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『君に叱られた』 物語が紡ぐ非情


松村沙友理や大園桃子といった、これまで選抜の中核的位置を担ってきたメンバーがグループを卒業し、ひと夏を終えようとするこのタイミングで、センターに4期生・賀喜遥香を据えた28thシングル『君に叱られた』がリリースされる。その人選に一見、新しい風を取り入れたような印象を受けるが、ここ最近のシングル表題曲(フィジカルでリリースされた作品に限定する)のセンターを確認してみると、27th『ごめんねFingers crossed』は同じく4期生の遠藤さくら、26th『僕が僕を好きになる』は3期生・山下美月、25th『しあわせの保護色』は当時1期生・白石麻衣(グループ卒業済)、24th『夜明けまで強がらなくてもいい』は遠藤さくら、23rd『Sing Out!』は1期生・齋藤飛鳥、22nd『帰り道は遠回りしたくなる』は当時1期生・西野七瀬(グループ卒業済)、21st『ジコチューで行こう!』は齋藤飛鳥......といったように、卒業シングルとして必然的にセンターポジションを務めるケース(22nd、25th)を除けば、24thからは継続的に3・4期生をセンターに起用しており、それ以外は齋藤飛鳥が充てがわれていることが分かる。いつから齋藤飛鳥がグループのエース的ポジションに安定したかは定かではないが、現状の体制で齋藤飛鳥以外の1期生(あるいは2期生)をセンターポジションに据えることこそが実は意外性を突いた采配であるということは述べておきたい。

とはいえ、26thの山下美月やそれこそ今回の28thの賀喜遥香にしても、"初選抜"という見出しが新鮮さをもたらし、グループ体制の改新をイメージさせる材料となることは否めない。ここでいったん落ち着いて考えてみることも必要だと思う。1期生だからセンターに選ばれて然るべきだとか、逆に4期生だから新鮮だという話ではなく、メンバー各々のキャリアの上でこれまでのフォーメーションの遍歴を大きく塗り替えるような采配が発生した際に湧き上がる意外性にこそ、グループの"世代交代"といった打ち出し方に対する冷静な分析材料になりうる。1,2期生に対して3,4期生の占める人数の割合が圧倒的になっている現状、3,4期生がセンターに選ばれることが決して珍しいことではないということ。1,2期生がセンターではないからといって、それが俗に言う"乃木坂性"を欠如したものとは言い切れないこと。キャリアや年齢の浅いメンバーが台頭することだけが世代交代だと簡単に言い切ってはいけないと、目眩く展開に対してしっかりと見つめ直す態度が必要とされる。

そう考えれば、今回のシングルのセンターに賀喜遥香が起用されたことに大きな驚きはない。2020年、乃木坂46の楽曲で最もブレイクした4期生楽曲『I see...』において見事にセンターを務め上げた彼女が、次は表題曲のセンターへ...というのはごくごく自然な流れだと思うし、選抜発表をリアルタイムで観ていた自分も、これがベストな采配だと思わざるを得なかった。


今作『君に叱られた』のミュージック・ビデオ内で彼女はシンデレラを題材として描かれる。それは単に装飾品としての青いドレスやガラスの靴だけではなく、彼女が4期生というルーキーメンバーから登り詰め、表題曲のセンターの座を獲得した、その道程を全て引っ括めた演出であろう。とはいえ俗に言う"シンデレラストーリー"という言葉で片付けてしまうには、彼女のキャリアは少し短い、と同時に『I see...』でのブレイクがある以上、今シングルでセンターに起用されたことがそれが大きな躍進とは思えない。しかし、本来のシンデレラの物語において、舞踏会に行くことすら許されなかったシンデレラが魔法使いの恩恵によって魔法を浴び、王子様と出会うまでの過程はすべて一晩のうちに引き起こされている。時間の浅さは関係ない。つまり『I see...』は魔法であり、ゆえに"期限付きの"魔法である。24時で日が変わった途端に解ける魔法、さながら2020年から2021年になるタイミングで彼女にかかったその魔法はいったん溶けてしまう。MVに登場する彼女にピッタリと合うよう作られたガラスの靴こそ、賀喜遥香にかけられていた魔法の欠片であり、『I see...』とともに駆け抜けた2020年の賀喜遥香が2021年のグループに届けた産物である。

このミュージック・ビデオとシンデレラの物語とで大きく違うのは、意地悪な姉のような、いわゆる陰湿な存在が排除されているということ。完璧にシンデレラを再現した作品ではないのでこのような比較は無粋ではあるのだが、敢えて追求してみると例えば、会場スタッフである遠藤さくらが式典で使うガラスの靴を忘れたことを上司である梅澤美波に告げるシーンにしても過度に詰めるような描写は無く、それを受けた梅澤美波はさらに上の立場である与田祐希にまるで自分の責任であるかのように頭を下げて報告する。これがビジネスの場における通例だと言い切ってしえばそれまでなのだが、誰かの失敗を自らが被る"やさしさ"のようなものが、乃木坂というグループの温和なイメージと通じていると思った人は少なくないと思う。

あくまでシンデレラの物語に準じて考えるとするならば、王子様に"選ばれることなかった"女たちは、このMVに登場しないメンバーのことである。最初からあの陰湿な継母やその連れ子である姉たちのように性格や素質に欠点があるわけでもなく、同じように王子様との邂逅を求めて舞踏会へと出かけたものの、結局はシンデレラに全てを持っていかれてしまったことを悔やむ、物語に映ることすらない多くの女性たち。アイドルグループにおけるセンターポジションという最も注目を集める位置はおろか、表題曲という物語にすら到達せず描かれることのないメンバー。前述したように、期によって選抜への距離が違うわけでもなく、メンバーである誰もが選抜への参加資格を持っている以上、そこに選ばれなかったことは大きな傷を残す。同じように努力をして同じように時間を過ごしてきたメンバーでも待遇の差が生まれてしまうことを、物語は映し出している。

今作のミュージック・ビデオに対して、楽曲初解禁での落胆をどのようにして返上するかの期待が寄せられていた。楽曲自体はあまりにも平均律でグループの規律に乗っ取った、言うならば「乃木坂歌謡」としての定着に加担するような凡作だと思ってしまった。これをやさしい声と綺麗なメロディーと解釈してしまえばそれまでなのだが(とはいえこんなもんじゃないはず!)、前作『ごめんね Fingers crossed』のYOASOBIよろしくなポップスでの意外性と比べてしまうと、特に取り上げる箇所もない仕上がりに感じた(書き留めたくなる箇所が本当にまったく無いから困る)。賀喜遥香センターということもあり『I see...』のような90年代J-ファンク歌謡の再来を勝手に期待した人も少なくはなかったと思うが、とにかく28thでは、まるで2020年が何事もなかったように描かれてしまっていることが何よりも残念だと思った。これを次への進歩と無理やり消化するか、とはいえ、まだ疫病は収まりそうにない。コロナ禍のテーマソングである『I see...』という魔法が残したガラスの靴は、彼女以外に履くことのできないはずなのに。

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