができそうな感触を得たが、結局4月の売上高は前年比27%。73%減と目を覆う結果だった。普通ならここで一氣に倒産へ向かうが、資金調達の目処がたったので当面の危機は凌げると踏んだが、この先どうなるか全く見えない中での舵取りは久しぶりにピリピリする緊張感を味わうであろう事が容易に想像ができた。一人きりの3日間は、情報収集に費やす絶好の時間になった。Twitterで調べれば調べるほどテレビ報道の内容と真逆の世界が見えてきたのだ。「まるでマトリックスだな…」ひとりごちしながら唖然としたが、この頃はまだ善悪二元論に囚われていた僕は腹の底から湧き上がる怒りと正義感に支配されていた。会社の全社員にコロナ騒動の真相について自分の考えを伝えた。詳細はまだわからないが怖れるようなものではない。ナカムラクリニックの中村さんとも連携を取りながら情報収集していくので、みんなは安心して施術に臨んで欲しいという内容の文章を一斉に伝えた。その後の現場では二つの反応があった。納得して追従してくれる者と、変人社長がとうとう狂ったと思った者…。当時のテレビ報道を考えると僕の考えに納得できない者がいたのも仕方がないが、ここから社員の半数が離職する事になるとは夢にも思っていなかった。

飛行機で北陸に戻り、妻に単刀直入「コロナは嘘だ」と伝えた。「やっぱりね(笑)」妻の返答は氣持ち良いほど真っ直ぐだった。夫婦の価値観が一致すれば動きも早い。東京から疎開してきた者たちへの冷たい視線を氣にしながら雲隠れするには4人の子どもはうるさすぎた(笑)。そうと決まれば疎開している意味もなく、東京へ舞い戻る日程を決めた。3日後、祖父母との束の間の疎開生活に別れを告げるのを残念がる子どもたちを車に乗せて一路東京へ引き返した。そして、あのゴールデンウィークがやってきた。

2020年のゴールデンウィークに発せられた「緊急事態宣言」で日本中の動きが完全に止まった。思考も完全に停止した。あそこが分水嶺だった。当社もこの煽りを受けて5月の売上高も前年比43%、57%減と大失速。今思うと無駄な抵抗だったのかもしれないが、この時は何とかこの騒動を終わらせようという思いで再開したTwitterで情報発信を始めた。フォロワーは100人からのリスタート。客足も遠のき、閑散とした整体院でやれることも限られていたので、自分の言動に理解を示してくれた社員と協力して発信を増やしていった。6月に初めていいねの数が1,000を超えたこのツイートでは「コロナはただの風邪」と言うと氣が狂った過激派と思われたらしく多くの反感をもらう一方で、この騒動に違和感を覚えている多くの人にもフォローされた。

3ヶ月もTwitterを運用したら、WEBマーケティングを生業にしていた過去の感覚を取り戻し、情報発信の仕方も工夫ができるようになってきた。当社は整体院を営んでいたが、自分が施術家ではなかった事もあり少し変わった形態を取っていた。技術責任者はトップの施術家に任せ、僕は経営者でありながら自らの體を実験台にして人體研究をしていた。オーソモレキュラー栄養療法は20冊近くの書籍を読み漁り、実務者として自分の體に良好な変化をもたらした栄養素をプロアスリートへ指南していた。施術については、経営の基本としてサービスや品質の平準化を考えていた。徒弟制度ではなく、カリキュラムで後進を育成するシステムを構築すべく現場監督も務めていたので、新しい手技の導入に抵抗はなかった。2016年の開業だったが、Twitterを再開するまでの4年間に十分過ぎる研究結果と知識と智慧が蓄積できていたのでツイートでの発信内容に事欠くことはなかった。コロナの嘘を暴くための情報と同時に、「崩れた現代人の體をいかにして整えるか」をツイートしていくと多くのリプライをもらえるようになった。面白いことに、コロナの嘘に氣づいた人は同じような価値観を持っていた。

