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読む本の冊数を誇るな。

 読む本の冊数を誇ることに意味はない。
 意味があるのは、一冊の本からどれほど多くを受け取ることができるか、だ。

 じぶんより多くの冊数を読んでいるひとに、コンプレックスを抱く必要はない。
 じぶんより多くのものを本から引き出せるひとにこそ、コンプレックスを抱くべきだ。

 読み飛ばすことに意味はない。
 読みこなすことに意味がある。

 本は、くりかえしくりかえし読まれるべきものだ。
 くりかえしくりかえし読むに足る本を、何冊持っているか。
 それが重要なのだ。

 ぼくたちはついつい、お金を無駄に使いたがる。
 ほんとうは、1000円というお金はそんなに無駄にしていいものではない。
 つまらない本に払っていいものではない。
 再読に足るものだけを買うのだ。

 読書の基本は再読である。
 二度以上読んでいないものは読んでいるとはいえない。確認しただけである。再読に足るものを判別するため、一度目を読んでいるにすぎない。
 同じ本はくりかえしくりかえし読む。
 とくに好きな本であれば、くりかえすことで血肉化していく。

 小説であっても同じ。
 ストーリーや展開を話せるようにするためには再読する。
 読んだのに覚えていない、と嘆くのは馬鹿だ。
 それは読み返していないからだ。
 読み終えたら、ぱらぱらと読みなおす。
 余韻にひたりつつ、思いをめぐらすのだ。
 そうしてはじめて、作品世界が印象に残る。
 語れるようになる。

 どんなに名作と讃えられていても、ピンと来なければ、それはきみにとっては駄作だ。
 どんなに叩かれていても黙殺されていても、ピンときて、読むたびに発見するものがあるのであれば、それはきみにとっては名作だ。
 価値判断の基準はそこにおく。

 豚になるな。
 ある程度の面白さで「面白い」などと口にするな。
 それが芸術を腐らせていく。
 基準を高く持て。誰よりもワガママな読者たれ。
 自分が面白がるのになにが足らないのかを、厳しく見極めろ。

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