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人事のプロが人事評価制度を否定する話

こんにちは、ヤマキンです。今年の冬は寒いという長期予報と順調に寒くなっている今日この頃にわくわくが止まりません。

今日のテーマって自分の話なんですが、一応簡単に自分の経歴を紹介すると一般企業で人事20年、そのあと転職エージェント&大学でのキャリア教育及び就職支援10年、人事コンサル14年くらい関わっていましてそういう意味では、一応、人事のプロと自称してもよいのかなあと思っているのですがそんな私が最近は人事評価評価制度を否定するということになってしまいました!!

実は私の会社は評価制度はありません!!(って言っても社員3人しかいないし)小さい会社なので説得力がないかもしれませんけど、作ろうと思わなかったし(いや、作ろうと思ったことはあったのですが違和感があって作る気になれなかった。)、今は作らなくてよかったと思っているので、たぶんこれからも作ろうとは思わない気がします。人事のプロとしてずっと良い会社作るには良い評価制度の設計と運用が大事だと思っていたし、実際に仕事でそういう目的で評価制度の設計と運用にかかわっていた自分がなんとまあびっくり!!という印象を自分でも持っているのですが今回はこのあたりについて書いてみたいと思います。

なぜ評価制度を否定するのか?

人を評価するという行為はめちゃめちゃ人を誘惑すると思いませんか?私らプロ野球世代は飲みながら阪神の大山がどうだとか巨人の岡本がどうだとかいろいろ批評するのが楽しいみたいな感じでして、そこから上司や部下の話になったりすることもあるのですが、やっぱり人を自分の物差しで測ってあーだこーだといっているわけです。つまり人は他人を評価することが楽しい!!

そういう意味では人事評価ってもう会社が公認した評価なわけですからそりゃもう楽しいに決まっているわけですけど、評価される側って何を考えるのでしょうか?実はこのあたりについてずっともやもやしていたのですが最近ある事実に気が付きました。それは評価する人のことを意識するということですね。よくそれまでは仲の良い異性の友人だと思って何でもいいあえていたのに異性として意識しだすと急にその人の前では自分をよく見せようとしたりかっこつけなければ思ったりしてしまうあれです。そうするとめっちゃストレスはたまるは疲れるは、挙句の果てにはそれまでの友人としてのいい関係も壊れていってしまうみたいな感じに行ってしまうこともあるわけで、要するに人は誰かに見られているという意識が強くなると行動がおかしくなるということです。会社でこう意識が強くなると上司の前でのアピールとかごますりとかに発展したりするわけですよね。

環境にほとんど変化がなく、とっても安定しているような組織だとまあそれで人を選んでもそんなにたいそうな問題には発展しないのですが、VUCAといわれるような環境変化の激しい現代社会ではそんなことやっているうちに組織がダメになって行ってしまうわけです。

成果主義なんて最悪??

この20年くらい日本企業で導入が進んだ成果主義はこの視点で見ると最悪の仕組みだと思います。なぜなら目先の利益で成果を評価することになりがちで、これを促進させると、とにかく半年くらいで結果が出ることにしか誰も関心がなくなってしまって、それこそ業界のルールが変わるような変革には誰も気づかないみたいな話になるか、ずるしてでも目先の利益を確保する方向で考えて行動するということになってしまうわけですよね。これってこれまでそういう事にほとんどなじみのなかった組織に導入するとこの弊害はめちゃくちゃ露骨に出てしまうわけで日本郵便のお年寄りだまして保険加入させるなんてのはその典型的な例だと思っています。最近は公務員とか大学法人でも成果主義の導入が始まっているようですがめちゃくちゃやばいと思っています。

では何を重視すべきかというと、その会社でとるべき行動、求められるべき行動をとれているかどうか、という視点だと思っています。うまく説明できないのですが結果をほめるのではなく行動の過程か、なぜその行動をとろうと思ったのかという部分をほめるということがとても大事なのではと思うわけです。あれ、これってどこかで聞いたことが・・

そう、子供を伸ばすほめ方ですよね!!

つまり子供も大人も関係なくそういう事が大事だという話であってそうやって考えると結果で人を評価するという成果主義は百害あって一利なしといえるのではと思います。いやいやちょっと待って、日本企業ですべての組織が日本郵便みたいなあほなことしていないからそこまで決めつけるのは言い過ぎじゃね??みたいな印象を持たれた方もいると思います。これについては別の日本企業の持つ文化が影響していると思います。それは経営理念とか行動規範とかに書かれている社員としてとるべき行動基準のもととなるものが社員に浸透しているかどうかということですよね。このあたりの価値感が言語化されており、社員に浸透していると成果主義といってもそのやり方は違うんじゃないのという自制が働いているのではと思っています。じゃあ日本郵便はそういうものがないのかという話なんですが、ぶっちゃけ公務員や公社はそういう部分でその組織を選んで入ってきている人が少ないというかそもそも就活せずに入社している人が多いので働いている人にもそういう部分に対する感性が鈍い人が多い。「なんのために働くの??」と聞かれて、「は、何言ってんの??この人」とか「そんなこと考えたことないわ」みたいなタイプの人が多いということですね。一方、組織の中でもあまりそういう部分を重視していない文化があって、まあ言われたことやってりゃいいんじぇねみたいな風土になっている可能性が高いと思います。人口減少で悩む地元のために頑張ろうと思って地元の市役所に入ったら、転居が嫌で、楽して稼ぎたい人しかいなくて幻滅みたいな話は誠に残念ながらよくある話です。

インセンティブ必要か??