・西洋医学偏重の現代医療に否定的である
・ビタミンやミネラルに興味がある
・ワクチンや薬や砂糖や化学調味料を忌避する
・農薬や放射能の害に詳しい
・固定観念がなく新しい事にも積極的に取り組む
・他人と一緒が氣持ち悪く同調圧力が嫌い
・自然や動植物との共生に理解がある
・学校教育に問題があると考えている
・家庭菜園や自給自足に取り組んでいる
・日光浴やウォーキングなど陽の下で活動している

挙げたらきりがないが、テレビで流れるような一般論では語れない考えへの共感が多かった。僕自身がフォロワーからのリプライで学ぶことも多く、自ずと読書量も増えていった。

半年ほど経ったころ、「一度ゆっくりお話を聞かせてください」というDMをもらった。これまでもSNSは実名で発信していたが、積極的にフォロワーと交流すべくエネルギーを費やした事がなかったのでこうした反応に驚きもあったが、せっかくの機会だったので受けることにした。社内研修用に自分の研究をまとめたプレゼンシートがあったのでそれを流用して「人體セミナー」と銘打って無料で1日講演を実施した。第1回のセミナーの参加者は、実はたったの2名。継続的に実施するつもりがなかったのもあるが、社外の人へ向けて何かを講演するのが15年ぶりだったので練習がてら話してみたという感じだった。この時の資料はパワーポイントで70ページほど。資料に則って5時間ほどステレオタイプの講演を実施した。内容は当たり障りのない分子栄養学と、当社の整体院で解決している筋拘縮の話だったが、久しぶりに緊張感をもって話をする機会は刺激的で何か腹の底から湧き上がるエネルギーを感じた。

こうした話でも喜んで聞いてもらえるなら少し規模を大きくしてやってみようかと思い、この直後に社員のつてで集めた早稲田大学体育会女子サッカー部の中心選手数名とサポートしていたサッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の選手2名向けに女子アスリート版の人體セミナーを実施した。彼女たちはTwitterのフォロワーではなかったので、コロナの嘘の話にさらっと触れてから講演をスタートした(笑)食事や栄養についてもほとんど予備知識が無かったようだが、自分たちのパフォーマンスについては興味津々という感じで、初回のセミナーとは少し趣向を変えて話題を広げていった。女子アスリートのパフォーマンスは生理と密接に関わってるという研究結果に自信があったので、いかに生理を正常に戻すかを説明した。実際問題として、女子アスリートは生理不順や生理痛を抱えてる選手が多いが、これが大きな怪我に繋がっていると氣づくスポーツ整形外科医にはお目にかかったことがない。

食事を外食から自炊に変え甘味料を減らすなどの食事改善をし、施術を数回やって股関節周りの腸腰筋(大腰筋と腸骨筋)を緩めた数名の選手は、翌月から生理痛がなくなった、生理周期が28日ぴったりになったなどの報告をもらった。意外と知られてない本質的な話題を多く詰め込めるのかなと思い、この回を境に本格的にセミナー講演を増やそうと決意し、Twitterで人體セミナーの告知を開始したのが2020年の秋。資料は90ページまで増やし、時間も8時間講演となった。これまでに喋る仕事をしてきたわけではないので1日8時間講演はさすがにこたえ、翌日は廃人のようになっていたので月2回の実施が妥当かなと考えた。年内は順調に回数をこなし、それと平行してフォロワーもゆっくり増えていった。

早くからコロナの嘘に氣づけたので、騒動が社会を引っ掻き増している最中も我が家は平常運転だった。小学校に通う長女と次女は春先からマスクはせずに登校していたので、感染症対策が過剰になって以降も学校からマスクをしろと言われることもなく結局2年間ほぼマスクはしていない。当社の忘年会は社員が参加したくないようないわゆる会社員の忘年会ではなく、社員の家族も呼ぶので子どもが大勢のにぎやかな会になる。2020年は毎年恒例の大忘年会を当社整体院の1号店の近所にある『KickBackCafe』で実施した。コロナで一部の層に絶大な人氣を誇ることなったこのレストランカフェの店長さんとはコロナ以前からも仲良くしてもらっていたのでまったく不思議な縁なのだが、調布市仙川町は今ではすっかりマスクをしない人たちの聖地のようになっている(笑)

