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この世の全ての人はバカ?成長できる?【岡田斗司夫の興味深い話】

二つの対極の考え方

えっとこの間ですね
橘玲さんっていう人と対談したんですよ
橘玲さんっていうのは
(日本人)っていうのとか
あと不愉快な真実には理由があるっていう
ような本を書いてる人で
僕はこの人面白いなと思ってる物書きで
元々は海外投資とかそういう投資の方向で
有名になった人なんです
ライターで頭のいい人です

また同じようにですね
ついこないだ内田樹さんというですね
評論家の人との対談の本も出たんですよね
だから僕の頭の中には今
最近のマイブームとして
その橘玲さんという評論家の人と
内田樹さんという人が
二人いるんですけども
これがね全く逆なんですよね
考え方が

現実主義者

橘玲さんと話した時に
すごく面白かったのがですね
彼はもうあの現実主義者なんですよ、徹底した
現実主義者って案外浅いことを言うんですね
普通は
でも橘さんってやたら深いんですよ
例えば橘さんはですね
リベラルデモクラシーという
僕らの政治形態ですね
リベラルデモクラシーっていうのは
弱者に対して優しくする民主主義形態で
表現の自由や言論の自由を認めるという
僕らが大体正しいなと
なんとなく心の中で思ってるような
こんな政治形態だと思ってください
これをですね
政治の最終形態だっていう風に言ってるんですね
別にこれは橘さんだけの意見ではなくて
フランシス・フクヤマとかが歴史の終焉とかでも
言ってることなんですよ
リベラルデモクラシーっていうのは
人類が色々、紆余曲折した末に編み出した
最終的な問題決着の方法だから
こっから先はないよ
っていう風に言ってるんですね
これまでも色んな政治形態があったんだけれども
ここがもう落とし所でしょう
だからここから先はないよと
最も進化した素晴らしいもの
っていう意味じゃないですよ
もうここまで来ちゃったら
こっから後は無いみたいな言い方なんですよね

皆がバカであるという考え方

これですね皆がバカだ
っていう考え方なんですよ
政治家も馬鹿だし、国民も馬鹿だけども
それをもう認めようよっていう考え方が
リベラルデモクラシーなんですよね
デモクラシー、民主主義の考え方っていうのは
一人一人が正しく考えて
正しく評価して
投票して
それによって素晴らしい政治家を選んで
それによって政治を良くしよう
経済良くしよう
という風についつい僕ら思うじゃないですか
でも橘さんのような現実主義者にとって
そんなものはこの世の中に存在しないと
なぜかって言うと
グローバリゼーションっていうのは
世界のグローバル経済っていうのは
何かって言うと
もうどこに何の影響があるのか分からない
世界のことだと
だからあらゆる専門家は
データを駆使してビッグデータとかを駆使して
色んなことを言うんだけど
結局誰が正しいのか分かんない世界に
なってしまった
これが現実主義者の考え方なんですね

例えば
原発事故に関しても
原発事故が起こったと
じゃあ、それまで政府とか東京電力が
色んな情報を隠してたからだっていう風に
皆思ったわけですよ
僕もそう思いました
さあ隠したデータが出てきたら
そしたら悪いやつが誰か分かったか
何がいけなかったか分かったかと
わかんないですね
そうじゃなくて
隠したデータが出てきた瞬間に
解釈がものすごく増えちゃったんですよ
この原因を例えばAだという人もいれば
いやAではない、Bだ、Cだという人もいて
それが無限にあって
それが二年経ってまだ落ち着かない状態
っていうのを僕ら経験してる訳ですね
だから専門家が皆
正しいことが言えるとは限らない
っていうのを知ってしまった時代
それが情報化時代の特徴だと
ここまでが前提

政治家が正しく舵取りができるはずがない
という風に
リベラルデモクラシーでは考える訳ですね
つまり政治家っていうのはですね
能力が高くて正しい舵取りができるのではなくて
もう何をやっていいのかわかんない時代だから
色んなことをやるしかない
リスクが低くて色んなことにトライするしかない
そしたらたまたま上手くいく時もあれば
駄目な時もあると
それは古代のまじない師とか王様と全く同じだと

