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スキーの技術論

スキーの世界における技術論はとてもあいまいです。

論と呼んでいいのかどうか??

というのはロジックがつながっていないというか、うまい人、昔うまかった人、何となくそれっぽいこと話せる人、いろんな人が技術論を語るのですがしょせん感覚を語っているにすぎないので、論理的に矛盾していることが多いように感じます。

30年前の野球の理論と結構近いのかなあ・・

野球の世界はこの20年で統計学とIOTが入ってきて感覚で話す要素がずいぶん少なくなっていますがスキーの世界は残念ながらそうではありません。

いまだに感覚と過去の因習にとらわれているように感じます。もうちょい何とかならないのでしょうか?

例えば外足荷重!!

ターンの基本は外足荷重であるというのがスキー指導界の通説です。

ターンすると遠心力が発生するのでそれに対してターンの外側の足に力をかける必要があることは恐らく間違いではないのですが、外スキー一本で滑れ!!みたいなことをいまだに強くいっています。

最近はアルペンスキーのレースの映像が簡単に手に入るのですが、どの種目でもスタンスをある程度開いて両足使って滑っています。

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外スキー一本で滑っている選手なんかいないのです!!

ちょっとでもスキーやったことがある人ならわかると思うのですが外スキー一本で滑ると内スキーは外スキーに添えるような形でスタンスが閉じてしまいます。つまりスタンスを開いて滑るには両足使っていないといけないわけです!!

両足を使っているということはつまりターンの内側の足も使ってターンしているわけなのですが世界選手権の中継で解説している人は相変わらず外スキーしか話しません。ここまで行くとほとんど天動説と地動説というか、裸の王様というか、見ている姿と理屈が完全に乖離しちゃっています。

なんでこうなるんだろう??

あと、荷重、加重ということをスキーの指導の現場ではしつこく言われます。それについては曲げ荷重と伸ばし荷重があって・・

という話になっていくのですが、上の写真を見てもお分かりのように外スキーは伸ばして内スキーは曲げていますよね。つまり写真を見る限りではどっちが良いとか悪いとかいう話ではなく両足で内と外で使い分けているということなのではと思うのです。(これについては写真はアルペン競技という雪面に水巻いててテロンテロンに凍らせたバーンという一般のゲレンデとはかけ離れたコンディションを滑っているのでこれがすべてであるとは思いません)

「俺はこういう感覚で滑っているよお~!!!」という話は意識と感覚を言語化し、それを参考にうまい人の体の動きを自分なりに再現するべく試行錯誤するというスキーの上達のプロセスではとても貴重なアドバイスになることがあります。ビタっとはまると自分の感覚と動きがみるみる変化することがあります。なので、指導の現場で感覚を言語化してある程度論理的に伝えるということは必要だと思います。ただそれをさも理論であるという言い方で絶対視するような風潮がスキー指導の現場で蔓延していることにとても危惧を感じています。

感覚は感覚でしかないので論理的に突き詰めるとどっかで矛盾が生じちゃったりするわけです。中にはかなり論理的に話せる人もいますし、逆にめちゃくちゃ感覚的だけど実にそれがはまる人にははまるみたいな方もいます。自分では論理的に話しているつもりなのですが、結構矛盾していない?それ??という方もいるように感じます。でもスキーの世界では大会の上位に来る人の話(感覚)が絶対視されてしまうんでその人は言うとみな「御意!!」みたいな雰囲気になってしまうんですよね?