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で、この時の忘年会の様子をツイートしたのが自分にとって初めての炎上騒ぎとなった。実名、会社経営者というアカウントの特性上、あまり煽るようなツイートはしてこなかったので、それまでアンチと呼ばれる人が近寄ってくる機会が少なかったので脇が甘かったのかもしれない。忘年会の集合写真は、過激派が集まる有名なレストランでノーマスクの大集団が子どもたちを巻き添えにして濃密な会を開いている様子に映ったのだろう。

・馬鹿で無責任な親の顔が見てみたい
・親は選べないから子どもたちが可哀想
・反社会的なこの会社を潰せ

これ以外にも罵詈雑言のオンパレードにはさすがに凹んだが、我が子たちに対して一部行き過ぎと思える発言もあったので弁護士に相談した。Twitter社へも警告を投げたが、「問題発言には当たらない」との回答だった。リスクを冒して発信している以上、これくらいは覚悟の上だったはずだと自問自答したが、煮え繰り返った肚はそう簡単に収まらなかった。まだまだ整っていない自分を自覚しながらも、何があっても軸をぶらすことなく信念を貫き通す。個人的にはこの一件で肚を括った形になった。

年が明けて2021年もコロナ騒動はまったく収まる氣配がなく、ワクチンの話題が明らかに増加していった。そんな世間の喧騒をよそに会社の経営は相変わらずどん底を這いつくばっていたが、唯一救われたのがTwitter経由の来店と健康食品のオンライン通販だった。5,000人ほどのフォロワーだったが、超マイノリティの結束と応援に心から感謝した。一方、人體セミナーはぼちぼちのコンテンツになっていたが、2020年の開催が12回を数え参加者に温度差を感じていたのも事実だったので継続することを少し逡巡していた時期だった。資料は100ページを超え講演時間も9時間まで伸びていたが、無料で先着順という参加条件は変えていなかった。自分のセミナーの価値を金額で自己評価したくなかったというのもあるが、経営のピンチを助けてくれたTwitter仲間への恩返しという意味もあったのでここは何があっても譲りたくなかった。

そうこうしている内に人體セミナーも自分の中で何かが吹っ切れた神回を迎えることになる。Twitterで知り合って意気投合しビジネスでも頼もしい相談役になってくれた張雲先生が人體セミナーに参加してくれることになった。同時に関西方面からめりんだ姐さんや、滋賀での人體セミナー幹事をしてくれたやまず女史、至る愛媛での人體セミナーを仕切ってくれる事になったカバール田中など錚々たるメンバーが集うことになった2021年3月20日は忘れることができない、まさに分水嶺に相応しい1日だった。この日に向けて資料もバージョンアップし、その総数は110ページ、動画なども交えてフリートークを増やしての漫談形式に変更した。無茶振りに快く応えて行氣法を指導してくれた張雲先生や、なぜかコスプレで登場しためりんだ姐さん(笑)。とにかく楽しんでもらいたい一心で喋り倒した10時間だった。実は、この直前から人體セミナーを『覚悟の人體セミナー』と改名していた。自分自身の覚悟とは、「この社会をもっと人らしい心の底から溢れ出る笑顔で充し、自然と共生した世界を創りたい」という想念が広まるようなベクトルに方向転換させること。この回が、そんな覚悟を体現した講演だったからこそ、この1年後の2022年3月19日がグランドフィナレーなのです。

