ひろみ

11年老健の支援相談員・ケアマネを兼務し、昨年より介護職として働いてます。ゆくゆくは保…

ひろみ

11年老健の支援相談員・ケアマネを兼務し、昨年より介護職として働いてます。ゆくゆくは保育園と高齢者デイサービスが併設された世代間交流施設を立ち上げようと、考えてる最中です。また、西野亮廣エンタメ研究所に所属?してます。福祉職の方とも繋がれたら光栄です。よろしくお願いします!!

最近の記事

介護老人保健施設 支援相談員(8年目〜退職)

前回のつづき。 『現場に行こう』と思った私は、当時実習生の大学4年生がここで働きたいと言ってたのを知ってたので、この子が後釜なら大丈夫と思い、課長に退職の意向を告げました。全力で引き留めてもらえ(一瞬揺らいだ)、こんなに必要とされてたんだと実感し本当に嬉しかった。でも気持ちは変わらず有給消化へ。 有給中、まさかの法人に激震が走り、事務・相談課も退職者や異動が続出してると連絡。相談課の状況的に一人抜けるだけでひっちゃかめっちゃかになるのをわかってたので、有給返上で手伝いに行くこ

    • 介護老人保健施設 支援相談員(新卒〜7年目)

      大学卒業後に新卒入社したのが介護老人保健施設(以下老健)の支援相談員(以下相談員) 就職したきっかけは『大学時代』を参照していただくとして、入職から退職を決意したお話。 初めての職場は私の人生・仕事観・社会人として全てを学んだ場所でした。 まず入職後。今まで勉強もソフトもある程度努力して、割りとなんでもできてきた私は社会の壁、仕事の壁にすぐぶち当たりました。まず、『言われてることがわからない→すぐ忘れる→怒られる→何を怒られてるかわからない→失敗する→言われてることがわか

      • 社会人ソフトボール

        私の中でとっても良い経験をさせてもらった社会人ソフトボールについて。 釧路から札幌に出てきて、大学生活とほぼ同時に始まった社会人ソフト(入部の経緯は大学時代編にて) 高校時代の最高成績は全道ベスト8、3年間キャッチャーだった私は、このチームで出会った人が本当にプロに思えた。ピッチャーの投げる球の速さや球種、打球の速さや飛距離、足の速さ、戦術、サインプレーなどなど全てにおいて新鮮だった。私が入部した年はちょうど『今年こそ全国へ!!』となってた時期で(当時は全く知らなかった…)、

        • ばぁちゃんの死

          ばぁちゃんは元々体が弱く、小さかった私は何の病気かわからなかったけど、恐らく『膠原病』だったと思う。いつも両手指に薬を塗ったり、飲んだりしていた。でも、寝込むことは全くなくて、いつもニコニコ、怒られた記憶が全くない。 そんなばぁちゃんが大好きで、豆や野菜、いちごを育てたり、昼ご飯を一緒に作ったり、クレープを作ったり、キーホルダーを作ったり押し花を作ったり…とにかくばぁちゃんと一緒に何かすることが好きだった。 そして中学か高校の時、ばぁちゃんの部屋が居間の奥から横に移った。ヨタ

        介護老人保健施設 支援相談員(8年目〜退職)

          大学時代

          高校卒業後、札幌で念願の一人暮らし。慣れない土地で初めての一人暮らしは戸惑いが大きかったけど、ホームシックにならず1週間かからないで快適になりました(図太い性格なんです) そして大学生活は手話サークルに入部。大正解。当時『オレンジデイズ』が流行っててすごい人数が入部しましたが、私は純粋に手話を習ってみたい理由でした。ただ、今まで運動部の経験しかなく、文化部に体育会系のノリを感じてなかったので、まぁ手話が学べるなら…と軽い気持ちでしたが、そこで出会った仲間が今でも大事な人たち

          大学時代

          幼少期から高校時代

          これから事業所を立ち上げるにあたり、『私はこんな人です』を説明する1つの手段として記事を書いてみることにしました。 私は釧路市の隣に位置する田舎町で長女(2個下の弟がいます)として生まれました。 両親が共働きだったので、母方の祖父母宅で過ごすことが多く、自然とばぁちゃん子に育ちました。ばぁちゃんが大好きで、ばぁちゃんの近所のお友達とも仲良かった程(笑) ばぁちゃんが保育園に迎えに来てくれて一緒に帰ったことや近所にいた大きい犬(ゴン太)に餌をあげたことはうっすら記憶にある程で

          幼少期から高校時代

          はじめまして

          初めての投稿です。 皆さんの記事を拝見して、学びにさせていただきます。 よろしくお願いします!!

          はじめまして