なんとなく生きていていいものなのかと思い悩む

知らない人が亡くなったことを知り合いから聞いた。
34歳にもなると誰某がなくなったという話を耳にする機会が増えてくる。

不謹慎は承知の上で感じたことを書けば、今この時にも知らない誰かが死んでいるはずで、それと大差はないことなのかもしれない。

しかしながら、実際に存在していることがわかっている人が死んだ聞くと、やはり自らの死も想起させられる。なんなら亡くなった誰かは同い年だったらしい。

当たり前に明日が来ると思っている自分がいる。やりきったという達成感に包まれながら泥のように眠りに落ちたという経験を最後にしたのはいつだっただろうか。

目の前のタスクを片付けるのに必死で、やりたいことを先送りにしていないだろうか。
そもそもその片付けなくてはいけないタスクに取りかかるまでに不要な時間を費やしていないだろうか。

なんとなく生きることを否定はしないが、その選択は本当に自分で選んだのだろうか。
選択から逃げた自分を正当化するための言い訳で選んだことにしただけではないだろうか。

遅かれ早かれいつか人は死ぬ。
当たり前すぎて気にしてなかったのかもしれない。大槻班長よろしくせめて今日だけがんばろうではないか。

『もし、明日死ぬとしたら何がしたい?』

ありきたりな自問自答だ。
頭の中で思考を巡らす。
そして1つの答えにたどり着いた。

『かわいい女の子といちゃこらしたい!』

あぁ、私はこんなにも下半身で物を考えているのかと非常に恥ずかしく残念な気持ちになる。
精神はいつまでたっても童貞のままだ。

だが、仕方ないそれが私だ。
モテるために今日も生きよう。


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