この日以降、人體セミナーの場のエネルギーが明らかに変わった。自分自身のエネルギー出力が二段階ほど上がったような体感があった。10時間喋り倒したあとの疲労感は、普段の腹式呼吸とは違い常に声を発しているため口呼吸になっている過呼吸からくる酸欠だと氣づいたので、セミナー中は呼吸法を心掛けるようにした。呼吸とは、呼氣と吸氣。シンプルだけど現代人が一番その本質を忘れている生命の活動の基本が呼吸。自分が走り始めたのも、この呼吸の本質を身につけるための準備だったのかもしれないと氣づいたのもこの時期。日々、自身が行氣法を実践し会社の施術家たちも行氣法を取り入れたが、瞑想に近い感覚が精神集中につながり氣が充ちる。これは本当に多くの人が取り入れたら良いと思い、2021年4月以降の人體セミナーでは必ず行氣法の誘導を実践するようになった。こうして、人體セミナーで話す内容は下記の通りに落ち着いた。今、現在の資料の総数は130ページ。

人體セミナーのテーマは「GO WILD 野生の體を取り戻せ!人と自然の調和」
・自分の半生と人體実験の成果
・人類史に則ったヒトが走る事の必然性
・「血球・血流・血管」を中心に捉えた人體の仕組み
・呼吸の基本としての行氣法
・腸内細菌叢の本質とその偉大さ
・オーソモレキュラー栄養療法の触り
・僕の人生哲学と人に伝えたい理念

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人體セミナーでは地方講演も実施した。2021年4月は大阪、7月は札幌、8月に滋賀、9月に再び大阪、10月は大分、12月は名古屋、年が明けて2022年1月再び大阪。

地方講演は、札幌、滋賀、大分、大阪の4回には家族を同伴した。僕にはオンオフがない。ずっとTwitterやってるし、ずっと会社のスレッドをチェックして指示を出してるし、ずっと子どもたちとワイワイやってるし、ずっと妻とあーだーこーだ話してるし、時間を見つけては走ったり、山を彷徨ったりしている(笑)。ワイフワークを見つけたら、それが人生そのものだからオンオフの切り替えはいらない。寝付く時に一瞬でスイッチを切ることができるのも、そうした意識が根底にあるからかもしれない。家族を地方講演に連れて行くと夜の懇親会は家族も参加する。子どもたちは昔から会社の現場に連れて行っているからすっかり大人の世界に慣れている。セミナー参加者の様子をうかがい、懐を見つけるとどんどん飛び込んでいく(笑)。大人たちに物怖じしない子どもというのも環境がつくるのかなと思う。自分の幼少期からは想像できない逞しさだ。学校よりもパパの出張が楽しみで仕方ないらしい。
「次はどこ行くのー?」
「スペインかもなー(笑)」

10月の大分は僕の52歳の誕生日当日だったこともあり、懇親会では盛大に祝ってもらった。誕生日旅行を兼ねての出張だったが、いくつになってもサプライズでの祝福は嬉しい。

大分

実は、これまでの人生で大分には全くと言っていいほど縁がなかった。そんな人生も必然のように動き始める。浅井一彦博士の有機ゲルマニウム誕生秘話に感銘を受けて以来、目標にしていた自社商品化。それが実現したのが8月。大分にある工場で、祖母傾山系の独特の湧水にアサイゲルマニウムと塩化マグネシウムの混合添加で実現した『医食同源Lab 有機ゲルマニウムウォーターPlus氣』が待望の新商品だった。そして、ちょうど初回製造が終わった頃、以前サポートしていたサッカー元日本代表の梅崎司選手から連絡が入った。
「均さん、お話があります。また移籍します!」
「大分じゃないの?」
「何でわかるんですか???」
もうこういうのは慣れっこで、閃きというか降りてくるというか、ピンとくるんだから仕方ない。梅崎選手がプロデビューしたのが下部組織から昇格した大分トリニータだった。湘南ベルマーレでの恩師も去り、彼の行く末を案じていた矢先の電話だったからすぐに移籍の話だとわかった。
「近々、大分に観に行くわ!」
大分の工場見学とサッカー視察。あとは人體セミナーが開催できさえすれば即実行なのだが、そんな矢先に大分のフォロワーさんから幹事を引き受けてくれるというDMが届く。だから、10月16日の誕生日に開催した人體セミナーの翌日はサッカー観戦をし、さらにその翌日は工場見学で凄い発見ができた。僕の人生は自分が書いたシナリオ通りに進んでいるんだ。

