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クラシアン的なもの、ミックスナッツ的なやつ、その表象

洗濯機の排水に不具合、「ではさっそくクラシアン的なところに相談するか」と少しインターネットで複数の業者を比較検討し、ぜんぜん違いがわからなくなり、結局クラシアンに電話。

言語学者のソシュール(1857-1913)は、「このシニフィアンの一見して無為な二重構造は「ミックスナッツ的なやつあります?」とバーで尋ねると、まぎれもないミックスナッツが出てくるのと同じ構造である」と指摘した。

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言語学の祖、ソシュール

この「クラシアン的なもの」と「ミックスナッツ的なやつ」の間にはしかし、見逃せない重大な差異がある。クラシアンという固有名詞は、凡庸で覚えやすい、機能的でしかない歌を交えた広報戦略等が功を奏し、いわゆる「水まわり110番的なもの」の代名詞となっており(森末慎二の代名詞にすらなってしまう可能性もあるが、ここではその可能性には触れない)、その背後にある無数の「水まわり110番的なもの」を凌駕して代表する。一方で、ミックスナッツの背後に無数の競合としての「ミックスナッツ的なもの」が想定されているわけではない。念のため、ここでは「ミックスナッツ的なもの」にジャイアントコーンが入っているか否か、などの差異はいったん問題としない。ここで注意したいのは、クラシアンが単独企業の広報戦略の結果としての「固有名詞の代名詞化」であるのに対して、ミックスナッツは日本におけるバーひいては外食の産業文化に起因する「一般名詞の代名詞化」であることだ。

「ミックスナッツ的なやつ」の場合、混合種実類、という意味の英語がカタカナになり(本来ミクストナッツあるいはアソーテッドナッツでは、という議論はここではしない。外来語のカタカナ化についてのルール形成と歴史については別の機会に触れたい)日本に輸入された洋酒やバー文化史の流れのなかでフードメニューの最初のページに掲載され、徐々に外食産業内のテクニカルタームとして汎用化していったという事実がある。

この用語法に大きい影響を与えているより重要なもうひとつの要素は、「ミックスナッツ的なやつ」と注文をするとき、われわれは本来の意味で、実際に"いろいろな種類の種実類"を所望しているわけではない、という認識の表出である。

"ナッツの盛り合わせ"でも、アーモンドとカシューナッツだけだったとしても、チーズと枝付きレーズンとセットだったとしても、更にはさきいかと柿の種でも問題はないし、"ミックスナッツ"がないからといってわれわれは絶望しない。1軒目で麺飯類で〆た直後のため満腹なので、軽くて安価で、塩味の効いたものを酒に合わせたいという希望を表現するための「ミックスナッツ的なやつ」なのである。

どちらも同一の構造で、ある選択を表してはいるものの、「クラシアン的なもの」は、クラシアンがベストではないかもしれない(が、無数の競合と比較するのは大変そう)、つまり選択の収斂への諦念を表す代名詞なのに対し、「ミックスナッツ的なやつ」は、ミックスナッツじゃないかもしれない(が、正直なところ柿ピーでも問題ない)、つまり選択の拡張への諦念を表す代名詞なのである。

(洗濯機の排水は直りました)

(2年前のFacebookでの投稿に加筆いたしました)

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