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先天性の病気を持つベビーを産んだ母の葛藤と決意

2023年3月、我が家に家族が増えました。
体重1,800gの小さな女の子。
先天性横隔膜ヘルニアと心室中隔欠損症という病気を抱えてこの世に誕生しました。


私の今の素直な気持ちを記録することが、おそらくこれから何度も悩み、立ち止まり、挫けるであろう未来の私にとって、何かヒントになるのではないかと思い、noteに残してみることにしました。

もし私と同じように、お腹の中で病気がわかったベビーがいるママがいらっしゃったら、境遇も病気の種類も、重症度も、そして家族の環境もそれぞれ違いますが、もし良かったら参考にしていただけたらと思います。


先天性の病気を持つベビーを産んだ母の葛藤と決意

正直、産まれてくるまで怖かった。

無事に生きて産まれてくるのか、
そして、それ以上に恐怖だったのは、
産まれた時に私はその子のことを愛おしいと思えるのだろうか、と。

一つ目の不安は、クリアできた。
そして、二つ目の不安は、産まれた姿を見た瞬間すべて消え去った。

あぁ、かわいい。長女に似てる。
守りたい。失いたくない。

普通に育つ子ではない、病気を持った子どもを持ったことに対して、様々な葛藤があるのは事実だけれど、今こうやって無事に生きてくれていることで、ようやく本気で、この子と一緒に生きていく決意をすることができたので、そのことを忘れないように、ゆっくりと、綴っていきたい。

葛藤その1
こんな人工的な方法でこの子は生きていると言えるのだろうか。

先天性横隔膜ヘルニアの影響で肺の発達が未熟なため、産まれてすぐに人工呼吸をしないと息が出来ず、死んでしまう。

なので、口はもちろん、鼻や手足などにたくさんのチューブがつながっている。周りには呼吸器や点滴、あらゆる薬をいれる管、注射器、様々な測定器、モニターなど仰々しい機械に囲まれている。そしてバタバタと動くと危険なので、薬で眠らされている。

平たくいうと、薬で眠らされ、呼吸器に合わせて呼吸をしている状態だ。

もしこれが、大人だったら…?
臓器は動いているけれど、意識はない状態。

今受けている治療は、すばらしく医療が発達したからできたこと。胎児期に病気が判明していたからできたこと。
10年前だったら、呼吸ができなくて産まれて間もなく死んでしまっていた命かもしれない。

元々病気を持って産まれてきたのに、ここまでして生かされることが、この子にとって本当に幸せなのだろうか。

こういうことを、面会でたくさんの機械に囲まれた我が子をみるたびにどうしても考えてしまう。
でも、葛藤したところで何にもならないことは頭ではわかっている。
だって、私がいくら悩んだところで、医療は「生かす」という方向にしか進まないのだから。今の最新の医療技術を駆使して、できることはすべてする。私が「かわいそうなのでもう処置をやめてください」ということは許されない。(事実、法的にも本当に許されない。)

ならばもう、このモヤモヤとした気持ちは蓋をしてしまおう。

この子は、我が家を選んで私のお腹に来てくれた。我が家を選んだということは、パパ、ママ、そしてお姉ちゃんと一緒に笑って楽しく過ごしたい!と思って来てくれたということ。
だから今は、家族四人楽しく笑って過ごせる日が来ることを医療の力を頼って、信じて、過ごしていこう。

(24時間体制、付きっきりでお世話をしてくださる先生方、看護師の皆さんには本当に頭が上がりません。ありがとうございます。)

葛藤その2
自分の気持ちをどのように整理して我が子にどう伝えるのか

病気を持った子に産んでしまってごめんね、と実は一瞬たりとも思ったことはない。

流産を経験された方や同じように胎児期に病気が見つかった方の文章などを読んでいると、自分を責めてしまいます、というようなものをよく目にするが、私はそれについてはとても違和感を感じる。
謝ってほしいのはこっちよ、と思う。

もちろん、妊娠中に喫煙した、お酒を飲みまくった、めちゃくちゃ無理をしたなどであれば自分を責めてもいいのかもしれないけれど
私は普通に過ごして、それなりに気を遣って生きていた。

妊娠は、「産まれてくる子どもに10ヶ月間お腹を貸すこと」だと思っている。だからその子どもに病気があったとしても、それは私が原因なのではなく、私のお腹を貸したのが、たまたまそういう子どもだった、だけの話だ。