古代から現在に至るまで

古代のまじない師は
亀の甲羅とかを見たりですね
色んなまじないをして
今年はこうなるとか来年はこうなるという風に
国の運命を決めた訳ですね
それと今の政治家とか経済学者が
やってることは大して違いがないと
それはなぜ専門家は猿にも負けるとかですね
色んな海外の書籍でも
僕らの考えてる専門的な知識とか
予測っていうのが
いかに当たらなくて
いかに無駄なのかというのが
証明され尽くしているは
証明され尽くしてるんですよ
そうじゃないんだ、将来は予測できるんだとか
賢く行動すればっていう人は
いっぱいいるんですけど
その人らはただ単に
当たった事例とか
予測が上手くいった事例とか
経営が上手くいった事例のみ
を持ってきてやる訳ですね

例えば
ユニクロっていうのが
今、経営のちょっと危機に瀕してるんですね
経営がちょっと今最近上手くいかなくなってる
でもつい3年ぐらい前まで
ユニクロこそが日本の経済の救い主であり
彼らがやってる方法論は
全て正しくてっていう風に言われたわけですね
その10年ぐらい前は
日本のスーパーマーケットが
何より正しくてっていう風に言ってた
そのさらに10年前は
日本のソニーとか
電子機器メーカーがシャープが
いかに正しくてっていうの
経済誌も経済学者も皆
声を揃えて言ってたんですよ
10年とか20年前のこと
だからもう皆忘れてるけど
その頃の分析では
いかに日本のそれまでの産業はダメで
シャープやソニーのやり方が正しいかとかですね
日本のスーパーマーケットのやり方が正しいか
って言ったんですね
でもそれは正しいかどうかじゃなくて
たまたま上手くいってただけ
たまたま上手くいってた事例
を次から次へと出して
だからこうしなきゃいけないんだって言ってる
評論家がでかい顔してるだけなんですね

つまり結論から言うとですね
経済も政治も博打にしか過ぎないと
古代からあるように
まじない師がですね
雨降れ降れ降れ降れってやってたら
ある確率で雨が降ると
そしたら雨が降った場合
そのまじない師は
神だとかまじない師のトップだと
いう風に褒められて生き延びるんだけども
駄目だった場合
そいつは首を切られたり殺されたりしちゃうと
じゃあそれを繰り返していったら
まじない師の血統は
雨を降らせることができるのか
そんなことはなるはずがないんですね
そうじゃなくて
ただ単に確率的にたまたま皆が祈って
雨が次の日に降ったら
まじない師は命が救われる
雨が降らなかったら
まじない師は首を切られて
と同じだと

生贄システム

僕らついつい間違えちゃうんですけども
昔ですね
古代の時代の王様とかの権力って
そんなに絶対的じゃないんですよ
いや違うな
王様の権力は絶対的なんですけども
王様というのは案外簡単に
首を切られちゃうんですね
周りの神官とか周りの側近によって
それは何かって言うと
王が天、神様に対してですね
ちゃんと行なってないから
王位を排して
別の王様を立てようというのを
古代の中国とかもずっとやってるわけですね
古代の中国も王が王たりえなくて
王の資格がない時は
彼を殺しちゃって別の王様を立てるのは
しょっちゅうやってるんです
それは何かっていうと
自然現象とか経済とかが上手くいかなかった時に
王様を殺してるんですね

つまり、僕らの社会っていうのは基本的に
生贄システムでできてると
政治とか経済っていうのが
思うようにならないのは
千年前も現代も全く同じなんですね
たまたま上手くいった時には
王様とかの誇りだとか
もしくは日本人の頑張り頑張リズムだとか
色んな風に言うんですけど
だめだった時は
とりあえず一番上の奴で
その時のトップのまじない師とか
政治家とか王様とかの
首を本当に切ってしまって
殺してしまって
お払いをして
次のやつを立てよう
今度は大丈夫だっていうのを繰り返してきたと
これが古代からの政治システムで
現代というのは
さっき話したリベラルデモクラシーですね
民主主義というのは
何が最終形態かというと
この生贄システムが
物凄くエレガントになった結果
殺さなくても済むようになったと
政治的生命を奪うわけでもない
ただ単にクビにするだけだと
文字どおり
つまり、上手くいかなかった政治家とか
上手くいかなかった経済政策っていうのは
それをなかったことにして
新しいやつを据えて
そして次の奴に願いを託す
っていう方式を編み出したと
だからといって
上手くなる確率が上がったりはしないんですね
ただ単に運が良ければ上手くいくし