理論を語るならもっと科学的な裏付けに基づくあるいはそれを求める姿勢とそれはある程度の根拠に基づく仮説にしか過ぎないという前提で語られるべきではないでしょうかね~

最近ドクターXがマイブームなので過去のシリーズをネットで見ているんですけど医学の世界では「臨床」と「論文」をドラマの中でもキチンと分けていますよね。

これにはまあ日本国内最大のスキー組織である全日本スキー連盟の黒歴史が関係していて、その中の教育本部という組織の派閥争いが関係しているというとても残念な話があったりします。20年くらい前から10年くらい前まで教育本部を牛耳っていた方が「内スキーが大事だあ~」みたいなことを言い出してみなそれにならえみたいな話になり、その人(一応大学教授でした。ただし社会学系)の言っている理論に誰も逆らえない雰囲気があったんですが、その後指導現場が大混乱(いや実際にスキー学校ではもっと柔軟に指導していると思うのですが、指導員とかの資格とるときに理論通りの滑りをしないといけないのですが、物理的な部分で論理破綻しているのでだれもできない)してその後、その派閥がいなくなって昔の外スキー重視になって現在に至るという感じなのですが、結局のところ感覚の話から全然進歩していなかったりするわけですよね。

スキー馬鹿にはいろんな人がいて私が知っている中でも物理学の博士号もっているかたとか大学教授とかそれももう多士済々なんですよね(それだけスキーというスポーツは魅力があると私は思い込んでいます)。そういう方々にお声がけして一緒に理論構築していけばいいじゃんと思うのですがいかがなものでしょうか?

学会作ってやるとか?

私たちの世代はそろそろ社会の第一線から引き始める年代ですし、「私をスキーに連れていって」が流行ってスキーにはまった世代でもあるのでこういうのに結構乗ってくる方があるんじゃないかなあ??

私は毎年シーズンの始まる2か月くらい前にその前のシーズンの自分の滑りのビデオを見直します。うまい人の滑りと比較しながら、どこが違うのかをいろいろな視点から仮説設定し、それに対してどの部分の自分の体の動きをどう変えないといけないかを自分なりに整理し、シーズン入ってしばらくはそこの基本的な動きを変えるトレーニングばかりしています。これについてははまる年と外れる年があって草大会の結果や自分の滑りのビデオを見ながらシーズン中に修正をかけていったりしています。(内足が大事だあ~の時代には間違った方向に行ってしまってひどい目にあいました(笑))

私のようなおっさんが個人的な楽しみでこういう試行錯誤を楽しんでいるのは特に害はないと思うのですが、アスリート育成の視点では世界に通用するような育成プログラムが確立されていないのはとっても残念な状況です(現時点で世界で通用するようなアスリートは皆無という・・)。

とてもマニアックな話ですが50歳半ばを過ぎてもそうやって自分の滑りを変えることができるのが生涯スポーツとしてのスキーの魅力なんだろうなあと思っています。

用具の変化の影響も大きいスポーツなので使用しているメーカーを変えると滑りが変わったりすることもあってなんか自分が上達している気分にさせてくれることもスキーの魅力の一つなんでしょうね~

しかしスポーツの楽しみはやるだけでなく、見る、応援するという楽しみがありそういう点では以前よりは少なくなったとはいえこれほど底辺の広いスポーツで世界に通用するアスリートが出てこないのはよろしくないと思います。

この辺も前回のブログでも書きましたが全日本スキー連盟の常任理事に就任し、様々な改革を行っている皆川健太郎氏にとっても期待しています。

世界に通用するアスリートが現時点ではアルペンの世界ではいないと書きましたが実はもしかしたらという若手選手が現れています。男子選手はなんと金沢市出身なのでとっても期待しています。

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写真は2019年12月に開催された全日本スキー選手権スラロームで優勝した小山陽平選手と安藤麻選手(小山選手は金沢市出身です)。

これまでは全日本選手権は3月ごろに持ち回りでいろいろなスキー場で開催されていました。これを皆川氏が3年前から北海道の阿寒湖スキー場で12月に開催に変更するとともにこの大会で優勝した選手はオリンピックやワールドカップなどの国際的な大会への参加権を得ることができる方式に変更しました。合わせて、コースコンディションも国際大会レベル(水を撒いてコチコチに凍らせる)で運営しています。このバーンで滑れないと世界では通用しないというわかりやすい形に変更したことでもしかしたらこれまでずいぶんと距離があった日本のTOPと世界のTOPの差を縮める起爆剤になるかもしれませんね~

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