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少子高齢化の現実

ちょっと重い話になってしまうかもしれません。

日本の少子高齢化が大変、特に地方は大変、だから少しでも定住人口を増やす必要があり、特に若者の都会への人口流出を防がないとやばい!!

そんな感じで、若者の地方へのUIターンを促進するイベントが全国各地で行われています。

以前もnoteで書いたことがありますけど、少子高齢化についていろいろ調べたことがあります。

よく成功例として挙げられるのはフランスや北欧諸国。

https://womanslabo.com/world-20180330-1

確かに日本よりは高い出生率ではあるのですが、それでも2を割り込んでいます。夫婦で子供二人だと単純に人口は変わらない(実際は成人までに事故や病気で亡くなる人が一定数いるので2.02くらいでとんとん)計算になるので、つまりは先進国といわれる国で人口が増える出生率の国はないということになります。

日本はこの30年くらいで劇的に少子高齢化が進んでいるので、「少子高齢化は大変、だから地方移住を促進して!!」みたいな話になっています。

では地方に若者に住まわせてそれで出生率があがると断言できるのでしょうか?確かに生活コストは安い(特に住居費)し、実家があって親が近くにいると子育てにおいてもいろいろ心強い部分もあると思います。もしかしたら少しは出生率も上がるかもしれません。

でもどんなに頑張ったって出生率はおそらく2を超えることはないでしょう!!なぜなら先進諸国で2を超える国は2010年以降現れていないからです。

これは個人的な読みですがスマートフォンの普及が出生率の低下に関係しているのではと思っています。あまり確たる根拠ではないのですが、2010年を境にと考えたときにそれまでの世界でなくてそれ以降の世界で出現し、世界中の人々がそれを利用し始めたものは何か??と考えたときにスマートフォンが一番しっくりくるからです。

その因果関係を明らかにできるほどの科学的根拠を持っていませんが、スマートフォンの普及は情報の加速度的な流通を促し、望めば世界中のどこでも同じような情報を収集できるようになっています。その結果、知的好奇心の高い人は学びの量が増え、社会全体としての高学歴化が進展、それは平均寿命の伸長と相まって学びの時間が出産~子育て適齢期と大幅にかぶってしまうという状況になっているような気がします。

もう一つの都会への若者の人口流入の問題があると思うのですが、先進国の中で都市部に人口が集中しているのは日本だけらしいです。これについては歴史的に欧州は都市国家が統合して一つの国になったみたいな背景があり、特に企業が創業の場を移転することに対してとてもネガティブにとらえる風潮があるみたいです。日本は江戸時代は地方分権政権で欧州と同じような感じだったのですが明治政府以降、中央集権が進み、その歴史的背景はすっかりなくなってしまったようです。

さてそんな状況の中で、もうちょっと私たちが真剣に考えるべきじゃないかと思うのは「人口減の社会をどう生きるか?」ではないでしょうか?

人口はこの100年で世界的にもマイナスに転じるといわれています。

少子化高齢化に対する対策よりもそういう世界で私たちはどう生きるかをもっと真剣に考える必要があるのではということですよね?

そのためには順次以下の3つを考えていく必要があるのではと思っています。

①成長神話からのパラダイムシフト

ずっと人事、人材育成の仕事にかかわってきて、「成長するとはどういうことか?」という問いに向き合ってきました。

それに対する私の定義は「自らを変化させ環境変化に対応すること」です。

できないことができるようになること、わからなかったことがわかるようになると成長を実感するわけですがそれって自分の能力が高まったわけではなく、それに対する自分の対応能力がアジャストしているだけなのではと思うわけです。特に老化という部分においてはだれもが避けることができず、その基礎的な部分では衰えが発生するのでそもそも成長というのは一定の年齢以上においてはあり得ないのではと思ったりするわけです。

私が50年以上はまって、今もとってもはまっているスキーについても自分を変えられる可能性を感じることができて、それが楽しくてしょうがないのですが、身体能力という部分では年齢相当に落ちてきているわけです。

