メジャーリーグにおける肘の内側側副靱帯損傷の過去と現在
今回はホワイトソックスのヘッドチームドクターでもあるDr. Verma氏らによるMLBにおける肘の内側側副靱帯損傷に関する統計をまとめた論文を紹介しようと思います。
野球と内側側副靱帯損傷の関係
肘の内側側副靱帯(以後UCL)はオーバーヘッドスローを行うスポーツをする際に最も重要な役目を果たす組織です。なので普段生活する上でこの靭帯に過度な負荷はかかりませんが、野球の投球動作の際、肘の屈曲が高まるにつれてUCL前方束後部にかなりの負荷がかかります。
本来成人男性の投手が投げる時、肘には約64N.mもの負荷がかかりますが、UCLは34N.mくらいの負荷にしか耐えられません。これがトミー・ジョン手術によって再建された人工靭帯なら31N.mくらいです。
UCLを痛めた投手に共通する特徴は球速や制球力の低下です。さらに尺骨神経系の症状などもあって、主に小指と内側薬指の痺れ、第一背側骨間筋力の低下などがあります。フィジカルテストではUCL上に痛みが出たり、外反の緩みが生じることあります。
この怪我に対するスペシャルテストは『Moving Valgus Stress Test』や『Milking Maneuver』などがあって、これらはピッチング動作中に起こるUCLへのストレスを意図的に起こすテストです。とはいえ診断の精度を上げるためにもMRI(関節造影の有無に関わらず)に使用が推奨されています。筆者の見解ではUCL損傷は幼少期からの早すぎる特定のスポーツに特化が原因で、MRIによる肩の関節唇損傷の過剰診断とは違うと述べています。
初めてトミー・ジョン手術を受けたのは1974年9月25日、当時ロサンゼルス・ドジャースの投手トミー・ジョン氏です。当時の技術では60%以上のプロ選手が競技に復帰することができました。そのうちの21%が術後に尺骨神経に異常をきたしたそうですが、全員が7年以内に回復したと記録されています。その後徐々に手術の技術を向上してきて、現在では80%以上のプロ選手が競技に復帰することが可能になっています。
MLBでのトミー・ジョン手術の疫学
近年MLBでのトミー・ジョン手術の件数が増加傾向にあるのは有名な話ですが、アメリカでは15~19歳が受ける手術の件数も急増しています。UCL損傷は野手よりも投手に圧倒的に多く、Conte氏らが5088人のプロ野球選手に取ったアンケートでは投手全体の16%がトミー・ジョン手術を受けており、野手は3%にとどまっています。また同アンケートで分かったことは、メジャーレベルにいる投手の25%、マイナーレベルにいる選手の15%がトミー・ジョン手術を受けていたことです。なおアメリカ人の選手と南米出身の選手達と怪我の割合に目立った差異はありませんでした。
Erickson氏らのリサーチで2000~2012年の間にMLB/MiLBでのトミー・ジョン手術の件数が年々かなりのペースで増加傾向にあることが明らかになりました。興味深いことに1980年代から1990年代にかけては手術件数に増加の傾向は見られませんでした。
トミー・ジョン手術を受けたMLB投手は平均で5.27シーズン(±4.34)プレーしています。さらに同手術を受けた選手たちは幼少期を温かい地域で過ごした方が寒い地域で過ごした人よりもキャリア年数が低い段階で手術を受けていました。
青年期の選手の肘の怪我のリスク要素として挙げられているのは次のとおりです。
年に100イニング以上投げる
投球数の多さ
連日の試合で投げる
複数のチームの選手として投げている
疲労時に投げる
一年中投げている
球速の早さ
棘上筋が弱い状態で投げている
住んでいる地域
肩関節内旋の低下、最近では内外旋のうち外旋角度の低下が注目されている
とはいえ手術件数の増加の原因は未だにハッキリしていません。こういったことは色々なファクターが複雑に折り重なっており、それぞれのファクターが怪我のリスクにどの程度関わっているかを検証したデータがまだないからです。予防医学の観点からもこのような研究がなされることを期待します。