全ては偶然の産物

例えば
大前研一がですね
この10年のシンガポールの躍進を見てみろと
シンガポールのやってる事は
全て政策はこんなに正しくて
日本はこんなに駄目だっていう風に
僕は大前研一さんのメルマガ取ってるから
毎日の様に大前さんは言ってくるんですけど
僕にしてみれば
それはたまたまシンガポールがいいから
大前さん今言ってるだけだって
たまたま最近スイスが調子いいから
言ってるだけであって
俺、大前さんの本は
25年前から見てるけど
大前さんその頃は
日本すごいって言ってたよっていう風に
わかっちゃうわけですよね
国際分業とか道州制制度とか
大前さん
根本では凄く良いことを言うんですけども
それがなんで正しいかという時は
ついついやっぱり今上手くいってる
現に上手くいってるものを見て
それに関してこれはこうだから上手くいくんだ
日本もこういう風にすれば上手くいくって
言っちゃうんですけども
地域も違えば、歴史も違えば、風土も違う
そのシステムを持ってきて上手くいくかどうか
本当に運次第なんですね

運が良ければそれは
考えた奴を褒め称えてもいいんですけども
運が悪くてダメだった場合
僕ら運が悪くてっていう風に考えられない
人間っていうのは
確率論で考えずに因果律で考えるっていうのが
これが橘さんの持論なんですけど
ごめんな、どんどん難しい話になって
結果的にだから
僕らは生贄システムっていうのを
凄くエレガントにした
トップの人間をすげ替える、入れ替えることで
この世界っていうのを
運用していくしかないよな
っていうのが橘さんの考えなんですよね
民主主義と言論の自由というのは
生贄システムというのが最終形態である
だって生贄システムをうまく動かすには
どいつが悪いのかっていうのを
常に皆が自由に言える仕組み、言論の自由と
そしてそいつらを
生命を殺すのではなくて
政治的に罪を被せるっていう
選挙の仕組みっていうのが
この二つが絶対必要なんだ
だからすごく上手くできた生贄システム
というのはリベラルデモクラシーだ
これがさっき言った2人いる内の1人
橘さんなんですよ
これに僕の頭の半分は
確かにそうも言えるよなと

真実というのは元気が出ない

でもこの橘さんの考えというのはですね
真実かもしれないですけど
全く元気が出ないんですよ
ここで俺、橘さんと2時間対談したんですけど
頭の中は凄い興奮して
面白い面白い面白いって言うんですけど
橘さんは延々
結局ね、こういうことなんですよ
リベラルデモクラシーというのはですねと
ぼそぼそ語って
俺もひたすら
そうですよね、そうですよね
その通りなんですよね
というふうな形で
ピースオブケイクっていう
オンライン雑誌の中では
すごく楽しそうに盛り上げているんですけども
あの音声をもし聞く機会があったら
聞いてみてくれたら
俺のすごく力のない声と
橘さんの元気のない対談が聞けます
もう本当に元気が出ないと
真実というのはこんなに嫌で元気が出ないものか
だったら真実なんか
何の役にも立たない訳ですよね
なんかねそれはね
お前の嫁さんのウ○コしてる写真を見つけたぞ
って言われてみたいな感じなんですよ
それは真実かもしれないけど
これによって俺
嫁さんに対しての愛を失ってしまったら
俺の家庭どうなるの?
でもそれが真実ですからって言われたら
その通りなんだけどというぐらいなんですよ

全ての人は成長できるという考え方

さて、もう一人のですね
内田樹さんというのはですね
これも橘玲さんに負けず劣らず頭の超いい人です
内田さんはですね
そのリベラルデモクラシーの対極でですね
敢えて言えば
賢人政治っていうんですかね
頭の良い人が政治を行うであり
同時に全ての人間が頭が良くなるべきである
良くなることができるって考え方なんですね
その内田樹さんは
大学の先生をやってるんでですね
現実主義者に対して批判するんです
橘さんのような現実主義者に対しては
人間の能力っていうのを低く見積もり過ぎだと
確かに古代からの政治形態ってのは
生贄システムで
民主主義は生贄システムと
言えるかもしれないけど
けどっていうのが付くのが
内田樹なんですよね
でも教育とかきっかけで人間は生まれ変わる
変わったように能力が上がったり何だろな
先が読めたり凄く良い奴になったりする
現場を俺は何度も見てると
そんなことは奇跡でも何でもない
当たり前にあることなんだ、どんな奴でも

