ゴミはゴミ箱に、ゴミ箱はもう使っていないけど

 ハートウォーミングな話が好きなんだと思う。やさしさを押しつけない、やさしいおはなし。やさしさは人を傷つける。だから、なるべく人を傷つけまいとする繊細なやさしさが好きだ。そして、傷つけることを厭わない、豪快なやさしさが好きだ。とにかく、プラスチックでできた、しかも薄いビニールでできたやさしさが嫌いなのだ。
 やさしい人になりたかった。でも、その「やさしい」という概念がわからない。なにもかもが薄っぺらく思えてしまう。たぶん、何もしない、何も言わないということが、それ自体で「やさしさ」なんだと思う。だけど、沈黙は「見ないふり」という邪悪さを兼ねている。好きの反対は無関心であるらしいし、無視が1番辛いんだって聞いたことがある。そもそも、やさしい行動をとれる人が僕は好きだし、やさしくない人間が何よりも嫌いだ。そして僕はやさしくない。
 だから、やさしい物語なんて作れないのだ。僕が読みたいのはそれなのに。だけど、どれがやさしさかわからないから、やさしい行動を選べない。それに、やさしくない人間が考えたやさしい行動という事実が、そのやさしさを偽物にしてしまう。そしてそれが、自分にちょっとだけ嫌悪感を抱かせる。苦しいとも悲しいとも言えない、なんとも言えないやつ。たぶん、1番近いのは「寂しい」だ。
 本当に作りたいものは、作れない。自分が聞きたいもの、自分が読みたいものを作ることができない。それが本当に、悔しくて悲しい。強いられているわけではない。社会に縛られているわけでもない。能力に縛られているのだ。自分が産み出すメロディも、自分が吐き出す言葉も、自分の声も、歌い方も、話し方も、言いたいことを言えないことも、自身のなさも、人との関わり方もその全てが嫌いだし、やさしさなんて永遠にわかんないし、正しさも、何もかもがわからない。コンプレックスだらけだ。コンプレックスがチャームポイントに変わる瞬間は、本当に来るのだろうか。これから、根本的に好きと嫌いが入れ変わることなんてあるのだろうか。自分が嫌いなものを作るというのは、苦痛でしかない。
 今まで何十回もライブハウスのステージに立ってきたけれど、1度も純粋に楽しかったと思えたことはない。ライブはいつだって苦しいものだし、悔しいものだ。それは、練習不足への悔いだったり、やりきれなかったことへの悔いだったり、モチベーションが上がりきらなかったとか、そういう完璧にステージを作れなかったという後悔からくる感情だ。でも、1番苦しくて悔しいのは、空気が変わらないことだ。ステージに立つといろんなことがわかる。感情が動いたこととか、逆に感情が微動だにしてないこととか、本当に楽しんでくれてるなとか、なんとか盛り上げようとしてくれてるんだなとか、早くおわんねーかなって思ってることとか。そういったことの中に、空気が変わる瞬間というのがある。僕はその中で、空気が急に冷たくなる瞬間、空気がサッと引く瞬間は何度も味わった。でも、もっとポジティブなもの、例えば、感動的な空気だったり、深く沈み込んでいく空気だったり、あるいは観客がノっている、叫んでいる空気だったり、そういったものは作り出すことができなかった。それでも音楽を続けているのはきっと、そういうイデア的なものが存在することを信じているからだろう。イデアなのに、それが出来るって信じてしまっている。だって観客として味わってしまったから。でも、僕にはリスナーでありたくないという、くだらないこだわりがある。だから、出来もしない「夢」に縋りついてしまう。夢を与えるって罪だと思う。
 夢を与えるということは、おこがましいことであるらしい。今日読んだ、綿矢りさの『夢を与える』に書いてあった。農家は米を与える仕事ではない、同様に自らを与える仕事と称する仕事は何一つない。それなのに、芸能の仕事だけ夢を「与える」と自称するなんておこがましい、という理論だ。だが、そのおこがましさに気づかず、「お前のためだ」とか偉そうに歌うバンドマンが、この世の中にはたくさんいる。そうなりたいとは思わないけど、少し羨ましいと思う。たぶん彼らは向いているのだ。おこがましいけれど、でもそれで本当に救われている人がいる。けれども、そのおこがましさに気づいてしまったら、他の人のために歌えなくなる。そうすると、客を呼んで金をとること自体が不誠実になるし、自分のために歌うしかなくなる。でも、自分のために歌いたいことなんて本当はそんなにない。だって音楽をやるということは苦しいことだから。そうやって音楽をやめてしまうと、誰も救うことができない。続けても、誰も救えないけれど。
 苦しい、辛い、悔しい、おこがましくありたくない、誠実でありたい、何をすればいいのかわからない、やめてしまいたい。だったらやめてしまえばいいのだ。誰に求められているわけでもないし、誰に迷惑をかけるわけでもない。やりたいからやっている。やめたいならやめればいい。それでも、止まることを知らない衝動と、承認欲求と、イデアへの渇望が溢れ出してしまうのだ。我ながら化け物だと思う。だけど、もしよかったら、こんな化け物でも仲良くしてやってほしい。

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