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大阪の2回目の講演では、その前日に面白い会に呼ばれた。神戸にあるナカムラクリニック中村さんの私邸でのBBQ。錚々たるメンバーが来るとの触れ込みだったので、自分には少し場違いかなと思ったがせっかくの機会だったので顔を出してみた。実際に会ってこの目でその人の"本当の姿"を確かめたいと思っていたのが内海聡医師。噂通りとても氣さくで本音で話しをする人だった。ワクチンや砂糖まみれで子育てをしていた僕が、第三子にあたる長男が生まれる直前に薬害に氣づくことができたのは、紛れもなく内海さんのお陰だった。もし、整体に出会っていなかったら、もし、あのまま西洋医学信者だったら、もし内海さんの本や言説に出会っていなかったら…。たらればは滅多にしない性分だが、この時ばかりは子どもたちの恩人に直接感謝を伝えたくて仕方なかった。彼はそんなことは慣れっこで氣にも留めていない様子だったが、僕はそれでこの日の目的は十分果たせて良かったと思っている。もちろん他にも公表できないような凄い話をたくさん聞いた。いつも饒舌に10時間も喋り続ける自分が久しぶりに聞き役に回りしっかり知識を蓄えた。一緒に参加していた張雲先生に宿泊先である大阪のホテルまで車で送ってもらってからも、この日に得た情報の詳細を検索しまくり、翌日の人體セミナーの話に加えるために資料を3ページほど追加したのを覚えている。濃すぎる1日を過ごすと疲労するものだが、この時期はナチュラルハイになっているからいくらでもエネルギーが湧いてくる感じがした。

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地方講演は、結果的に大阪で3回実施したことになる。なぜ大阪なのか。僕は京都で大学時代を過ごしたが、なぜか4年間ずっと1時間かけて東大阪まで通い、そこにある小洒落たレストランでバイトしていた。他のアルバイトはみんな近所の学生だったので、いまだにその店のオーナーに不思議がられるのだが、とても居心地が良くずっと通っていた。大学よりも思い出深く青春がいっぱい詰まった店。慣れない大阪弁を喋り、店の現場の切り盛りを任せてもらい、仕事終わりには道端に作った特設ゴールを使って終電までアルバイト仲間たちとバスケットボールに明け暮れた。見かねたオーナーが店の駐車場を潰して本物のバスケットコートを造ってくれた!(笑)仕事終わりの徹夜麻雀が月1回の楽しみでもあった。4年生の時には就職まで打診してもらった店。2年も浪人した挙句、都落ちして燻っていた自分の自信を少しだけ取り戻すきっかけをつくってくれた店。僕にとって大阪は間違いなく第二の心の故郷なんだと思う。

だが結局、大学卒業とともにアルバイトを辞めて関東へ戻った。店のオーナーの氣持ちに応えず、世間体を氣にして大企業へ就職し自分の青春は一旦ここで終止符を打つ。あれから28年、今年の1月この店を1日中貸してもらい、Twitterで知り合い人體セミナーに参加してくれた人たちと大新年会をやった。総勢80名。当時は強面のやり手ビジネスマンで凄腕のシェフだったオーナーは雲の上の人で、ゆっくり話をするような関係じゃなかったが、今年の新年会で初めてと思えるくらいゆっくり話をすることができた。

「みんなマスクしてないんやな!?ええ顔してる人ばっかやな!おれもしてないんやけど、店の連中からは総バッシングやわ(笑)免疫力が大事やからワクチンも打ってない」
「あっ、オーナー、それ正解ですわ!この会はこの騒動の裏に氣づいている人たちの集まりです。そして、ほら、あの人とあの人はドクターですよ(笑)」

そんな話からこの騒動について自分なりの解釈を説明した。驚きながらもしっかりと陰謀論に耳を傾けるオーナー(笑)当然ように話の流れから健康についての話題になった。オーナーは72歳。店を開業して48年。24歳の時に創った店と知った。奥様を亡くされて独り身だがまだまだ活力があり、経営は御子息に譲っているが現場にも顔を出して頑張ってらっしゃる。28年前の僕との関係を詳細に覚えていてくださり、心から懐かしそうに話してくれた。恩師にはいつまでも元氣でいてもらいたい。会社の仲間に連絡を入れて、オーナーの自宅に『医食同源Lab 有機ゲルマニウムウォーターPlus氣』を1ケース送るよう指示した。これが自分ができる精一杯で最高の恩返しだと思っている。