例えば
子供が生まれたら
しっかりするってあるだろと
嫁さんもらったら
しっかりするってあるだろと
親の恩が分かった瞬間に
何か背筋伸びるはあるだろと
人間が変わるのは
奇跡でも何でもなくて当たり前だけど
橘さんのような現実主義者っていうのは
人間の最低線だけみてるから
そっから先進歩しないように
見積もっちゃうんだよと
そうじゃなくて
人間っていうのは伸びることができるというのが
内田さんの考えで

システムでなく自分を作り変える

じゃあ政治の形態ということでは
日本人はこれまで
どういう風にやってきたのかというと
少なくとも自分自身を
ちゃんと失わずに持ってきて
お金のためにとかですね
出世のためにだけじゃなくて
自分というものをちゃんと持っていて
向上心と同時に
人に親切にっていうような心を持つことだけで
日本人っていうのは
江戸時代から300年とか400年
上手くやってきたわけだと
それだけで大丈夫だっていうのが
内田さんの考え方
不景気とか災害に対し
政治とか経済でどうにかしよう
例えば
不景気が来るからガッチリ稼ごうとか
安定した就職先を探そうとかですね
自分だけが生き残れるようにしよう
という風にするんじゃなくて
なんか不景気とか災害とか
極端に言えば、病気とか失業とかに対して
そういうのを全て環境と考えて
どんな環境が来ても
ある程度大丈夫な自分を作るっていうのが
内田さんの考え方なんです
つまりシステムで変えようとするのではなくて
自分っていうのを作り変えたら
それはどんな環境が来ても
ある程度耐えられる自分っていうのは作れるぞと
逆に言えば
一人の人間にできることは
自分を作り変えることしかないっていう
すごい強いメッセージなんですよ
なのでそうすると何が来ても大丈夫と

うしじまいい肉さんが強く頷いてるけども
多分、心に今響いてるわけだよね
いかなる環境にも耐えれる
自分を作ることだけが
たった一つの冴えたやり方だと
だから逆に言えば
どんな環境とかですね
どんな時代にも耐えれるような
財産とか職業なんていうのはあり得ないでしょ
でもどんな環境にも耐えれる
自分っていうのはあり得ます
っていうのは内田さんの考え方です
そう内田さんは武道家だね

  • 可愛いよ、うしじま(コメント)

と言われてるよ良かったね
金だけじゃないんだっていうのが伝わって

目前の人と反対の立場になってしまう不思議

これね
どっちが正しいかじゃないんですよね
僕ね何が悲しいかってね
内田さんと話してるときはね
心の中の橘玲が出てきちゃうんですよ
でも橘玲的にはそうじゃねえだろとか思って
内田さんに言うから
実は僕の心の中は
内田さんのファンの部分が
すごく多いんだけども
多分内田さんから見て僕は
自分に対して案外逆らってくる
生意気な若造に見えてると思うんですよ
それがもう僕にしては切ないんだけど
でも内田さんに対して話す時っていうのは
僕はどうやっても橘玲的な考えで話しちゃう

で、橘さんと話す時には
橘さんそれだけじゃないでしょう?とか
人間はっていう風に
ついついバカになって語っちゃう
これはやっぱり内田さんの言ってることを
何とか代弁しようとして語っちゃう訳ですね
やっぱり人間だから
誰かの影響というのを強く受けて
目の前にいる人と反対側の人っていうのを
持ってきて話しちゃうんですよね

複数の考え方を使い分ける

いや僕の落とし所なんですけれども
最近はもうこういう風に
決めてるんですけどもね
橘玲さんの考え方っていうのは
多分より真実に近いんですね
橘玲、ちゃんと今字が出ました
2文字だけの字の人なんですけども
より真実に近いんですけど
元気が出ないですよ
ただあの考え方を持っていると
間違えなくて済むんですね
橘さんすごいですよ
あの対談が始まったときに
開口一番言ったのは
宝くじっていうのは元々ね愚か者にかかる税金
って言われてますから
っていうところから始めてですね
宝くじなんか買う奴はバカだから
金を取られても仕方がないんですよ
ということをまずドーンと言うわけです
こっから始められた!
言い方がすごい!
愚か者にかかる税金と言われてますが
っていうか当然岡田さんも知ってるでしょう?
から始められたから
うわーって思って
はいはいはいはいはい
橘節きたー
って思う訳ですよ
だから橘さん的な考え方を
ちゃんと身に付けていると
損しないし傷つかないし
この世の中の底が見えてるから
安心は安心なんですよ
この世の中果てしない底があって
どこまで落ちていくかではなくて
はい、ここが底ですよ
その底のことを
リベラルデモクラシーと言います
その本質は生贄です
っていう風に言っちゃうんですけど
昼間の雨の降ってない晴れた日は俺は
橘玲でいこうと思います
昼間は
夜6時過ぎたらもう俺は内田樹に切り替えます
無理
夜6時過ぎて皆さんも一回橘玲になってみなさい
本当にね、寝るのが嫌になるから
はらちゃんを見ても泣けなくなりますから
ま、そんなこと言っても
日テレのドラマだし視聴率取れるんだから
こんなもんだろって
さっき僕が言った
恋愛の不可能性っていうのを
成立させるためにはこういうドラマ作りも有り
っていうのは橘玲的な考え方なんですね
でもはらちゃんの事が心配で夜も寝れない僕
っていうのもそれも本当の僕なんですよ