自分の能力レベルを図るレーダーチャートみたいなものがあるとするとその面接が広がることは一定の年齢を過ぎるとありえなくて、あとは「何をしたいのか?」という自身の欲求に向けて凸凹を組み替えるとか、その目的により有効に自身の能力を使えるようにリデザインすることができるだけなのではと思うわけです。

一方、これまでの人の営みはすべて成長を前提に行われていたように感じます。資本主義経済はその典型で成長がなければなにも始まらない感じですよね。その結果、地球規模でいろいろなひずみが起きていて、もっというとこれ以上人類がこういうパラダイムで営みを続けることが地球規模的に好ましくないので少子化が進んでいるんじゃないかと感じたりするわけです。

SDGsはそうした流れの中で出てきた考え方とは思うのですが「持続可能な開発目標」というのもこうやって考えてみるとまだちょっとあいまいな気がして、「成長はない、量が決まっている資源をどう利用するのか?」という価値観にそろそろ変えていくべきなんじゃないかなあと思います。

ちなみに「量を決まっている資源をどう活用するのか?」という考え方ってとっても危険があります。納得性の行く配分ルールを決め、それに皆が従うということがとっても難しいのです。下手をすると強いやつが総どりするか、あるいは強いやつが仕切って分配ルールを作る(そうするとそこでえこひいきが発生して、それを不満とする人が反体制に走る)とかやっちゃうともうバタバタですよね。もしかしたらそういう争いを避けるために「成長、発展」という言葉をことさら誇張してきたんじゃないかと思ったりもします。

最近台頭している自国第一主義の考え方って建前論的な「皆で発展」というこれまでのスローガンに対するアンチテーゼだと思うのですが、実態としては限られた資源を取りに行くべきという本音の思いが表出しつつあるのかなあと思ったりします。

限られた資源をどう皆で有効活用するか??この問題に正面から向き合い、納得性の高いパラダイムを作る必要があるんでしょうが私には思いつかないですね~。

覇権争いの時代に戻るんでしょうか(すでにそうなりつつあるような気がします)??

②人口が減っても持続可能な社会の構築

これも日本国内について考えると全くできていないような気がします。社会インフラを維持するコストが高すぎることや、そもそもそういう議論が全くなされていないことにものすごく不安を感じます。地方の限界集落でおきている実態として、50年前は100人くらい住んでいた集落に今は数人しか住んでいないという地域がたくさんあります。人が住んでいる以上はライフライン(水道や電気など)を維持しなくてはならなくて、ちなみにライフラインは一度構築するとずっと使えるというわけでなく、50年くらいで作り直さないといけないようです。人口が減少するということは税収が下がるということなのでとてもじゃないけどこうした地域のライフラインを維持することは難しくなってくるわけなのです。しかし、こういうことをやる(限界集落に費用をかけることをやめるという施策を打ち出す)とおそらくはマスコミが弱者の切り捨てだあみたいな感じで過剰反応することが想定でき、そうするとそれを断行した人次の選挙に負けることになりかねないという感じなのでだれもやりたがらないというのが実情なのではないでしょうか?そうやって考えてみると最近増えているインフラ事業の民間委託の動き(例えば水道事業の民間への委託)は、民間であれば効率性の観点からそうした地域への設備投資を止めるでしょうからそれを狙っている(行政と政治家がそういう汚れ役を担わずに済む)んだろうなあと思ったりしています。