大阪の3回目の人體セミナーではリーシャさんが盛り上げてくれた。Twitterでは海外動画の翻訳でご活躍中で、実業ではナカムラクリニック中村さんとの共同翻訳でご多忙の才媛。そして、その堪能な語学力以上にバレエ、セラピストの経験を生かしながら自ら探求された中医学の知識が素晴らしい方だ。体の仕組みから水の神秘まで幅広い分野に深い造詣をお持ちで、僕の話を分かりやすい解説で補足してくれた。全てのセミナーは全力投球でやるのだが、やはり回によってはテンションが上がり切らない時もあるのは事実だが、大阪の3回はどれも参加者の熱氣とキャラクターに助けてもらい自分自身が存分に楽しませてもらった。大阪の1回目では鹿児島からわざわざ駆けつけてくれた角屋敷浩太くんにも不測の事態をカバーしてもらった事は感謝してもし切れない。本当に周りのみなさんに恵まれて成長していった人體セミナーはまさに生き物のような生命力をもっている。だから、参加者から一様に「エネルギーが素晴らしかった」「元氣が出た」という評価をいただくのは僕の力ではなく、「場の力」なのだと確信している。

僕が大切にしている場は、環であり氣が充ちる空間の事。
・山は修行の場:体に負荷をかける鍛錬の場、山の恵は自然の「緑」
・川は浄めの場:修行で憔悴した体を浄める場、川の恵は自然の「水」
・海は癒しの場:負荷をかけ困憊した体を癒す場、海の恵は自然の「塩」

人體セミナーは同じような価値観をもった人々が集い、お互いのエネルギーを共有し合う場だ。だから毎回エネルギーの質は違うが熱量は似ている。1年半で総勢450名近くの方と対面でお話しをさせていただいた。僕自身がたくさんの知識と智慧を得て、たくさんのエネルギーを循環する事ができた。一番恩恵をこうむったのが僕自身だったからこそ、ここで終止符を打つことにした。

年々、僕のヴィジョンは明確になってきた。ヴィジョンとは夢のような儚いものではなく、命を使って成し遂げる志だと思っている。若い頃は夢を思い描いていたが、半世紀を生きてやっと己の志を立てる人間になった。人生は折り返しを過ぎて残り半世紀。50歳の時にコロナが始まったのも何かの導きかもしれないが、具体的なヴィジョンを掲げた事で覚悟も決まった。

この2年で本業の整体院運営事業での施術のクオリティは格段に向上している。健康食品事業では素晴らしい商品群が揃った。結局この2年で14名の社員が離職したが、その一方で覚悟を持った心強い仲間がTwitter経由で14名も加わわり、既存の仲間の士気も最高潮に高まっている。そして、嬉しい事に社外からも頼れる同志が集ってきた。本業でやるべき事が明確になり道が拓けている今だからこそ、挑戦すべき時なんだと思う。エネルギーは十分に充ちている。この想いを『覚悟の100ヶ条』として記すことにした。これは僕自身へのエールであり、次世代を担う子どもたちへ託したいメッセージとして残した。

人體セミナーでは最後のページで、「自信」について持論を述べているのでこの記事も同じように自信で締めたいと思う。僕自身は達観した宗教家でもないので世俗に属しながら愚直に生きて行く。だからこそ、地に足をつけ、軸をぶらさずに、どこまでもこの二本の脚で歩きつづける。これからも自分のこの體を信じ、自分のこの心を信じ、自分の目の前の「道」を一歩一歩ゆっくりと踏みしめながら歩んで行くのだと思う。心からそう思ってやまないのだ。

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山梨県金峰山2600mの頂きにただ独りで立つ最高の瞬間

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