見出し画像

眉を顰める / 乃木坂46 『好きというのはロックだぜ!』 短評

https://youtu.be/CSLYbwe9JEo


変化するアイドル


賀喜遥香。彼女が非ステージ空間 / つまりライブ・パフォーマンス以外の番組やSHOWROOMなどで見せる不安げな表情だったりおぼつかない足取りは、彼女を眺める者にどこまでも親近感を抱かせる。そのような内的葛藤をステージの上で一掃した瞬間のフレッシュ(新鮮さ)は日頃の不安定さとの対比も相まって抜群の輝きを生み出し、彼女がポジティブ・アイドルであることを見事に証明してみせる(本稿での「ポジティブ・アイドル」は「葛藤→変化→解決」という人間誰しもが生きていく上で通過しようとする道程を、アイドル自身が与えられた役割をこなしていく上ではっきりと明示する機会の多い / そしてこのルーチンの集積によって結果的に今日まで「笑うこと」「肯定すること」を特にステージ上での主題と置き、それを眺める物に正攻的なポジティブをもたらすアイドルのことを指す。これは「ぶりっ子」的な素振りを多く実践するメンバーに必ずしも該当する定義でもなければ、握手会やミーグリでファンに対して献身的であればあるほど…といった意味でのポジティブでもない。少なくとも本稿においては以上のように定義する)。

彼女は4期生楽曲『I see…』において初めてセンターという場所に体を担がれると、続く28枚目シングル『君に叱られた』では表題曲のセンターを務め上げる。その後数々のメディア露出やファースト写真集発売など注目される機会が増え、現在では乃木坂46の中心人物として異を唱える者はいないであろう、そんな彼女がこのたび30枚目のシングル『好きというのはロックだぜ!』で2度目の表題曲センターに選出された。『I see…』のMV(監督:神谷雄貴)では周りのメンバーに抱えられながらようやくお立ち台に立つことのできた彼女だが、『君に叱られた』のMV(監督:横堀光範)ではこれからグループを去りゆく先輩からの声に背中を押され自ら羽を生やしドレスを身に纏い、齋藤飛鳥というエースへと接近していく過程がシンデレラストーリーとして描かれている。両方とも誰かの力こそ借りているものの、後者は自分の力で走り目標まで到達することに彼女の成長・変化が強く表現されている。そして例に漏れず『好きというのはロックだぜ!』のMV(監督:神谷雄貴)にも彼女が意を決する瞬間が、しかも自らのきっかけで「決議」を発する姿が描かれる。これら3つのMVは賀喜遥香というポジティブ・アイドルが成長していく過程としてうまく線を結ぶことができる。これは賀喜遥香というアイドルを初期の頃から見つめていた神谷雄貴だからこそ編むことのできた物語であろう。

『I see…』ミュージック・ビデオより
『君に叱られた』ミュージック・ビデオより
『好きというのはロックだぜ!』ミュージック・ビデオより


アイドルに期待されるキャラクターと、それらを乗りこなす理想像としての 「ポジティブ・アイドル」

『好きというのはロックだぜ!』のMVについて大雑把に説明する。夏休みの予定を決められない賀喜遥香は脳内会議を開く。この脳内会議では賀喜以外のメンバーが《物欲人格》《出不精人格》《行動力人格》《甘党人格》《芸術肌人格》といった派閥に分かれ、それぞれが彼女に適した夏休みの過ごし方をプレゼンしていく。このプレゼンを受けた彼女は悩んだ挙句、それらすべてをこの夏に実行することを決意する。そんな内容である。メンバーが5つの人格へと配役されることによって、乃木坂46という集団がさまざまな性格を持った人間が集い、その都度困難に立つ人間を支え合うことによって今日まで胎動し続けてきた事実を形容していることはわざわざここに書くまでもない。

少し見方を変えるとするならばこのMVで描かれているのは、賀喜遥香というアイドルに対して他者が想像する人格 / つまり人間が人間として、アイドルがアイドルとして期待されるキャラクターに対して、当人が葛藤・模索しながら、結局は求められたキャラクターをすべて遂行することを選ぶという光景にも受け取れる。ライブ・パフォーマンスだけでなくバラエティ番組やSHOWROOM、ブログなど多岐にわたるコンテンツを媒介することによってアイドルはファンに対して様々な印象を与え、その視線の数だけファンはアイドルに対して多様なキャラクター像を期待する。ファンから付与されたキャラクターと自身の性格との摩擦や、それによって生ずる日頃の営為における不和に対してアイドルが葛藤する場面は少なくない。

つまり賀喜遥香というアイドルが他者から期待されたキャラクターのどれか一つを選ぶのではなく、それら全てを自身のアイドル像として取り込み / あるいはそれぞれの側面から覗いた時にそれぞれのファンが期待するアイドル像をしっかりと伺うことのできる多面的構造を設えた、もはや理想的とも言えるアイドルであることを描いたこのMVは、そんな彼女が今日のアイドル・エンターテインメントの上で輝く光景への説得力を高める。それが「ポジティブ・アイドル」の宿命でありそこに潜む密かな憂いを描いた『僕は僕を好きになる(監督:奥山大史)』に批評性こそ及ばないが、『Actually…』という異端作の直後に軌道修正とも取れるかのように繰り出された凡庸なサマー・ポップスのMVにおいてわずかでもこのような挑戦が行われたことは大いに評価できるし、かつての乃木坂46の映像作品における鋭いクリエイティブの片鱗を取り戻したかのようにも見える、のかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?