僕の心の中には
橘玲さんと内田樹さんの両方がいて
多分それは皆さんの中にも
何かその例えば
東浩紀がいて誰がいてとかですね
小林よしのりがいて誰がいてとか
人によったらですね
ひょっとしたら
大阪維新の会の人がいたり石原慎太郎がいたり
意外な人がいるかも分かんないですよ
でもそれは100%こいつの言ってることが
わからないじゃなくて
誰かに腹が立ったりムカってする時はやっぱり
5%か10%はそいつの言ってることが分かって
それが分かっちゃう自分が嫌だから
誰かにイラついたりするんですよね
だから僕もなんか
嫌いな人っていうのは
理解できる人だけなんですよ
人間は理解できないものは
嫌いになれない生き物なんですね
こと人間に対しては
僕は本当にどっちにも心が行けるので
苦しいのは苦しいですよね
皆さんも多分、心の中に
この番組を見ているからには
何%か岡田斗司夫が入ってて
その岡田斗司夫のおかげで
ちょっと良いことがあったり
逆に嫌なことがあったりする
とは思うんですけども
それの使い方はですね
俺は昼夜だと思いますね
昼に誰の考え方を持ってきて
夜に誰の考え方を持ってくるか
僕自身の生き方は
昼に橘玲を持ってきて
現実っていうのは
ある程度冷たく見るんだけども
女の子と話すときに
これは封印するか
もしくはチラ見せ程度にしといて
主に夜は内田樹でやったらですね
爽やかに寝れるですね
夜までね
橘玲持ってきちゃいけない
宵越しの橘玲は禁止です
本当に

器が大きい人を目指す

っていう風にしたらですね
この間から日が暮れたら
内田樹ってしたらですね
僕は生きやすくなりました
変な言い方ですけども
これ自己正当化かも分かんないですけども
人間の器って言葉あるじゃないすか
器が大きいとか器が小さいって
それは何かって言うと
信念がある人は器が小さいんですよで
信念がない人はじゃあ逆に器が大きいか
そうじゃないですよ
信念がある人は器が小さい
何でかって
許せないことがいっぱいあるから
じゃあ
許せることがいっぱいある人は
信念がないのかと
そうじゃなくて
矛盾する信念が強いですね
矛盾する信念がありながら
それを維持できる自分
っていうのがあるんですね
それは昼夜で切り替えてもいいですし
本音と建前って言ってもいいですけど
多分人間、本音と建前っていっても
そんな裏表の関係じゃないですね
自分が気弱な時には
こういう風に考えちゃうとかですね
人に優しくしたい時は
こういう風に考えちゃうみたいな
切り替えだと思うんですけども
僕は内田さんと橘さんの話を聞いて
そうか俺が行く道っていうのは
器を大きくするしかないんだなと思いました
自分の中に矛盾する考え方、価値観
っていうのがありながら
どれか一つを信じて楽をするではなくて
これを全て維持する
それ以外にも
自分が嫌いな人の考え方であっても
嫌いっていうのは
さっきも言ったように理解できるだから
それを保持したまま
しんどいけれど
できるだけ維持することしかできないんだな
という風に思いましたので
皆さんもですね
心の中にある岡田斗司夫をですね
ちょっと大事にしてやってくださいと


この文字起こしについて、
個人的に興味深いと感じた岡田斗司夫さんの動画を切り抜いて
文章化しております。
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  • ショート動画でまとめてみた↓

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