コーヒーを入れる。
今日はけっこうあったかい。この時期にしては暑いくらいではないだろうか。最高気温は25度。部屋は28度だ。いや、ふつうに暑いやろ。
昨日から豆を挽いてコーヒーを入れている。先日夫の実家に行った際に貰ったものだ。なんだか上等な豆ぽい。焙煎され、しっとりと油で覆われた豆を朝からゴリゴリと挽く。コーヒーミルは以前行きつけだったカフェのマスターから移転の際に貰ったもの。鉄製のミル本体とハンドル、土台と挽いたコーヒーの粉末が入る引き出し部分は木製という作りだ。そのレトロ感ある見た目通りハンドルの回りは良くなく、挽く際もガタガタと揺れて安定しない。が、それもまた楽しい。ゴリゴリゴリゴリいいにおいがしてくる。
正直ドリップの仕方はよく分かっていない。ドリッパーの逆三角形ぽいやつに下部と横を前後に折り込んだ紙フィルターをセットし、挽いたコーヒーの粉末を入れお湯をかけ抽出された液体がコーヒーということくらいしか分からない。ふだんから毎朝ドリッパーでコーヒを入れているのだが、よく分からないなと思いながら入れている。(ちなみにふだん飲んでいるのはスーパーで買った安価なもので、すでに粉末になっているタイプだ。)いつも入れながらこれでいいのだろうかという不安感を常に持っている。
まず、コーヒーに対してお湯の量がよく分かっていない。コーヒーの表面を濡らすだけなのか、もうちょっと注ぐのか、垂れるくらいなのか、ジョボジョボに注ぐのか。
先日夫の母親に全体が濡れるけど垂れない程度に、と手ほどきをうけた。さっそくそれを試してみる。この状態から20秒じっと待ち、コーヒーを蒸らすらしい。
コーヒーの入れ方にはいろいろあるらしく、こうでないと!という明確なルールはないようだ。本屋でコーヒーの入れ方の本を読むとどれも微妙に違うことを言っていて、どの方法を信じればいいのか分からない。人による、と言われればそれまでなのだが。蒸らす時間を50秒以上にしている人もいた。何が違うのだろう。50秒のうちに冷めたりしないのだろうかとなんとなく心配になる。
20秒たったのでお湯を注ぎ入れる。義母を信じるのだ。
ある本には
お湯を注ぐときは"の"の時を書くように入れ、そのあと"逆の"の字を書き、コーヒーの上部の盛り上がりが少し凹んだところでまた同じように"の"の字の工程を繰り返す
と、あった。
だがどこかの喫茶に行った時はひたすら真ん中に少量ずつ、ジョボっジョボボっと注いでは凹ませ注いては凹ませを繰り返していた。別のところでは同じような工程を経たあと最後にドリッパー満杯に湯を注ぎ入れてひたすら液体が落ちるのを待っていた。
フィルターに直接湯をかけないように!というのもあった。それをやると液体が早く落ちてしまうらしい。そういうものなのかと納得したようなしてないような気持ちで読んだ。
そんな理由で人がコーヒーを入れるのを見るたびハラハラしてしまうのだが、どれも美味しいのですごいなと感心する。豆の種類とか状態とかなにかいろいろあるのだと思う。たぶん。
自分の注ぎ方はなんとなく"の"にしてみたり、ちびちびジョボジョボ形式にしたりと安定していない。なんとなく見た目と気分で行っている。コーヒーの真ん中がもこもこと膨らんだ日はいい日ということにしている。下手なのか安めのやつだからか、だいたいは膨らまない。その理屈でいうとだいたいはいい日ではないのか。
夫のぶんと私のぶん。朝と昼の二回飲むので4杯ぶんなので4のメモリのところまで入れる。コーヒーの黒い汁が到達したところでドリッパーの三角を外し、そそくさと台所のシンクの中にフィルターごとコーヒーのカスを捨てる。そのあと夫が2つのカップに注ぎ入れ、カフェラテの泡立てたやつを流し込んだら完成だ。
(ちなみにカフェラテの泡は夫が作っている。私が以前陶芸で作った丸いカップにあたためた牛乳を入れ、泡だて器で手動で火をおこすかの如く回転させ無理やり泡を作る。何をしてるんだと毎回ツッコミを入れたくなるが、がんばっているし拘りも持っているのでじっと見守る姿勢でいる。)
コーヒーはおいしい。飲むことでシャッキリしたり、安心したり、気分の切り替えにも良い。以前不安障害になったときはカフェインを控えていたが、今は自分の心身の状態をみながら一日のコーヒーの量を調整するかたちで楽しんでいる。
上等のコーヒー豆はまだたくさんある。明日も楽しみがあると思うとうれしくなる。