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お花見広場

 前に住んでいた家の近くに「お花見広場」という場所がある。広場と名前がついているが広場ではない。小山にうねうねと遊歩道がつづき、ツツジ、カエデ、ウツギなどなどの木々が生えている。そのあちこちに桜の木が植えられて、季節になると、八重桜、ヤマザクラ、薄いピンクの、濃いピンクの、白いのと、いろんな桜の花が咲く。遊歩道のまわりには、ところどころに平らな草むらがあって、近所の人がぶらぶら歩いたり家からお弁当と敷物を持ってきて桜見をする。
 近くに住んでいるときは、そこへは普段からよく犬と散歩に行き、人が少ないのをいいことに、伸びるリードを伸ばし放題にして、斜面や草むらを駆け回らせていた。
 桜の季節には、お花見をする人がいるので、人のそばでは駆け回らないよう気をつけていたのだけれど、あるときうっかり油断してリードを伸ばすままにしていたら、BBQをしている若者たちのところまで犬が駆けて行き、肉の匂いにオスワリをした。若者たちがどっと笑い、わたしははあわてて犬を呼び寄せ、何事もなく済んだのが、なんだか愉快な思い出になっている。
 そこから数回引っ越しをして、いまは離れてしまったが、それでも桜の季節になると、わざわざバスに乗ってお花見広場に桜を見に行く。今年もまた桜を見に行った。いつもどおり桜が咲いて、ぶらぶら散歩する人、ぽつぽつとお花見をする人がいて、桜と、モミジやウツギが風に吹かれていた。
 他の桜の名所では、出店が出て、配達の人が走り、大小の宴会が催されているのだろう。夜はライトアップされてにぎやかだろう。けれど春になると、桜といえば、ついそこへ足が向いてしまう。小さな敷物を敷いて、お弁当を食べたり、空や桜や犬や走る人を、ぼんやり眺めるようなお花見がやりたくなる。
 桜の花は、特別に一年に一度という気持ちを強く感じる。バラでもツツジでも金木犀でも一年に一度しか咲かないのに、桜だけはなぜか「あと何回見ることができるかな」という気持ちになる。
 元気いっぱいに急斜面を駆け上り藪を突っ切っていた犬が、だんだん老犬になってゆくまでの長くて短いあいだ、ほとんどの桜をそこでいっしょに見た。そしてその犬ももういない。思い出の、特別な桜。

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