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ジブンクーロンの萌芽

「カオスの25年」の補稿です:

「クーロン」リリース当時、プレステソフトは音楽流通にも載っていた。そして耳にした話──東京・銀座の山野楽器で「クーロン」がゲームソフトとしては異例の売れ行きだったということ。
銀座・山野楽器といえばクラシックや吹奏楽で音楽に親しんできた人が中心ユーザーだ。一般向けにCD販売も行うが、当時はオフコースやユーミンの新譜などメインストリーム系のユーザーが多い印象だ。そこでなぜ「クーロン」が──?

リリース後、ほどなくして届いた一通の手紙で謎が解けた。便箋5枚にびっしり手書きでしたためられていた手紙──送り主は外資系キャリア(航空会社)でグラウンドスタッフを務められている方だった。
レコード店(山野楽器ではない)で「クーロン」を見つけ、逡巡した後、プレステ本体ごと購入したという。そして有休含めて5日間、どっぷりハマり、その熱の冷めないうちにと筆を取ったそうだ。
※冒頭写真はそのお手紙、今でも宝物のように保管している

その方いわく、日々、冷蔵庫を担いでチェックインしようとするベトナム人マレー語全く話せないマレー人(どうやって入国したんだ!?)という連中と接しているので、「クーロン」で彷徨うアジアのディープな路地裏にすっかり引きずり込まれたとのことだった。
おそらくプレステ本体は「クーロン」専用機と化していることだろう──

自分の中のクーロン的世界観──つまりは「ジブンクーロン」は、ゲームによって焚きつけられたことで生じることが多いようだが、その方のように、最初から「クーロン」的な引き出しを持つ人もそれなりに多かったということだ。
この引き出しに敢えて名を付けるなら「カオスの引き出し」である。
カオスは邪念や妄念にとっては居心地の良い場所、いわば心に怪物を棲まわせるに等しいので、その持ち主はしっかりと鍵をかける。
「クーロン」はそんな引き出しの鍵を開けて回ったわけだ。

サブカルの世界に首まで浸かっている人にすれば、カオスの引き出しは開けっ放しだ。
25年以上昔の開発当時、カオスの引き出しを全開にしていたのが、よく取材で接したゲーム雑誌の編集者やライターたちだった。彼らは引き出しの中にジブンなりの九龍城を作り出し、どんどん増殖させていった。
「クーロンズ、いいですね!」──まだリリースもしていないのに!
そういうサブカル系の人ならいざ知らず、山野楽器などのユーザーはしっかりカオスの引き出しに施錠する。そして密かに開けたり閉めたりしていたのではないか──

また「クーロン」のゲームらしくない佇まいも、結果としてゲームとは縁遠い「引き出しキャリア」な人たちのハードルを下げたようでもある。
「ジブンクーロン」の備えがあれば、JPEGダンジョンの路地裏をうろつきまわることがゲームの手段ではなく、それ自体が目的化したプレイスタイルも可能になるからだ。
ゲームを起動した瞬間に目的に迫れる。経験値を獲得してのレベルアップも不要、強力な武器装備の入手も不要──ただ路地裏を彷徨うだけでジブンクーロンがどんどんと深まる。
クーロンとは、ユーザー側に存在していたリソースありきのコンテンツであったということだろう。
与えるより奪う」──思えばこれこそがクーロンの身上なのである。


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