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『自責=責任感がある』って違うんじゃないかという話

みなさま

最近、オリンピックを見ていて、ふと『自責』という言葉の意味について考えたので、
このノートでは本来あるべき自責の考え方について持論を語ってみます。

自責って言葉は好きじゃない


まず、僕はあまり自責って言葉が好きじゃないです。

いや、むしろ結構嫌いです。

特に社会人1年目への仕事への姿勢的な説法の中で、絶対に語られるのが自責。

『トラブルがあっても決して他人のせいにはせずに、自責の精神で自分が悪かったと思いましょう』

と大半の社会人一年目向けの本でも語られてますが、
僕は決してそうは思いません。

何かトラブルが起こるたびに

『いや、それは絶対おれのせいじゃないだろ』
『お前が反省しろよ、なんで俺が悪いみたくなってんだよ』
『ひどい言い訳垂れてないでもっとちゃんとした対策考えてこいよ』

ってずっと思ってました。

もちろん、他責は絶対ダメ。

ただ、
まぁ正直自分も悪い部分があったとしても、お前も悪かったでしょ?
って思いながらミスの処理をしている事が多い。

決して人よりも責任感が無いわけではないです。
(と自分では思ってます。)
むしろ他の人よりも責任感ある方だと思ってます。

でも自分自身の責任感が強いからこそ、そう思うのではないかと最近思います。


自責の定義

みなさんは自責の定義ってなんだと思いますか?

おそらく、みなさんの中の定義は

『自責=発生した事象を自分の責任として考える』

ではないかと思いますが、僕は違うと思います。

『自責=発生した事象を自分の責任のように考える』


が正しい定義だと思っています。

いや、同じやん。と思った方いらっしゃると思います。
ではどう違うのか、考えてみましょう。

ケース
私はテレビメーカーの営業部に所属している。
得意先から42型液晶テレビを20個、60型液晶テレビを50個発注をもらったため、社内の在庫管理の部署に確認し、納品に向けて準備を進めていた。
処理も完了し、無事に納品したと配送担当から連絡があった翌日、お客さんから42型テレビが50個、60型テレビが50個届いたと連絡があった。急いで確認したところ、自分が作成した社内手続き資料は間違っていなかったが、在庫をピックした担当が資料を読み間違えたようだ。



この時、
自責=自分の責任として考える
だとどうなるか。

例えば対策として、

私は急いで先方に謝罪し、今後は営業担当が配送時に目視で納品数に誤りがないか確認するフローを作ると先方に約束した。

といったように、ビック担当のミスのはずだが、自分がきちんと確認しない方が悪いと自分のせいだと思い対策を立てるのではないか。
これを決して悪いとは思わないが、個人的には筋が悪いと思ってしまう。

では持論の
自責=自分の責任のように考える
だとどうなるか。

在庫管理の部署とディスカッションを行い、今後同じミスが発生しないように在庫管理部の中のダブルチェック体制を構築してもらうことにし、配送担当も検品時に営業の仕様書で確認を進めるようにフローを変更した。

とかだろうか。
このように、自分のせいにすることではなく、誰かのミスを自分のミスのように真剣に考えられることこそが、自責だと思う。

そして僕は絶対にこれを他責とは呼ばないと思う。
絶対にあってはならない他責とは『あとは自分達で考えてください。私は知りませんので』といったように、相手のミスをほったらかしにすることに他ならないと思っている。

メリット

『自責=発生した事象を自分の責任のように考える』

のメリットは主に2つあると思う。

1つ目は本質的な解決策を立案できること。

なんでもかんでも自分の責任だと思って対策考えてたら、本質的ではない対策になってしまうし、なによりも自分のリソースを本来対応すべきでない箇所に費やしてしまうような事態になることが多い。
感覚的に、他人の責任に出来ない人は仕事の効率が悪いことが多い。
なんでも自分でやろうとするし、確認事項が多すぎてがんじがらめになっていることも多い。

2つ目は他人の責任だと思うことでトラブル対応が楽になること。

なんでもかんでも自分の責任だ、と重荷を背負う必要は全くないと思う。
僕自身は、自分は悪くないと思いながら気を楽に対応することも時に必要だと割り切って対応することも多い。

だって俺悪くないもん、と思いながら、同僚がしてしまったミスを自分がしたらどうするかな?どう対策立てるかな?何か役に立てることはないかな?
と一緒に考えてあげることこそが、本来あるべき自責だと思うのです。


あ、もちろん本当に自分のせいだったら全力でジャンピング土下座します。

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