介護老人保健施設 支援相談員(新卒〜7年目)

大学卒業後に新卒入社したのが介護老人保健施設(以下老健)の支援相談員(以下相談員)

就職したきっかけは『大学時代』を参照していただくとして、入職から退職を決意したお話。

初めての職場は私の人生・仕事観・社会人として全てを学んだ場所でした。
まず入職後。今まで勉強もソフトもある程度努力して、割りとなんでもできてきた私は社会の壁、仕事の壁にすぐぶち当たりました。まず、『言われてることがわからない→すぐ忘れる→怒られる→何を怒られてるかわからない→失敗する→言われてることがわからない…』の繰り返し。夜はぐっすり眠れるけど、食事より睡眠欲が強すぎて半年で10キロ減。
折れそうな私を救ってくれたのは、当時の主任と先輩(時期課長)でした。
主任は私にまずやらせて、失敗したら仕事でも精神的にも全力でフォローしてくれました。こんな相談員になりたいって思った人です。
先輩は元々先輩の仕事を全部引き継いだので何回も何回もできの悪い私のために時間をとって教えてくれ、迷惑かけた事務さんやケアマネさんに全力で謝ってくれました。
感謝しても仕切れない2人です。2人とも本当に忙しかったはずなのに、嫌な顔せず守ってくれました。
怒られて怒られて怒られながらも1年が経つと、なんとなく仕事がわかってきて2年目からやっと形になりました(私の感覚では3年目だけど周りは2年目から大丈夫だったと言ってくれました笑)

そんな中新人時代に、あるケアマネさんに言われた言葉『他の人の言うことはわかった。じゃぁあなたはどう思うの?私はこう思うって意見がないとただの伝える人でしょ』と。それから、『私は◯◯だと思います』と言うようになりました。この言葉をかけられ、自分で咀嚼できたことはその後の私にとって本当に大きかったです。自分の意見を持つことの重要性を学びました。
そして忘れられない利用者にもたくさん会いました。困ってることはすごく伝わるのに経験がない私はどうしていいかわからない。こんなに自分の無力さを感じ泣いたのは初めてでした。それも1回や2回ではなく…。こんな経験を通して私の仕事観は養われたと思ってます。

そして実習指導の立場になったり、後輩が増えたり少しずつ人に教える立場になりました。人に教えることで自分の行動を言語化し振り返れたのはすごく大きかったです。
それと後輩には、自分が助けられた分次は私が助ける番と思い、全力で怒って、全力で守ってきました。まっすぐ育ってくれた後輩たちも私の誇りです。

そんな中で少しずつ芽生えてた『現場を経験したい』思い。相談員は言葉で伝えたり利用者・家族・他職種との調整をはかるのが仕事。だけど、現場にいないとわからないリアルな利用者の状況や家族が介護で困ってることへの助言、そして利用者と関わりたい思いが強くなり退職を決意したのでした。

長くなってしまったので今回はここまでにします。次回は退職を決意したのに戻ったこと、戻ってから退職するまでを書きたいと思います。

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