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多様性を担保すること

先週、森元総理のオリンピック実行委員長の辞任が報道されました。

発言自体はとてもオリンピックの運営責任者として許されざるものであり、お辞めになるのは当然のこととして受け取るべきではあるのですが、なんともやりきれない思いを持っています(これは恐らく彼の出身地である石川県に在住しているものとしての身内びいきに似た感情もあるからだと思っていますけど)。なんとも自分の中でもやもやしている部分があってすっきりしないのでそれを今回文章化してみます。(森さん大嫌いな人はスルーしてください。あ、ただ森さんを擁護するつもりで書いているのではなく、一連の騒ぎについて思ったことを書いております)。

1.ネットやマスコミの集団リンチはいかがなものか?

一つめのもやもやはこれです。確かに発言自体は許されざるものであり、オリンピックの運営責任者にあるまじき発言であると思います。しかし、一連の報道で森さんのすべてを否定するかのようなたたき方をしているのを見ると悲しくなるというかぞっとします。自分はどうなんだと考えたときに神ではないのでまったく過ちを犯さないと断言できません。もし自分があのような全人格を否定するような非難に嵐にさらされたらおそらく耐えられないと思います。まさしくネットリンチの状態です。以前にテラスハウスで男女が同居する番組の出演していた女性がネットリンチに耐え切れず自殺した事件がありました。あのときは結果としてそういう痛ましい事件が起きたからでしょうがいろいろやりすぎではなかったのか?という点で問題提起もされたし、再発防止に対する動きもあったように思います。

森さんは政治家としてのキャリアも長く、もともと失言をマスコミに取り上げられては非難されていたという経験値もお持ちなのでそれでご自分を死に追い込んだりしないと思います。だとするとメンタルが強い人であればどれだけたたいても良くて、そうでない人、そうでなさそうな人はたたいてはいけないということになるのでしょうか?そもそもメンタルが強いかどうかなんて見ず知らずの人についてわかるはずもなく。

ネットの不特定多数のリンチはダメでマスコミのリンチはOKというのはいったい何だろうか??と自問せざるを得ません。

2.一つの過ちですべてを否定するものなのか?

コロナ禍でオリンピックの開催自体が危ぶまれている状況ですが、なんだかんだ言ってこの時点でこの状況まで運営を引っ張ってきたのは森氏の力によるところが多いのではないでしょうか?スポーツについての関心が高く、一昨年のラクビーワールドカップの開催やリオのメダリストパレードをオリンピック、パラリンピック共催で実施したり、彼の働きかけでこれまでなかった素晴らしい取り組みが現実になっている部分もあるはずです。それが今回の失言ですべてを面白おかしく否定する方向で書きたてている新聞、雑誌、ネット記事を見ているとこれも悲しくなります。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉通りの話だと思うのですが、犯した罪は罪として必要があれば社会的な制裁を加えつつも罪を犯した人のすべてを否定するというのはどんなものなのでしょうか?やはり自分事と置き換えたときにめちゃくちゃ行動と思考が委縮すると思います。ヤマキン流にいうとめっちゃ「ねばねば」な考え方に縛られてしまうのではと感じています。

「ミスしていけない。」「一つでも失敗すると破滅する」。こういう考え方は社会のダイナミズムをめちゃくちゃ損なってしまいます。他人からのネガティブな評価ばかりに目が行ってしまうと自分のわくわくにむきあうどころではなくなってしまいます。

3.分断が進む社会

今回の件でもう一つ感じたことはこれ!!森さんは悪気もなく、彼を取り巻くいつもの気ごころにしれた人たちに話す感覚で話していたのだと思います。おそらくいつもはそれで問題なく物事は進んでいたのではということが推察されます。おかしいと思う人がいてもおそらくそれを森さんに指摘することもなく。自分もそうですけど、自分にとっていこごちの良い場所って価値観が同じ人たちとの集まりだと思っていて、そのようなコミュニティに身を浸しているといつの間にかそこの中の当たり前が自分の常識になってしまうということでしょうか?こういう部分の違いの認識って実は転職するとめっや気づかされることが多いです。前の会社の当たり前が転職先では全く通じなかったりという奴ですね。あと、接点のことなるコミュニティに複数所属しているとこういう違いに気づくことが多いですが、かなり意識してないと知らず知らずうちにそういう所属しているコミュニティの当たり前に縛られてしまいます。で、今回の森さんの発言なのですが彼の世代(80歳代前半)では普通の感覚なんだろうなあと思います。

私はアラ還の世代なのですが、同年代が集まると、たいてい「近頃の若い者は・・」みたいな話をしだしてステレオタイプのレッテルを貼ろうとします。私は幸いにして大学で10年、学生たちと直接かかわる仕事をしていたので、そんなことはないと思っているですが、同世代のおやじたちに話してもどうせ伝わらないだろうなあと思ってしまって話をするのをやめてしまいます(何度か話したけど全然だめであきらめた)。で、恐らく私たちの世代のおやじたちが話している内容を今の若者に聞かせるとおそらくめちゃくちゃ失礼で的外れな会話になっているんだろうなと思ったりするのですが、そういう意味では世代の異なる層ですら理解しようとすることが難しいのが現実で、森さんもおそらくはそういう感じではなかったのではと感じています。

「分断」と見出しに書きましたが、相手を違う価値観の持ち主として認めようとしないのだからまさしく「分断」だと思います。繰り返しになりますが森さんが言った発言内容を擁護するつもりはさらさらありませんが、ほとんどの人が同じような状況に陥りがちであるという現実を受け止めておく必要があるのではないでしょうか?