そういう考えだから、自分のことは責めなくても、子どものことを恨みそうになったことは、正直何度かある。
言うまでもないけれど、決して病気を持っているこの子が悪いわけではない。

こんな、もしかしたら母としてどうなの、と批判されそうな心を持つ私でも、不安に思っていることがひとつある。

この子はまだ産まれたてほやほやの赤ちゃん。だから、どんな怖い治療をされようが、何もわからない。「入院したくない!」「注射が嫌だ!」と思う赤ちゃんはいない。

でも1歳になったらどうだろう。
この子は1歳前後で心臓の手術を予定している。その頃には、それなりに意志もあり、言葉も少しずつ話せるようになっているだろう。きっと、病院という家とは違う環境のことも、しばらく家族と離れなくてはいけないこともわかるだろう。
そのときに、私は「病気のある子に産んでごめんね」と言ってしまわないだろうか。

病気になったことは誰も悪くない。
でも病気であることは逃れようのない事実。
そして生きるためには治療が必要。

だから私は我が子に、こう伝えよう。
「あなたは選ばれた子なんだよ」
「パパやママや周りの人にたくさんの希望を与えられる力を持っているんだよ」

葛藤その3
これからの生活をどうしていくのか。

これが最も現実的かつ重大で、本気で考えてなければならないこと。
そしておそらくこれから多くの壁にぶち当たるのだろうなと思っていること。
(行政の制度的なものや、具体的に直面した課題などは、追々またnoteにまとめていきたいと思います)

二人目を授かって喜んでいた日々。そのときに思い描いていた未来の日常は、病気が発覚するごとに、音もなくスッと消えていってしまった。

当初は夫と二人で1年間の育休を取得し、新生児の育児を堪能するとともに、上の子との時間も満喫するつもりだった。
落ち着いたら家族四人で旅に出て、今しかできない貴重な経験をたくさんしたいね、とも話していた。

家の近くの病院で産むから妊婦健診は私一人でもいける、里帰りはしない、何か起こってもすぐに病院へ駆けつけられる、はずだった。
心室中隔欠損症が見つかり、転院を言い渡されるまでは。

来年の4月にはお姉ちゃんと一緒に保育園に入園して私は仕事に復帰する、当然にそう思っていたけれど、1歳頃に心臓の手術をする可能性があると告げられて、当たり前は簡単に当たり前ではなくなった。

予定帝王切開だから、痛みは経験しなくて済むはず。背中にちくっと針が刺されたら終わり。そう思っていた出産までもが、手術予定日の一週間前の陣痛発来により予定が狂った。

おそらく、これから先しばらくも、いつ何が起こってもおかしくない、誰にも予想できない未来が待ち受けている。

しばらく続く入院生活、退院後のケア、病状が落ち着いたとしても常につきまとうであろう健康への不安、耐えなければならない心労を思うと、苦しくなる。

でもきっと、この子をきっかけに家族の在り方を見直せば、家族みんなが今よりもっと幸せに生きられる方法があるはず。

私は元々、上の子が小学生になるまでにはフルリモートで働きたいと思っていた。そのための準備も少しずつしていた。この子のおかげで、その理想の働き方を前倒しで実現できるかもしれない。

パパも、今よりももっとやりたいことに近づける道が開けるかもしれない。

お姉ちゃんも、今までの生活では経験できなかったこと、出会えなかった人に、たくさん巡り会えるかもしれない。

病院へ通う日々が続くと思うけれど、それをきっかけに、家族みんながもっとhappyに毎日を笑って楽しく生きられる道を、探していこう。

さいごに

帝王切開後の入院中、病室で悶々と考えていたことが、やっと言葉にまとまった。
今まではICUに入院中の次女に声をかけることが出来なかった。口を開けると涙が溢れてきたから。
でもこうやって自分の気持ちをまとめたことで、今日やっと、笑顔で名前を呼んで一番伝えたかったことを伝えることができたよ。


産まれてきてくれてありがとう。






最後まで読んでいただきありがとうございます。
病気発覚から出産まではこちらの記事にまとめています。

自分の記録用ですが、もしご興味のある方いらっしゃいましたら読んでいただけると嬉しいです。

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