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誕生日おめでとう

昨日は母の誕生日だった。85歳になった。生きていれば。
彼女は典型的な大阪のおばちゃんで、極めて明るく快活で、極めてよく喋り、そして極めて寂しがり屋だった。毎晩酒を飲んでいた。毎晩大笑いしていた。毎晩酔っ払って泣いていた。

そして、私と弟には相当厳しい母親だった。

成績が悪いぐらいのことは何も言わなかったし、学校をさぼったとか剣道の練習に出ずに帰ったとかにも無関心だった。成績が悪くて教師に呼び出されたとき、彼女は教師に「うちのタツヤは確かに数学が3点かもしれませんけどな、英語はめちゃくちゃできますやん!もっと人間のええところを見なはれ!」と説教した。英語だって学年平均80点のテストで60点しかなかったのに。

学校の成績や出欠にはまったく何も言わなかった彼女だったが、しかし、義理人情を欠いたことをすると平手打ちが飛んできた。母は泣きながら私を何度も叩いた。なんで「ありがとう」のひと言が言われへんの!と。いただきものを嘲笑するとまた平手が飛んできた。DVという言葉のなかった時代である。

我が家は貧しかった。が、ご縁とか感謝とか、そういったものを何よりも大切にしていたように思う。父親が商売をしていたからかもしれないが、コスパがどうのタイパがどうのというような世界からは真逆の暮らしであった。人さまからの施しには驚くほど敏感であった。父は何度も人に騙された。それでも、ご縁を大切に、ありがとうありがとうと言いながら、家族4人が本当に小さな、二間しかない家で、ささやかに、そして一生懸命に、暮らしていた。

生前なんにもしてやれなかった。というより、なにかしてやる前に、彼女は私の前から去っていった。もう少し、世話を焼かせてもらいたかった。話し好きの彼女の話をもっともっとずっと聞いていてやりたかった。そんなことを考えながら、2月6日を過ごした。

母の85回目の誕生日であった。少なくとも私が生きている限り、彼女は生きているのである。毎年この日には、心を込めてハッピーバースデーの言葉を贈りたい。

おかあさん、いつも見ていてくれてありがとう。誕生日おめでとう。

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