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考える癖をつける ー20歳の頃に決意したことー

 手元に残されているテキストファイルには、10年前の日付のものも存在している。物持ちがいい、ということばがあるけれど、ぼくはその伝でいうと、データ持ちがとてもよいのだ。

 10年前。
 ぼくは、20歳だった。
 若くて、迷っていた。
 迷いたくないと思っていた。

 その頃のテキストを読むのは、かなり、エネルギーを要する行為だ。
 じぶんの青さ、迷い、そういったものが剥き出しのかたちで残されている。ようやく癒えた傷が、また開こうと疼きはじめるのを抑えられない。きついものだ。

 でも、なかには、「こんなことを考えていたんだ。えらいなあ」と我ながら感心してしまうようなものも混じっている。ぼくは若かったし、迷っていたし、青かったし、傷だらけであったけれど、真摯ではあったのだ。

考える癖をつけること

●「なんで?」と問う(自分に/他人に)
 たえず疑問をなげかけ、その疑問の根っこを探り続けることで、思考を深めていく。
 好きなものがあるとして、それがなぜ好きなのかを問うことで、自分を見つめ直し、根本動機(自分がほんらい何を好いているのか)にまで行き着くことができる。
●他人の意見と自分の意見を区別する
「この作品をこう捉えていたほうがかっこいい」だとか「これはこのように評価されているらしい」だとか「この作品を好きと公言していればまあ間違いない」などという思考はあくまで客観に汚染されているものだ。人は他人の意見を自分の意見と取り違えて思いこむことが多い。
 だから、「これは自分の考え」「これは他人の考え(もしくは他人の目を意識しすぎた考え)」ときちんと区別できるようになる必要がある。
 最初はこの二つが混じっているから、慎重によりわけられるよう努力すること。油断しないこと。ネットの意見に汚染されるな。
●見栄を張らない/知ったかぶらない
「自分をすごいと思ってほしい」という欲望はたいていろくな結果を招かない。読んでないマンガを読んでいるかのように語るのはやめる。分からないときには素直に「分からない」という。語っている相手がいるなら、「なんで?/どういうこと?/なにそれ?」と疑問を投げかけてみる。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
●「才能」なる夢をみない
「才能」なんて存在しない。みんな同じ条件から努力を積み重ねてすごい人になっていく。はじめからうまくいく奴にはそれまでの積み重ねがあるだけ。
 最近の少年マンガには「才能があるんだけど、今は努力してないだけ/努力をスタートしたら爆発的に延びる」という主人公が多いが、あんなものいない。
「自分はやればできる/やらないだけさ」といいわけしない。やらない、というのは努力をスタートしない、ということだ。それじゃあ何も始まらない。
 ものを考えるにも同じこと。いきなりすべてを理解でき、語れるようになるやつなんていない。考えて考えて、そのあとにようやく自分の言葉で語れるようになる。
●ネットを見すぎない
 他人の言葉を読んだだけで自分もたくさん考えごとをしたような気分にならないこと。鵜呑みにしているだけかも。ネットを見ている時間は寝ている時間と同じくらい価値がないと理解すること。
 ネットの「意見の相互調整システム」(スレまとめブログ・ニュー速などにおける、「この問題にはこういう意見」という脊髄反射的な考え方のこと)に気をつけること。
●むずかしい言葉を使おうとしない/無理にまとめようとしない
 文章をまとめようとするとろくなことはない。考えのおもむくままに筆を走らせること。序論・本論・結論だとか起承転結のような構成を気にするのは他人に見せる文章だけ。見栄を張るな。
 自分のために書く文章に、出来映えなんて必要ない。書くことは考えることだ。考えを残しておくだけのことだ。文章を通じて評価されようなんて思うからくそくだらない文章しか書けなくなる。
 むずかしい言葉を使うのもよくない。自分でも意味がよく分からない専門用語を使いたがるのは見栄。「むずかしい言葉を使えるかっこいい自分」を見てもらいたいだけ。簡単な言葉でしゃべること。他人にも自分にもわかりやすい。

 いま見返してみると、ここ10年でできるようになったこともあるし、できないままであることもある。
「見栄を張らない/知ったかぶらない」ということはまだ気を付けているし、「むずかしい言葉を使おうとしない」も、なんとなく定着した。いっぽうで、「ネットを見すぎない」についてはなにも成長がない。見るものが2ちゃんねるまとめサイトから、TwitterやTogetterまとめに切り替わっただけのことだ。

 しかし、なんにしても、じぶんにとって大きな課題であったことが、こうやって明文化されていたことには改めて驚いた。いまのじぶんにも、まだ響くことばで書かれている。
 よほど、大切なことだったのだろう。当時のぼくにとっては。

 何年かおきに、これを読み返すようにしよう。
 20歳の頃を基準として、じぶんがいまどういう位置に立てているのかを、定点観測するように努めよう。

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