SNSは同質の価値感の人間が集まって盛り上がるツールですので、分断に拍車をかけているとも感じています。

4.もっと多様な価値観で、懐の深い社会にならないかなあ

今回の発言はまさしく女性蔑視と受け取れる内容で、多様性を認める発言とはいいがたいのですが、それを皆で寄ってたかって袋叩きにし、人格まで否定するような動きは本当に多様性のある社会といえるのでしょうか?

(あ、何度も言いますけど森さんの発言を擁護しているわけではありません。念のため)

サッカーでいうと今回の森さんの発言はレッドカードで、一発退場だと思います。森さんがそれを受け入れられずにちょっとバタバタしたのも事実でしょう。でもレッドカードで退場食った選手をそこまで否定する必要があるのかという話ですよね。そういえば元日本代表監督の岡田さんが最初の日本代表監督になったときにWカップの出場権逃がしたら日本に帰れないんじゃないかというくらいのプレッシャーに苦しめられたという話を本で読んだことがあります。オリンピック選手でもそういう重圧に負けて本来の力を大舞台で発揮できずに後からたたかれた人がたくさんいます。

そういう話がますます選手を委縮させ、重圧で思うような力を発揮できなくなってしまっています。ヤマキン流にいうと「ねばねば」の呪いにとらわれてめっちゃ生きにくい状態になってしまうということですね。

ついでに言うと、森さんの後任選定がなかなか大変なことになっていると思うのですけど、なんかあったらあんな感じでめちゃくちゃたたかれる役回りなんで普通の人は引き受けないと思います。だってあることないこと過去の言動までさかのぼって調べられ、ちょっとでもミスったらめちゃくちゃたたかれるわけでしょう!!

やりたい人もあまりいないだろうし、やれそうな人もそんなにいないじゃないのかという気がします。とここまで書いてきて気が付いたのですが、そうすると最終的には消去法で選ぶしかなくなってしまうわけで、何やら大企業の社長選びみたいな感じになっていくわけです。仕事ができるかできないかではなくこの人なら何となく皆が納得するだろう‥みたいな選び方ですね。こういうTOPの選び方でコロナ禍で開催できるかどうか予断を許さない今の難局を乗り切ることができるのでしょうか?

このブログを書いている最中に後任に橋本さんが決まりました。本当に大変な役割をよくぞまあお引き受けいただき感謝の念に堪えません。

森さんに対しては「あなたの発言はレッドカードです!!一発退場に該当します。でもいろいろこれまでに尽くしてくれた貴方の働きには心から感謝しております。ありがとう!!」

というような社会になってほしいと思うのは私だけでしょうか??

こういう事を社会全体でやっておきながら、「若者よ、失敗を恐れずにどんどんチャレンジしてほしい!!」とか言っても説得力ゼロじゃありませんか??

5.失敗した人を「ナイストライ!!」と讃えられるように・・

これは私の願いでもあるのですが本当にそう思います。よく言われるのが「ドンマイ」なのですが、そうではなく失敗した人に対して敬意をもって接することができる価値観がこれからの日本には求められるのではと強く思います。さすがに今回の森さんの発言に「ナイストライ」は言えないと思いますが、辞任した時点で「ノーサイド」ではないのかと。それでこれまでの功績に対しては素直に「ナイストライ」と申しあげられるような社会になってほしいと強く思います。そういう意味ではスポーツマンシップってすごく大事だなあということですよね。オリンピックというスポーツの祭典に絡む出来事がちっともスポーツマンシップに乗っとっていないというのはなんだかなあと思います。

6.できることをコツコツと

私は1年前にコーチングを学んで現在、プロコーチとしての活動のほかに企業の人事コンサルや企業風土改革などのお手伝いをさせていただいております(あ、もちろん転職エージェントもやっています)。ナイストライといえる企業風土が育つと、社員の自律性が発揮しやすくなり、結果的に組織も生き生きと機能するように変わっていきます。そんな会社が一つでも多く増やせるように自分のできることに取り組んでいる状況です。いまってすごく面白い時代だなっと感じているのですが、実はそういう企業風土をもった企業が意外に多いなあと感じています。従来と違うのはこれが企業規模に関係なく存在しており、また同時に昔ながらのねばねばな考えで縛られている企業もとても多く、いろいろな価値観の企業が混在しているというこれまでに遭遇したことのない状況になっているなあと感じています(だからこそ分断が進んでいるともいえるし、多様性が広がっているともいえる気がしています)。

そんな中で少しでも自社の企業文化をこのような価値観に変えていきたいとお考えの経営者の皆様に自分ができることをコツコツ提供し続けていきたいなあと考える今日この頃です。

とりとめのない駄文に最後までおつきいただきありがとうございました。





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