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いまは過去の延長線。

読み終えたー!

少し前に購入した本を読み終えて、わたしは大きく背伸びをしました。もう13時すぎ。空腹のあまり、お腹と背中がくっつきそうです。家にあるものでお昼ごはんにしようと考えながら、読み終えた本について考えました。

興味深い本でしたねえ。

でも集中して読み続けたから、疲労感が半端ない気がします。ごはんを食べればこの疲労感をなだめることができると思うけれど、もう少し、変えることができないものか。たとえば休憩しながら読むとか。

……できないかも。

思い起こせば、小学生にもならない時から、わたしはこうだった気がします。三つ子の魂、百まで。わたしはずっとこんな感じかもしれません。

さて、1ヶ月書くチャレンジ、いっきますよー!


本を読み始めたら集中する子供だった。


読書すると、集中してしまうところは、むかしからの変わらない特徴です。いつからこんな感じだったかしら? 確か小学生一年の時にはすでにこんな感じだったのではないかしら。

なぜなら近所のショッピングセンター内にあった書店で立ち読みし続けて、十八時過ぎに帰宅した記憶があるから。以前に住んでいた自宅近くの書店だから、小学生一年か二年か、そのくらいの年齢だったと思います。

ええ、家族にはめたくそに怒られましたよ〜。いま、何時だと思ってるの! と言われましたが、そもそも腕時計を持ってなかったから、時間なんて知りようがなかったと困惑している記憶があります。夏だったからか、外は軽く薄暗くなってた程度。だから書店での立ち読みも続いてしまったのです。

いまにして思えば、子供ながらとても迷惑な客でしたね。反省です。

そして親戚の家に遊びに行ったときも、その家にある本棚に向かう子供でした。子供同士で遊ぼうとする意欲なんて皆無に等しかった。逆に言えば、本さえ与えておけばおとなしかったのだから、手間のかからない子供だったのではないかしら、とは本人だから言える言葉。

幼稚園でのとある場面を思い出したら、厄介な子供だ、とセルフツッコミが発動したのです。

怒られたら素直に出ていく子供だった。


どんな場面を思い出したのかと申しますと、幼稚園のとき、大好きな先生に怒られたときの場面です。

なにか、やらかしたんだと思います。それで先生に「出ていきなさい!」と言われたんですよね。それで幼稚園児のわたしは、素直に教室から出て行って、外の廊下に立っていたんです。先生が呼び戻すまで、ずっとそのまま、ぼーっと廊下に立っていました。

厄介だな、と感じません?

大人が「出ていきなさい」というときは、ほとんど、子供が本当に出ていくことを期待しているわけではありません。この場所から追い出されるくらい悪いことをしたんだ、と自覚させ、「せんせいごめんなさい」と反省させることが目的なんだと思うんですが、そのあたりの「妙」を理解せず、素直に出ていく子供でした。

だから家族も、困ったことがあったのではないかしら。

本を与えておけば、おとなしいけれど、逆に本から離れようとしないから、寝食をおろそかにする傾向がある。お風呂に入れといっても入りたがらないし、お休みの時間だよといっても本を手放さない。どこかに行ったら、必ず本屋さんを探し当て、一冊買い与えるまで動き出そうとしない。

--うん、やっぱり厄介な子供だったなあ、と感じます。

そんな子供はどんな大人になったか。


本を読み始めたら集中するところと怒られたら素直に従うところ。

その特徴は、いまの、成人を通り越した中年のわたしにも通じるところはあるんじゃないかな、と思います。とはいうものの、さすがにもう、子供のときのまま、自由に振る舞うことはいたしません。

……と言いたいところなんですが。

少し前に昼ごはんを食べ終えた身だから、断言しづらいのです。いつもより昼ごはんが遅くなった理由は、本の世界に集中していたからですしね。

本を読み始めたら集中するところ、結局、変わっていないのです。

ぜんぜん変わってないじゃない、と食後のコーヒーを淹れながら、軽く項垂れました。変わってなくて微笑ましいというべきか、変わってなくて呆れたというべきか、ちょっと迷うところです。とりあえず、いまは誰にも迷惑はかけてないけれど、今後、迷惑をかける可能性はあるから気をつけないと。

結論。本を読み始めたら集中する子供は、本を読み始めたら集中する大人になるのですね。ええ、三つ子の魂百まで、とは真理をついた名言ですよ。

子供のころの性質、侮るなかれ。

その後ウン十年過ぎても、改まらない可能性、大です。

DAY5:昔はどんな子供だったか。






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