Wilson氏らはトミー・ジョン手術を受けたプロ野球の投手271人のうち40人(15%)がプロキャリアを通じて少なくとも再手術を受けたことを明らかにしました。最初の手術から再手術までの期間は平均5.2年(±3.2)かかっていましたが、最低値&最大値でみると1~13年でした。
なのでもし青年期に球数制限を守らず手術を受けるリスクを上げることになれば、その後引退までに2度目の手術を受けるリスクを上げることになります。2度の手術を受けると投手としてのパフォーマンスも落ちるためプロキャリアにも影響が出る可能性があります。
1度目と2度めの手術後の予後
一度目の場合
Erickson氏らは1974~2012年の間にトミー・ジョン手術を受けたMLB投手179人と健康なコントロール群と比較しました。この中で148人(83%)が少なくともメジャーの試合に復帰し、174人(97.2%)がマイナーリーグに復帰しています。競技に復帰できなかったのは5人(2.8%)です。競技復帰までにかかった期間は術後平均で20.5ヶ月(±9.72)かかっており、術後のキャリアは平均で3.9年(±2.84)となっています。著者は手術を受けた投手たちのパフォーマンスも手術前と比較しました。結果は術後のイニング数と勝敗数の低下、さらにERAとWHIPも低下していました。
Jiang氏らの研究では2008~2010年の間にトミー・ジョン手術を受けたMLB投手28人の球速とそのパフォーマンスを手術前と比較しました。結果はストレートとチェンジアップの球速が平均球速がどちらも低下していて、術後1年目が-2キロ、2年目と3年目はそれぞれ1.6キロとなりました。これはカーブにも同様の変化が起こっていて、術後3年目で約-3キロでした。
Lansdown氏らも似たような研究を行っていて、ここでは術前と術後のストレートの球速の変化のみでしたが、グループ全体で術後約1キロの球速低下が見られました。また35歳以上の選手達では球速の変化も激しく、術後約4.6キロの球速低下が起こっていました。
2度目の場合
一度目の手術を経験した選手達の球速やパフォーマンスの低下はさほどキツいものではありませんでしたが、2度目の手術を受けた選手たちではどうでしょうか?Marshall氏らは2度目のトミー・ジョン手術を受けたMLB投手33人の術後の経過の調査と、健康なコントロール群との比較を行いました。結果的に全体の65.5%がメジャーに復帰して、84.8%がマイナーリーグに復帰しています。ちなみに一度目の手術からの競技復帰率はメジャーで83%、マイナーで97.2%です。
Liu氏らの行った調査ではトミー・ジョン手術を2度受けたMLB投手31人のうち65%がメジャーレベルで1試合以上投げることができ、10試合以上投げることができたのはほんの42.8%だったことが分かりました。なお競技復帰までにかかった期間は平均20.76ヶ月で一度目の手術(20.5ヶ月)とほぼ変わりませんでした。
2度目の手術を受けた選手は術後のイニング数と勝敗数の低下だけなく、フォアボール率の上昇も目立ちました。ERAとWHIPに大きな変化はありませんでしが、術後のキャリア年数は平均で2.6年でした。
将来性
競技復帰に関した統計を取った論文はたくさんありますが、使用した手術のテクニック、人工靭帯の選択、尺骨神経のマネージメント、リハビリのプロトコルなどが競技復帰にどれだけ関与したか調査した論文の発展に期待したいです。
またリハビリの際に術後いつからボールを投げるのが競技復帰にいい影響を与えるかなどの研究を行わると良いでしょう。こういった研究を行うにあってサンプルサイズの増大も期待したいところです。
まとめ
今回は少し長めになりましたが、UCLの過去から現在、さらに将来性についてとてもわかりやすくまとめた論文だと思いました。過去にこのブログで『トミー・ジョン手術を受けたMLBピッチャーと股関節の怪我との関連性』に書いたことがあるので興味のある方はそちらもどうぞ。
<参考文献>
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