創造、虚像、超越
あるベテランアスリートのファンになった頃にラジオで聞いた衝撃的な言葉
今は、家族を養うためにやっている(要約)
彼はとてもざっくばらんで天の邪鬼な性格と独特の理論を持ち、所属チームでも異彩を放つ存在だった。
当時高校生の私は「ファンのおかげで」は客に対する社交辞令で、ファンのためじゃなくて自分や家のために頑張っているのが当たり前だよな!あくまでも仕事なんだよな!
と思っていたし、最近まで思っていた。
今はとあるベテランアーティストにどハマリしてしまったのだが、約40年近く前線でやり続けることに敬意を持つ反面
それが仕事だからだと今まで思っていた。
完璧なものを作り上げて世に送り出すのが仕事
ライブも極上の空間を作り出す仕事
客を喜ばすのも仕事
アスリートなら成績をあげるために練習していくのが仕事
コメントする際に素敵な言葉を作り出すのも仕事
虚しくね?と思われるが、プレイヤーは定年制のない仕事ではないか?
だから素行が悪かったり仕事に全力で取り組まなかったら会社でクビになるように、戦力外になるのは当たり前と思っているし
夢のある商売は深堀すれば地獄の沙汰だし、おびただしい数のスキャンダルがそれを表している。
そのベテランアーティストはよくライブの際
拍手食って生きていたんだよ
と言う。
正直いつもスイーツ脳かよ(笑)ってずっと思っていた。
だけど、先日行われた今年初の単独ライブの配信を見たとき
曲数を重ねるたび、若返っていた、肌つやがよくなってた、目が輝いていた。
なんであんなに幸せそうなんだ
あくまでも仕事なのに、どうして楽しそうなんだろうって
生配信を見ながら涙が出てきてしまった。その顔を見たらホッとした自分がいたのだ。
いつも現場で見たとしても
上質な音楽を届けるのは当たり前だし、歌詞とかミスってもご愛嬌と言うけど、真面目にいい値段の金払ってるんだならふざけんなと思っていた。特に好きな曲をトチるから毎年満たされず金を返せと思う日もあった。
楽しそうな姿を見ても、そりゃ目の前にいる人は収入源だもんなニヤニヤしちゃうよな、なんて思ってしまう日もあった。
イヤフォン越しから聞こえる、会場にいるお客さんの拍手が温かい音だったのだ。嘘偽りない、優しいものだった。
彼らは長々とお辞儀をしながらその音をずっと聞いていた。
拍手というものは言葉を超えていたのだ。
それを見て、今までは非常に愚かな考えだったことに気付かされた。
今まで、そういった仕事をしている人を憧れていた反面、楽しそうにしながら稼いでいる姿を見ていると心底憎んでいた、恨んでいた
しかし、あの人たちは見えないところで
悩み、ぶつかり、構築し、破壊し、また作り出していた。
その繰り返しで分裂してしまったグループや、強豪チームが足を踏み外して弱くなることもある。
noteらしい結論はないが(あくまでも日記だし)
ならば、自分を養うなら私も薄給職員で甘んじるのではなく、プレイヤーになりたいと思った。
それは今よりも努力しないといけないし、我慢も必要なのは知っている
ひとつのライブで
仕事=金稼ぎ以外の何かを見つけてしまった
アスリートの言う「歓声の後押し」やベテランバンドの「拍手を食って生きている」という言葉を超えた何かあった。私はその言葉を信じようと決意したのだ。
その日か、心の底から彼らを応援する初めての日になった。
(10年目にして!)