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「その話、ここでされるの、不快です」

5月10日、金曜日。朝のテレビでは「男とか女とか、服装とか、関係ない世界で一番になりたい。そんな世界を作っていきましょうよ」と寅ちゃんが現状に怒りを込めて論じていたけれど、私はその前日からちょっとモヤモヤしていた。

夕方近く、年に数度の大切な機会である作品展をしているギャラリーに「見せてください」と言って入ってきた老年男性。
「いやぁ、すごいなぁ、女の人は」「この頃は活躍しているのは女の人ばかりだ」と女性を持ち上げる発言を10連発。この C市でもサーフィンで活躍している女子がいるらしく、その方が幼い頃から知っているという自慢めいた話も続く。で。

「それはそうと」
小さかった女の子が大きくなると見違えてしまって、誰だかわからない。
小学生でも高学年になるとお化粧をしてるんですかね?まつ毛がうんと長くてカールしている子がいる。脚がみんな長くて、そのお母さんは日本人体型なので、遺伝子ではなく生活様式の違いなのだろうか、とにかく長くてきれいだ。見惚れてしまう。
高校生は、特に近所のN高校の女生徒はみんなスカートが短い。あんな短いスカートは売っていないだろうと、そのお母さんに聞いてみたところ、自分で短くしてしまうか、直しに出して短くしてもらってしまうらしい。とにかく短いんですよ。

私は初老の婦人である。死んだ魚の目をして「はあ」「そーですかねー」と済ませていたのだが、だんだん気持ちが悪くなってきた。
いや、そもそも私の作品を展示している場所で(私が場所代をお支払いする)見せてくださいと言って入ってきて、ろくに見もせず(すごいなぁという前にざっと見渡したが)話し始めるこの野郎は誰だよ。
活躍しているのは女性ばかりかよ。政治の場にも大企業の役員の場にも女性ばかりかよ。PTAとか、町内会はどうだ?ちょっと持ち上げておいて、その後の話は女性を完全に性的対象としてしか見ていない。いや、見過ぎ。小学生やら高校生やら、どれくらいねっとりと観察しているんだか、この野郎は。

男性の、特に老年男性のこういう態度は初めてではない。
少し前、この年代の男性の友人がSNSで若い頃の女性関係の話を披露していたときにも同じような不快感があった。彼は魅力的な人であるし、尊敬もしている。しかし自分と女性との関係をSNS、つまり社交的電信網に公開してしまうという愚を犯すのだ。そして、内容は、ずいぶんオープンだな、という呆れた感想を持つだけでは済まなかった。女性との付き合いの流儀にかつてのお盛んだった頃の自慢が入る。金銭のやり取りを含む自嘲も彼の個性と味わいの一つである。だがしかし、そこに女性観や女性との関係性に対する感覚が見えてしまい、私はげげげっとなってしまった。まぁ、端的に言うと吐き気です。
彼は多分、朝の連続テレビ小説の寅ちゃんみたいに「男とか女とか、関係ない!」という人であるのだ、実際。
でも、それを男性が言うときは女性が言うのとは明らかに違う。平安時代から連綿と続いてきた女性の苦しさは視野に入っていない。全く机上のお話。彼は政治的にも民主主義的な立場をとっている。違うのは立ち位置だ。
それが年取った彼の視野の限界として現れてしまっている。ああ、残念、彼はこのまま行っちゃうのかなぁと、ちょっと悲しく思った。
さらに、もう少し年若い(とは言え還暦近くの)男性の友人がその彼に同調している。いわゆるボーイズクラブ。女性とのやり取りをちょっと自慢するみたいなやつ。まるで釣果みたいに。女性の友人の視線を全く配慮していない。

ふと、本当に必要な人がいる緊急避妊薬にいまだに医師の処方が必要なのに、バイアグラはさっさと解禁されたことを思い出してしまう。社会は男が仕切ってるよ、依然と。
自分が履いている下駄の高さには気づかないのは男性だけじゃないけれど、やっぱり私たち女性がスルースキルを活用しすぎているのかも知れない、とも思う。
死神みたいな偉そうな元総理大臣が言うように「弁えている」わけではない。
反論するのは自分が同じ地平に立つことになるから、屈辱感がある。面倒でもある。だが、相手は平等とは何かを問い続けた経験のほとんどない人々なのだ。この分野では未熟な人々だと思えば、敢えて「その話、ここでされるの、不快です」
って、言ったらよかったのかも知れない。
言おうかな、今度から。

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