いやいやでもインセンティブは欲しいよね~、だから成果に応じたインセンティブはいるんじゃね??という部分はあるかもしれません。これについても答えはNO!!です!!。個人インセンティブにするとおそらく社員間の競争になるのですが、そうすると社内の人間関係があれます。個人別のノルマ達成率なんか壁に張ったりしている会社があると思いますけど、あれってヒエラルキー作ってマウンティングの相手を探している感じがします。よく考えてみてほしいのですがたかだか特定の商品の売り上げが良くないだけでなんで人格まで否定しなければならないんでしょうか??変だと思いませんか?それとそういうものに固執しすぎるとやはりモラルハザードが起こる危険があります。売ったという結果がすべてであるという考えは結局誰も幸せにしないし、組織にも何も残さないといえるのではないかと思っています。なのでどうしてもインセンティブが欲しいなら、例えばチーム単位とか会社全体でのインセンティブにすればよいのではと思います。

ちなみにヤマキンの会社は毎年期初に会社としての売り上げ目標はこれだけで達成したらみなにこれだけ賞与払って年収これだけになります。もし目標超えた場合はその分のこれだけを皆で配分しましょうみたいなことを決めています。ヤマキンの会社はもともと別の会社の金沢支店を買い取って起業しているのですが前の会社のやり方が個人インセンティブ方式だったのですが何となく嫌だなあと思って今のやり方に変更しています。

会社の中では目標金額についての話題はしょっちゅうしていますし、半年過ぎると、その話題が会社の中心にもなっています。自分たちで決めた事だからやらなきゃ!!という雰囲気満載です。え、これってインセンティブじゃないの??と思われる方もいるかもしれません。はい!インセンティブです。というかノルマかなあ??でも会社全体の目標であり、皆で助け合って目標達成に向けて頑張るということは会社以外のコミュニティではなかなか味わうことができないものがありますし、それを通しての学びや気づきにはとても価値があると思います。体育会の部活に近い雰囲気があるのですが私はそういう雰囲気が嫌いでないのでいいなあと思ってやっています。

評価制度なくしてじゃあどうすんの??

さて、評価制度の話に戻ります。評価制度なくて給与とか賞与どうやって決めるんだよ!!と突っ込みを入れられそうなのですが、やるとすれば自己申告と360度評価が良いのではと思います。自分はこんな仕事していてこれだけ貢献しているので来年はこれだけほしいです!!みたいな形で自分で表明して、それを彼の仕事に関わっている他のメンバーが「それは高すぎ、ちょっと高いかなあ、いいんじゃね。ううーんちょっと安いかなあ、やすすぎじゃね?」くらいの5段階くらいの評価を行うイメージです。いやあ、そんなことやったら好き嫌いとかでバラバラば評価になるじゃんかといわれてしまいそうなんですが、実はだからこそできるだけ多くの人の多面評価が有効だと思っています。まあこれをやるときは社員全員の報酬額も同時に公開しておかないといけないんですけど。

あ、賞与は先述したようにチーム単位もしくは会社全体でインセンティブをもらうルールを決めればよいと思っています。当社は基本年俸+インセンティブで年収が決まるのですが、年俸は私は適当につけています(笑)。当社は人数も少ないので厳密なロジックを構築する必要がないのと、文句は私に直接言っていただく方が良いのかなあという感じですね。

一応、私も自称、人のプロなのでw、はっきり言いますけどこのやり方ではよい評価の仕組みとは言えないでしょう!!だって曖昧だもん!!

でもそこが一番価値観を変えなければならない部分だと思っています。て、ぶっちゃけ人事制度なんてどうでもよいと社員が思える会社が良い会社なのではと思うのです。良い会社にするために良い人事制度を創らねばと思ってやってきた人間としては自分の過去の価値観を否定してしまっていますがおそらくそういう事だと思っています。

言い方を変えると評価制度というのは突き詰めるとどうやってやる気になる人参を社員の前にぶら下げるかという話でして、これって外部誘因による動機付けを仕組み化しているに過ぎないわけです。外部誘因による動機付けでないない何か(内発的動機付け)で自社で働く意味性ややりがいを感じることができるようになれば評価制度の必要性が薄くなるんじゃないの?という事でしょうか?

スライド1

そうはいってももちろんお金は大事です。お金の価値や労働対価に対する正当な報酬を無視してやりがいを搾取するとブラック企業になってしまいます。

うちの会社は評価は曖昧なんだけど良い人が多いし仕事は楽しいのでほんとこの会社で働けていて幸せだよね~と社員といっている会社が良い会社なのではないかと思う今日この頃です。




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