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とりあえずあの世は無かったけど死ぬことへの恐怖を抱かなくなっ

高校3年生のときに父方の祖父が亡くなった。

年齢的にも、比較的長い入院生活の末に亡くなったことからも穏やかな雰囲気の葬儀だったと記憶している。

その最中に父が言ったこの一言が長い間わたしを苦しめることになった。
「人間みんないつかは死ぬからな。違いは早いか遅いかだけや。」

もちろんごくごく当たり前のことを父は言っただけなのだが、高校生のわたしにとっては本当に息が止まるくらい衝撃的な一言だった。

もちろんいつか死ぬことを知らなかったわけではないけれど、遊びに音楽に片思いに忙しい当時のわたしはそんなこと考えたことがなかったし、それまでのわたしはそんな事を考えるにはあまりにも若かった。 

まさに地獄のような日々が始まったのはその日の夜からだ。布団に入り目をつぶると(そうか俺もいつか死ぬんだな・・・必ずいつか死ぬ・・・死んだらどうなる・・・すべてが無になる・・・ずっと無ってこと?・・・何億年たっても・・・)そして恐怖に耐えきれず起き上がり声にならない唸りを上げる。

これは所謂「死恐怖症(タナトフォビア)」という恐怖症の一種らしいと知ったのはずいぶん後のことで、インターネットが普及してからのことだ。

それから就職、結婚、子育てと人生のステージが変わっても影のように付きまとう死への恐怖。その影は昼間はいっさい顔を出さない。
ただ、夜寝る前になると、わたしに横にそっと添い寝をするように忍びよる。数えきれない夜を過ごしても、その恐怖が和らぐことはなかった。

この恐怖に唯一救いがあるとすれば、あの世、天国、地獄、虹の橋なんでもいいから死が次の世界への扉であることだけが希望だった。

そのわたしの人生を恐怖の底に叩き落した衝撃の一言から30年、わたしはすっかり確実に中年と呼ばれる年になった。

40代になった私は自身の学歴にしては満足な仕事を与えられ、夫婦仲もおおむね円満、子どもたちはよく笑い、傍から見れば順風満帆、低く見積もっても85点は付けられる人生を過ごしていた。
このまま何事もなく、年を重ね子どもが結婚し、孫が生まれ、そしていよいよその時を待つ。そんな未来が私にはおぼろげながらだが、確かにに見えていた。

そんな凪の人生に恐怖の大魔王が訪れることになろうとは。

2019年と2020年は私にとって「死」が身近なものとなる。

まず2019年の夏に母が亡くなった。

多くの人にとって母は特別な存在だ。少なくとも私にとってはそうだ。正直に言って父とは違う。母はすべての源であり、はじまりである。

幼き頃から裕福に育った母は、幼き頃から貧しかった父となぜか出会い、私をおなかに宿し、生み落とし、乳をあたえ、本を読み聞かせ、臥せるときは看病し、勉強しないと涙をながし、就職を喜び、結婚を反対し、孫の誕生を大いに喜び、そして子供と孫の成長をそこそこ見届けて逝ってしまった。平均寿命より10年も早い別れだった。

母の死は突然にやってきた。そのことからも母の死は大きな喪失感をもたらした。もちろん親孝行もしていないし、母ともっと話がしたいと思った時には母の意識は既にほとんどなかった。

母の死に直面し思った。
これまでの人生は結局のところ母に褒めてもらうためであったのではないか。
よく勉強ができたね。
いい会社に勤めたね。
良い人をお嫁さんにもらったね。
かわいい孫だね・・・自分の幸せとしての幸福は確かに存在したが、もう一方でどこか母に褒められることを期待している自分がいたことに気づいた。

それなのに、これからは何をしても褒められない。どんなに誇らしいことがあっても、もちろん深い悲しみあっても母に伝えることができないのだ。

本当に子供じみていて、マザコンと呼ばれる類のことかもしれない。
でも本当に「褒められない」その喪失感は非常に大きかった。

ただ、身近なものの死を経験したからなのか、自分の死への恐怖は少し収まっていった。自分も死ねば母に会えると思うことで「死」を恐怖だけでないものに変えていったのだと思う。
そんなことばかり考えているうちに、わたしは自分でも気づかないうちに軽い鬱状態に陥っていったのだと思う。

母の死から約1年後の2020年夏のことである。母に二度と会えない悲しみと日常のストレスが日ごとに体を蝕んでいったのだろうか。いつものように仕事を終えて家に帰った私は突然の胸痛と吐き気に襲われた。1時間ぐらいもだえ苦しんだだろうか、妻に救急車を呼ぶよう伝えたところで意識が途絶えた。次に意識が戻ったのは救急病院のオペ室だった。心筋梗塞であった。

病気の詳細については話が逸れるので割愛するが、救急隊員が到着したときには心肺停止しており、迅速な心肺蘇生により回復とのことであった。(本当に本当にありがとうございます。)

つまり、わたしはあの恐れ慄いていた「死」をとうとう体験したのだ。体験してしまったのだ。後から聞いた時間の経過を考えると数分、それも5分以内のことのようだが、でも確実にわたしの心臓は鼓動をやめて、わたしの意識はひとときなくなった。

これは医学的に「死」ではないのだろうけど、私にとっては紛れもない「死」であった。これまで恐れ慄いていた「死」に出会ったのだ。ただ、そこには走馬灯もなく、三途の川もなく、お花畑も、天使も鬼も閻魔様も、もちろん母もいなくて、ただただ無があるだけだった。オペ室で目を覚ましたとき、それは完全なる無からの目覚めだった。残念なことに。

でも、でもである、あれから2年の月日がたったけれど、今思い返してもあの時感じた「無」は、何十年も恐れおののいて、冷たくてどこまでも暗い「無」ではなくて、おおきな風船のうえで大きく手と足を広げて大の字になって、ぐっすりと寝ているような、なんだかそんな感覚だった。言葉では上手く言えないけれど、それは「冷」ではなくて「温」で、「陰」ではて「陽」であった。

タイトルにある「死に恐怖を抱かなくなった」は少しいいすぎとしても、2つの死を経験したことで、今のところ、本当にずいぶんとあの恐怖から逃れることができている。そして何より今を生きていることの大切さに気付かせてもらった気がする。

母は自らの死によっても私に大きな何かをもたらしてくれた。
母はいくつになっても母であり、息子はいつまでもで息子である。

この話はこれで終わりです。
物語にもならず、何かの役に立つ話でもないけれど、わたしはどうしてこの出来事を何かに残す必要があったのだと思います。わたしが確実にこの世界で生きていることの証に。誰にも読まれないとしても。これはほんとうに衝動に近いもので、自分でもなぜだかわかりません。でも書くことで何かが整理されて、収まるべきところに収まる気がします。

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