ただこれもその手のごまかし的なやり方ではなく、極端な話、インフラの整備された地域を指定し、それ以外の地域に住むならそれ相当の負担をかぶってもらうみたいな話くらいをまじめに考えていかないとむずかしいのではと思っています(でもそんなこと公約に掲げたら選挙おちますよね~)。指定された地域に住むというのは先祖伝来の土地を離れるということになります。その部分に断腸のおもいをお持ちになる方はいらっしゃると思うのですが、過去にもダムを建設する際に移住をお願いした実績もあるわけで、これはどこかで思い切ってやらざるを得ないのではという気がします。そもそも要介護状態になった場合はそのような地域で単身で生活を営むこと自体が難しくなるわけで、実はしょうがないという話で案外割り切れるような気もします。ちなみに別荘地に老後移住した方は要介護になった時点、あるいはなりそうな時点でそこから介護設備のある地域に移住する方が多いそうです。地方それも人のお店が歩いていける距離にない地域で生活していると自動車は生活の足として欠かせないものです。免許返納しなければならないみたいな状況になると生活の拠点を移さざるを得ない状況になっちゃうわけです。

余談ですが、コンパクトシティの考え方って実はかなり合理的なのかなあと思います。

③世界中から移住者を増やすための施策

国のGDPの成長と国民の平均年齢、そして人口増加には相関関係があるともいわれています。。国民の平均年齢が低く、かつ人口が増えている国はGDPが伸びるということらしいです(日本や中国の高度経済成長期はまさしくそれにあたっていたと思います。じゃあ、出生率が高くて、貧困率の高い国がいきなり経済発展するかというとそんなことはなくて、ある程度の土台(生活インフラら、教育水準など)ができてからということになります)。あと50年くらいでアフリカの開発が終わり、世界の人口もピークを人口減に折り返すことを考えると、国内で都会から地方に若者を移住させるようなことよりも今後は世界中から若い移住者を集める方に視点を切り替えるべきではないかと思います。そして、それは国際的な人材獲得競争となってくるような気がします。給与だけでなくライフワークのすべての部分において若者にとって魅力あるコンテンツを用意するしないとグローバルな移住者を増やすことなんでなかなか難しいのでは??と思います。ありがたいことに現時点ではアニメ好きやゲーム好きの若者は結構日本に来てくれています。でも今は日本に住みたい彼らを迎え入れる仕事(日本語ペラペラでないとNGの企業がほとんど)もなければ、住環境(外国人入居お断りの物件多し)もありません。まずはこのあたりをしっかりとしていくことから始める必要があると思います。AI翻訳はこの数年で劇的に進化していて、日常会話くらいであればスマホで簡単にできるようになるのは目の前らしいです。ちょっと前まで日本の大学や大学院に留学してくる外国人の日本企業への就職支援を行っていたのですが、日本企業は自分たちは変わろうとせずに既存の枠に無理やり当てはめようとする志向が強すぎるように感じます。「成長とは環境変化に合わせて自らの行動と思考を変えてアジャストすること」だ、という仮説を設定していると書かせていただきましたが日本の企業はそういう意味ではこれからの激変の時代に成長できないということになってしまいます。へんな言い方ですが、どうせ外国人は日本企業に対して終身雇用など期待していないはずです(留学生に本音で話を聞くとみないずれは母国に帰りたいと思っています)。であればあまり難しく考えずに日本型雇用とは別のテーブル作って市場価格で積極的に採用してしまえばよいんじゃないかと思います。この話をすると既存の日本人社員から不満が出るという話になるのですがそれは本人が望めば既存の終身雇用制とハイリスクハイリターン型の契約を選択できるようにすればよいだけの話です。私のようなおじさん世代はともかく若者はあまりそんなことは気にしないし、むしろハイリスクハイリターン型の雇用を希望する人が結構いるんじゃないかと思います。企業も優秀な人、働き続けてほしい人に残ってもらう、そういう人に入ってもらうという考え方での人事政策が今後ますます重要になってくると思います。

最近ブランド戦略界隈でちょっと話題になっている下記の本

ユーザーの中で本当に自社のファンとして愛してくれる2割を大事にすべきという考え方は企業の人事戦略の中でもとても重要になってくるじゃないかと思います。

世界から移住者を集めるという点でも総花的に良くするのではなくコアな日本好き(マニア)にたまらない魅力を発信するという・・

マニアの時代がやってきます(笑)

駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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