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いつかは、君を忘れる

高校生くらいまでは、年上の昔話を聞くのが、あんまり好きではなかった。というか、興味を持って、その人の話に、耳を傾けることができなかった。

だけど、年上に、自分の話をするのは、好きだった。今考えると、私は、人の話を聞いていたふりをして、聞いていなかったんだ、と思う。自分のことを考えることで精一杯になっていたんだ、と思う。

「聞く」というのは、今でも、むずかしいことだ。文字どおり、相手の言葉を「聞き取る」「理解する」「覚えている」というのはできたとしても。いや、できたと思っていたとしても、そもそも、聞くつもりがない時だって、あると思う。

だけど最近は、教科書にも、ネットにも、どこにも残らないような、小さな昔話を聞くのも、また面白いなと思うようになった。大きな感動を呼ぶ展開や巧みなオチがなくても、そこには、ちゃんと、その人がいて、時間がある。時々、小さな伝説があることも、ある。私は、名もなき偉人たちが、今日もどこかで暮らしていることを、ひそかに誇りに思ったりする。

今日、小さい頃の私との思い出を、楽しそうに話してくれた人がいた。

「昔、ここのカフェの2階でね、カレーを頼んだのを、覚えとらんとね?あれは、風が強い日だっけ。寒い日だっけ。」

私は、その時のことを、全くと言っていいほど、覚えていなかった。

小さい頃の記憶は、途切れ、途切れだ。
最近の記憶でさえ、断片でしか覚えていないことも、ある。

かと思えば、急に、小学校の頃、好きだったテレビのテーマソングを口ずさむ時がある。昔の写真をみた瞬間に、その時の景色、色や匂い、感情を、ぶわっと思い返すことも、ある。

私は、いつか、今、この時のことも、忘れてしまうのだろうか。

転げ落ちるくらい笑った、くだらない話を。
小さく動いた、鼓動の音を。
晴れた日の、深呼吸を。

いつかは、君を、忘れるかも、しれない。
だけど、私は、いつも、ここに、いる。

いつも、応援、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、6月から約8ヶ月間のアメリカの留学費に全額使い、その体験を、言葉にして、より多くの人に、お返しできたらな、と思っています。